« 福祉の思想 | トップページ | 誘拐作戦 »

2017年7月12日 (水)

暑さのなかの鎌倉散歩

ふうっ、暑かった。

稲村ヶ崎から乗ってきたお二人連れに続いて、カメラマンその他がぞろぞろ乗ってきた。
最後に乗車した江ノ電の人が、「撮影しますので」とご挨拶していた。
お二人その他は、極楽寺で降りていった。
どこかで映像を流すのかな?

鎌倉には、相模川から横須賀海軍工廠を中心とした海軍施設に対水を供給するための水道路が、愛川町の半原水源地からの半原系統と、相模川の相模大堰で取水する有馬系統がある。
半原系統は、長谷から由比ヶ浜通りの「文学館入口」から斜め右に入る道路の下にある。

170712_101  170712_102
和田塚入口交差点長谷方向と海岸橋方向。

170712_103
横須賀市の空気弁のマンホールがある。

海岸橋交差点で若宮大路と交差し、滑川を越える。
170712_104
ここで水道管は二本見え、横須賀海軍水道路半原系統水道管は川上側である。

170712_105  170712_106
滑川左岸側から横須賀海軍水道路半原系統水道管を見る。

170712_107
滑川左岸側から名越方向を見る。

170712_108  170712_109
水道路交差点の滑川方向と名越方向。
水道路交差点では、横須賀海軍水道路半原系統と有馬系統が合流し、横須賀に向かう。

170712_110  170712_112
横須賀海軍水道路半原系統が埋まる大町方向、大町方向から水道路交差点を見る。

170712_111
標柱が横須賀海軍水道路を物語る

170712_201  170712_202
若宮大路の一の鳥居のそばに、宝篋印塔があり、畠山一族の墓とされている。
1205年6月22日早朝、畠山重保は謀反人が由比ヶ浜に集結しているとの報告を受け、郎党3名を連れて由比ヶ浜に駆けつけたが、北条時政の命を受けた三浦義村によって討たれた。

170712_203
琵琶小路と若宮大路との交差点の北西側に、浜の鳥居跡の碑が立っている。
北条氏康によって造立された鳥居の柱痕が、1990年の発掘調査によって発見されたもの。

170712_211
大町交差点南の横須賀線三浦道踏切を渡り、路地を右に入りって行くと、1063年に源頼義が前九年の役の勝利に感謝するため、京都の石清水八幡宮を勧請して創建した元鶴岡八幡宮がある。
1180年、鎌倉に入った源頼朝が由比若宮を小林郷北山に遷座し、現在の鶴岡八幡宮を造営した。

170712_221
横須賀線三浦道踏切の北側には、小さな辻薬師堂がある。
廃寺となった長善寺の薬師堂だった。
木造薬師三尊と十二神将立像が堂内に置かれているが、実物は鎌倉国宝館に寄託されている。

横須賀線に沿った路地を歩く。
ご近所の人だろうか、お年寄りにご挨拶すると、「写真ですか、ご苦労さまです」と返された。

170712_231  170712_232
紫陽花のトンネルを抜けると、スカ線が逆川を走る。

170712_241  170712_242
おんめさまにて。
170712_243

遅いお昼を調達しに露西亜亭に寄ってみると、お客さんは並んでいなかったので、あれこれおしゃべり。
例の「ツバキ文具店」での「露西亜亭のカレーパン」を報告したら、「カレーパンくださいってお客さんがきたら、どうしよう」と笑っていた。
小説、テレビドラマとも「ツバキ文具店」のことはご存知なく、取材もなかったようだ。

170712_251  170712_252
源氏池を眺めながら、カレーパン、もとい、ピロシキをいただく。

170712_253  170712_254
亀も這い上がってくる。

170712_255  170712_256
昔は源氏池は白蓮、赤蓮は平家池となっていたはずだが、源氏池には赤い蓮もあった。

170712_257  170712_258
明日朝にはポンと鳴るのだろう。

170712_261  170712_262
平家池にて。

駅前で、鎌倉カスターお持ち帰り。

|

« 福祉の思想 | トップページ | 誘拐作戦 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 暑さのなかの鎌倉散歩:

« 福祉の思想 | トップページ | 誘拐作戦 »