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2017年6月 4日 (日)

鶴見俊輔書評集成 1

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鶴見さんが亡くなったのは2年前、本書全3巻の刊行は10年前。
本書では20代の鶴見さんの文章を読むことができるが、さまざまなところでよく読んでいた鶴見さんの文章のイメージはまだ現れておらず、気鋭の哲学学徒が書いた文章といった雰囲気である。
とはいえ、戦後間もない時期にアメリカ漫画をテーマにするなど、ジャンルの広さは鶴見さんの好奇心の幅の広さが早くから生まれていたことを物語っている。
60年代からの文に、鶴見さんの味が出てきたように思う。

本書の文章は、当時のさまざまなできごとなどへの書評という形での鶴見さんの考え方を示しているもので、当然時代の制約はあるし判断に?がつくものもあるのだが、中には21世紀の状況への批判としても十分に通用する内容をもつものもある。
たとえば、1965年の「マスコミの落す球をひろうガリ版新聞 『深夜通信』の美学」。
鶴見さんによれば、「アメリカでジャーナリスト養成コースの教科書としてつかわれているキャンブルとウルズリー共著の『仕事中の記者たち』によると、ニュースとはニュースの消費者たちをおもしろがらせ、ニュースの提供者に利益をもたらす報道である、という」そうで、さらに「そういう状況をマス・コミュニケーションの諸機関はつごうがよいので支持し、読者たちもまたマスコミに飼いならされた惰性で支持する」(P.386)と、鶴見さんはこの定義やそれを受け入れている状況を批判的に紹介するのだが、この文章は、『仕事中の記者たち』がいま現在どう扱われているかはともかく、21世紀に書かれたと言われても疑う人はいないのではないだろうか。

全3巻の鶴見俊輔書評集成で、2007年度の第6回「毎日書評賞」を受賞した。

はじめに思うこと
読書案内人
I 一九四六 ― 一九五〇
 ハックスリー 非人間主義 1948
 モリスの記号論大系 1947
 サンタナヤ 1948
 アメリカ個人主義の姿 ワイルダー『三月十五日』・ファレル『小説家の社会的任務』 1948
 戦後小説の形 1948
 上代歌謡から現代農家までを描く 西岡虎之助『民衆生活史研究』 1949
 人生は一つの舞踏 ハヴェロッタ・エリス『自叙伝』 1949
 世界の新思想 1949 シュナイダー『アメリカ哲学史』
 マシースン『ジェイムズ家』
 クワイン『記号論理学入門』
 シェルドン『アメリカ哲学の展開』
 セルザム『社会主義と倫理』
 ツヴァイク夫人『ステファン・ツヴァイク』
 クラカウアー『ドイツ映画の心理学的歴史——カリガリからヒットラーへ』
 モリス『人生の道』
 バクラー編『パースの哲学』
 物語漫画の歴史 ウォー『アメリカ漫画の歴史』 1949
 ドストエフスキの二重人格 シモンズ『ドストエフスキ』 1949
II 一九五一 ― 一九五九
 新しい古典 ドス・パソス『U・S・A』 1951
 感銘を受けた二冊 大関松三郎『山芋』・無着成恭『山びこ学校』 1951
 見る雑誌の登場 『平凡』と『明星』 1952
 ものいわぬ人たちの言葉が聞こえてる 木下順二『民話劇集』第一巻 1952
 M・コンフォース『哲学の擁護』について 1954
 集団の伝記をつくる方法 R・レッドフィールド『小さなコミュニティ』 1955
 大前田英五郎の生涯 子母沢寛『上州天狗』 1956
 特定の思想宣伝のために ソ同盟科学院哲学研究所編『哲学辞典』 1956
 戦争と大量生産の関係 エンソー『第二次世界大戦史』 1956
 保守主義者が説く現代史 竹山道雄『昭和の精神史』 1956
 「尼港事件」について エイドゥス『日本現代史』 1956
 日本型ファシズムを分析 丸山真男『現代政治の思想と行動』下巻 1957
 国家より高い原理の存在 大熊信行『国家悪』 1957
 民芸運動を貫く宗教心 柳宗悦『民芸四十年』 1958
 人をとおして人は思想を育てる 吉野源三郎『エイブ・リンカーン』 1959
III 一九六〇 ― 一九六九
 戦後のある生き方 『谷川雁詩集』 1960
 伊丹万作とナンセンス 1961
 『樅の木は残った』の異本 山本周五郎『小説の効用』 1962
 現代の古典 松田道雄『京の町かどから』 1962
 幕臣精神のシンボル 大仏次郎『鞍馬天狗』 1962
 ドグラ・マグラの世界 1962
 花田清輝のかるた 『いろはにほへと』 1962
 自由主義知識人に対する批判 吉本隆明『丸山真男論』 1963
 作者のいない文学 尾崎秀樹『大衆文学』 1964
 『宮本武蔵』以前の吉川英治 1964
 戦争体験の持つ可能性 橋川文三『歴史と体験』 1964
 家の思想 白井喬二『富士に立つ影』 1964
 素朴な唯物論者の荷風 『断腸亭日乗』昭和二十年—三十四年 1964
 大石蔵之助の器量 松島栄一『忠臣蔵』 1965
 マスコミの落す球をひろうガリ版新聞 『深夜通信』の美学 1965
 今年は大正五十四年 南博・社会心理研究所編『大正文化』 1965
 日本字引の原型 チェンバレン『日本ふうのもの』 1965
 戦後精神に欠けたものをみつめる 臼井吉見『戦後』第一巻 1966
 『ガロ』の世界 1966
 『荒地』の支店 1966
 戸坂潤 獄死した哲学者 1966
 イギリス人記者だから書ける モズレー『天皇ヒロヒト』 1966
 『少年倶楽部』の世界 1967
 笑いは反抗精神 中野好夫訳『チャップリン自伝』 1967
 朝鮮人の登場する小説 1967
 三木清のひとりの読者として 1968
 戦争に抵抗した人たちの生涯を記録 同志社大学人文科学研究所編『戦時下抵抗の研究』I 1968
 丘浅次郎 かざりのないその文体 1968
 桑原武夫 地図のない文化を歩くための杖 1968
 モラエス 徳島で暮らしたポルトガル人 1969

みすず書房

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