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2017年7月10日 (月)

福祉の思想

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7月26日の事件からまもなく1年になる。
本書を読んだのは、障害の仕事、とりわけ地域療育にかかわるようになったときだから、1980年代中頃、すでに30年は経過しているということか。
現在から評価すると、考え方や表現その他、批判すべき点は多く見つけることができるのだが、糸賀氏が活動した敗戦後から1960年代の時代を踏まえれば、この思想をどう引き継ぎ発展させていくか、という課題が、その後に生きる私たちに、援助する人たちとしての視点に加えて援助する側が向き合っている人たちの意思とともに、与えられているということだろう。

学者・研究者ではなく、実践者としての経験から生み出されてきた糸賀氏の「福祉の思想」は、1968年の第1刷以来2014年まで84刷を重ねてきている。
その間に制度の上でも考え方の面でも、様々な変化があった。
「障害福祉の父 糸賀一雄の思想と生涯」(京極高宣/著・ミネルヴァ書房)によれば、本書は「五体不満足」(乙武洋匡/著・講談社・1997年)が刊行されるまでは「第七六刷に及ぶわが国社会福祉界の最大のベストセラーとなっていた」(京極・P.37)そうだ。
乙武氏がこけた後は、どうなのだろうか。
もっとも、乙武氏がこけたのは、乙武氏が人であったということを如実に示した例だと思うので、これで著書の売れ行きに影響が出るなら、世間はまだまだ「障害者」を特別視している、「人」とは異なった存在としての「障害者」であるという見方の裏返しだろう。
世間はいつまで、「清く正しく美しい障害者」像を追い求めたいのだろうか。
「偏見は常識の形をとって庶民の生活の中に深く浸透してくる」(P.25)状況は、依然として続いているということか。

6月5日、、バニラ・エア「事件」が起きた。
報道は6月28日の事で、このとき別のところに次のように書いた。

この「事件」の報道で真っ先に思い浮かんだのは、40年近く前の横田弘さんたちの行動だ。
https://www.youtube.com/watch?v=AOq2IgmbtB8
https://www.youtube.com/watch?v=O3WPcr1SGEw

横田さんと直接の面識があったわけではないが、横田さんたちのグループで活動していた人が、私の仕事で関わるエリアにお住まいだったので、何度もお会いしてやりとりをし、「団交」の席(私は当局者側だが)に座ったこともあった。
横田さんたちがとった方法への批判は多くあったが、そうでもしない限り突破口は遅々として開かれないといった情勢認識が横田さんたちにはあったわけで、そうした行動の効果としては、その後のさまざまな立法措置を含めて、今につながる基盤を築いていった。

今回の「事件」をめぐってネット上にはさまざまな意見が飛び交っているが、限られた範囲ではあるが読んだ限りでまとめてみると、次のようになるだろう(独断)。
・自分勝手なクレーマーである
・考え方はわかるはその方法は疑問、反対だ。
・LCCに求めすぎ
・方法はともかく、目的は良い
・事前連絡はすべき
・規則に縛られすぎ
報道での文章の書き方やイラストでニュアンスは異なるだろうし、受け止め方も異なってくる事例でもあるが、報道への反応(報道した会社)というバイアスもかかっているのだろう。

それにしても、さまざまな反応を見たとき、反応の内容によっては去年の事件への反応と通底していると思割れるようなものもあった。
その意味では、この人、木島氏の行為や世間の反応は、自分の仕事のありようを振り返るきっかけにもなっていることは確かだ。
木島氏が100%を求めているのではないことは氏のサイトを見れば明らかだし、報道とは異なり腕でタラップを上がったことを問題にしているのではないことも明らかなのだが、そこまでして木島氏の考えを知ったうえであれこれ言っている人は少ないのかもしれない。

目的と手段と効果を考えてみると、木島氏の行為は航空会社に影響を与えたことで目的を達成することにはなっただろう。
この目的達成についても、真偽のほどは定かではないが、すでに航空会社・空港で準備に入っていたので、準備が整う前に狙い撃ちしたという指摘もされているが、たとえそうであったとしても、「確信犯」たる木島氏から見れば、就航して1年ほったらかしにしていたことへの問いかけとして理解することもできる。
手段の妥当性、とりわけ「事前連絡」の必要性や今回の「事件」の効果に関しては、議論のあるところだろう。
木島英登バリアフリー研究所
http://www.kijikiji.com/consultant/index.htm

そうした中で冷静な反応は、いすみ鉄道社長氏のブログだろうか。
http://isumi.rail.shop-pro.jp/?eid=2918
整理する上での、一つの考え方として大事な内容だと思うのだが、このブログの内容も、航空会社の都合と利用者の都合のどこで折り合いをつけようか、というとろでは、会社の言い分ではない他の考え方があっていいと思うし、それぞれの都合をぶつけあうことで、よりいい方向を見出すことができるかもしれないと思うのだが、いすみ鉄道社長氏のブログにはコメント欄がないので、一つの考えとして受け止めておくしかない。
手段の妥当性というところでは、冒頭にも書いた40年近く前の横田弘さんたちの行動とつながる。
あれから40年を経た「今」、できていないことを明らかにするだけではなく、できているとされていることに対して、そのあり方でいいの?という投げかけが、今回の木島氏の行動だと思う。
いまだにこうした「実力行使」を手段としなければ問題が顕在化されず、相手が課題を認識できないのだろうかとも思ってしまう。
そうしたところでは、次のような書籍は読み返されていいのだろう。
差別されてる自覚はあるか
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-3552-6.htm
障害者殺しの思想
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-3542-7.htm
横田さんではないが「こんな夜更けにバナナかよ」は必読書。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167838706

個人的なレベルでは、車いす同伴で飛行機利用は、国内国外で何度か経験している。
事前連絡せずに車いす同伴でカウンターに行ったこともあったが、そのときのカウンターであれこれやりとりするのが面倒くさかったので、以後は、車いす同伴のときは事前に連絡はしている。
そのなかで一度、航空会社はOKしているのにチケットを購入した旅行会社があれこれしつこく、多分マニュアルどおりに余計なことを聞いてくるので、切れたことはあった。

利用者が車いす利用だったり医療機器を装着しているなどのときの対応のためには、事前に状況を知っておきたいという航空会社の言い分は分かるのだが、あえて言えば、なぜ、特別な対応や「配慮」が必要とされる者から連絡をするシステムなのだろうとも考えることができる。
例えば、航空券を予約するとき、すべての人に車いす利用の有無だとか医療器具装着や「配慮」が必要かを聞き、「必要」と答えた人はさらに聞き取りののステップを踏んで予約を受ける、というような方法は出来ないのかしら。
特別な対応や「配慮」が必要な人は少ないのに、余計なプロセスを踏ませるな、になるのかしら。
何れにしても聞き取りは搭乗拒否につなげるのではなく、いかに搭乗させるのかにつなげるのは当然だが。

現行の表現を列記してみよう。
全日空
https://www.ana.co.jp/service-info/share/assist/index.html
日航
https://www.jal.co.jp/jalpri/handicap/walk.html
スカイマーク
http://www.skymark.co.jp/ja/support/
エア・ドゥ
http://www.airdo21.com/flight/support/index.html
スター・フライヤー
https://www.starflyer.jp/checkin/support/advance.html
ジェット・スター
http://www.jetstar.com/jp/ja/help/articles/specific-assistance
天草
https://www.amx.co.jp/
バニラ・エア
https://www.vanilla-air.com/jp/guide/special-assistance

国鉄時代、そしてJRとあとも、駅にはエレベーターが設置されておらず、駅員が抱えて移動しなければならなかった時代、こうした介護が必要なら2~3日前までに連絡せよというのがルールだった。
今はそうしたルールはないが、駅によっては事前連絡を求めている。
https://www.jreast.co.jp/equipment/equipment_1/wheelchair/wheelchair_2.html

主にネット上で「障害がある」ことでの「特別扱い」を当然視する風潮を見たとき、70年第80年代の横田さんたちが行わざるをえなかった状況から何が変わったのか変わっていないのかを改めて考えてしまう。
木島氏の「100点満点でなくても、60点でもいいから、広く浅くどこでも対応できるといい」、これをクレームと考えてしまう感性が問われているとも思う。
どの状態を60点とするか、誰が判断するかは問われるだろうが。
さらに、自分の仕事と結びつけて考えたとき、この実力行使を言う手段は一概にダメとは言い切れない。
本来は、状況がわかっている自分たちがやっていかなきゃならないことだけど、あれこれの縛りでできていない、その状況を突破したという点では評価したいし、少なくともこのことを無駄にしないようにしなければと思ってしまう。

もう一つ、ネットでの声で、他者に何事かを「お願い」するときに、「すみませんが」とか「申し訳ありませんが」と前置きをつけなきゃいけないのだろうか、というのもあった。
山田太一さん「男たちの旅路」の中の「車輪の一歩」が、6月29日の読売新聞の「編集手帳」に取り上げられていた。
YouTubeでのラストシーン、一部見ることができる。
「どなたか、わたしを上まであげて下さい!」と言うラストのセリフには、「すみませんが」も「申し訳ありません」もない。
https://www.youtube.com/watch?v=H0syBw4KZMU
この作品で鶴田浩二扮する警備会社のリーダーは、
ぎりぎりの迷惑はかけてもいいんじゃないのか
いや、かけなければ、いけないんじゃないのか?
と言う。
これを「クレーマー魂ですね」と評した人もいたのには仰け反ったが、ぎりぎりの線引きをどこに置くかという課題はあるだろうが、困難に直面している人がいたら、頼まれる前に手を貸す、なんて光景は、まだまだ遠い先のことかもしれない。
あらためて、横田さんのことやドラマのことを未だに取り上げなければならないのは、何ともはや、だと思ってしまう。
もしかしたら、「やってもらってあたり前なのか」「やってもらったら感謝しないのか」という意味で「クレーマー魂ですね」としたのかもしれないが、当たり前だとか感謝不要だと言っているのではない。

飛行機利用に限らず、障害者だけにとどまらず、「特別な対応や配慮」は、「特別な対応や配慮」を必要とする側が「特別な対応や配慮」をする側に「お願い」することなのか、あるいは「すみません」と言わなければならないことなのかとも考えてしまう。
ホテルにチェックインしたとき、ポーターさんが荷物を部屋まで運んでくれるが、ホテル側にとってこれは「特別な対応や配慮」なのだろうか、客が「すみません」と「お願い」することなのだろうか。
部屋に到着してポーターさんに「ありがとう」とは言うだろうしチップということにもなるかもしれないが、そうするかどうかは客の判断だ。
車いすでの飛行機利用なども同じようであって欲しいと考え、要望してはいかんのだろうか、そのような考えや要望は障害者の身勝手なのだろうか。
「手伝ってもらえるような障害者」、さらに「愛される障害者」なんて障害者自身からの声のようでなければならないのだろうか。

件の「すみませんが」とか「申し訳ありませんが」から、「Thank you」の場面、「Excuse me」の場面、「I’m sorry」の場面、さらに「Help me」の場面で、どんな言葉でどのタイミングで表現しているだろう?ということも考えてしまった。
これらの場面では、日本国内であれば「すみません」を使えば通ってしまう。
だけど、なぜ、自分自身も含めて「すみません」なんだろう、「ありがとう」「失礼」「ごめんなさい」「お願いします」と、その場にあった言葉が出てこないのだろう。

DPIの「バニラ・エア車いす利用者搭乗拒否に対するDPI日本会議声明」。
http://dpi-japan.org/

ここまで。
この事件に関しては、罵倒を含めて様々な考え方や意見が世に流れた。
その後、奄美空港ではバリアフリー化が進められつつあったということも報じられているが、善悪二元論では延々と話は続くだろう。
糸賀氏も本書に記している、「われに機会を与えよ」(P.115)を想起すべきだろう。

糸賀一雄
日本放送出版協会
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000010671968.html

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