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2017年6月16日 (金)

相模原障害者殺傷事件―優生思想とヘイトクライム―

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2015年、とある雑誌に寄稿した。
その年にヨーロッパに流れ着いた難民、そしてヨーロッパで自分の目に映った難民のことを書いた。
事件以後、やまゆり園の利用者たち、職員たちは、ある意味で「難民」を強いられているのではないか。
いや、事件後ということではなく、事件前も「難民」として施設で暮らし、施設からさらに別の場所に「難民」として行かなければならなかったととらえることができるのではなかろうか。
立岩氏が「現代思想10月号 相模原障害者殺傷事件」に書いていた文章は、とても読みづらかった。
多分、メモ段階だったのだろう。
だが、本書には現代思想の文章は再録され、さらに他の文章も載っているのだが、いずれも読みづらい、何を伝えたいのかが伝わってこない文章だ。
例えば「第1章 精神医療の方に行かない」、このタイトルは何を指し示したいのだろうか。
何と言うか、人に伝えようという文章ではないように思えてしまう。
さらに、立岩氏がすでに書いたこと、資料などについては、文中に引用はせず、どこそこにあると記しておしまいになっているのだが、これも、読む側にサービスしろとまでは言わないけれど、もう少し読む側のことを考えてもいいのではないだろうか。
本書が答の幾つかを提示しているというような期待はそもそも持って読んだのではないが、それにしても本書のテーマがテーマだけに、文体で相当損しているのではないだろうか。
とても気になったところ。
立岩氏は、精神医療が関わる「自傷他害」をめぐって第1章で考察し、「事象」については『常に本人の「自己決定」のとおりに常にすべきだとは言えない』(P.30、この文章も「常に」が重複していたり、「常にするべきだとは言えない」は自己決定の否定のように読むことも可能だが、ここでは「自己決定のとおりにしないことも時にはある」と読んだ)として、「自傷に関わる余地がある」(P.30)と考えるようで、『自傷については「恐れ」には慎重である必要があるとしても、医療が面倒をいてもよいだろう』(P.28)としている。
一方で、「他害」については、「精神医療による対処を是認するかというと、そうはならない。精神医療は他害に対する処置としての強制、他害を防ぐための処置としての強制医療を行うべきでない」(P.33)、「医療はふつうに考えても困難な予測や初速に基づく監禁等に関与しないほうがよい」(P.28)と考えている。
これは、刑罰や犯罪への対処を否定するのではなく、「犯罪としての加害に対してはそれに対応する職・人」に委ねよう(P.36)ということだ。
また、「確率・予測に基づく強制処置は侵害的である。加害は加害として、行為として顕在化した場合に、取締まるなり罰す流なりすればよいというのが基本となる」(P.36)。
しかし、そのすぐあとで、「もちろん実行と予告とは異なる。殺人の予告は殺人ではない。だが、予告自体が加害行為である。しかじかの人々は死ぬべきであるという発言も加害行為である」(P.36)。とするのだが、なぜその発言が加害行為となるのかの説明はない。
「脅迫罪」の成立要件を満たせばともかく、こうした考え方について「DVやヘイトスピーチのことを考えても、基本的な方向は間違っていないはず」(P.36)。とするのだが、殺人の予告とDVやヘイトスピーチとを無限定に同列に置くのは、いささか乱暴ではないだろうか。
もう一人の著者杉田俊介氏については、「ネトウヨ」などの言葉が出てくるとき、その定義はなされていない。
人や事象を評価するとき、そうした使い方でいいのだろうかと疑問を持ってしまった。
同意はしかねるが、「障害者だろうが健全者であろうが何だろうが、人間の生には平等に意味がない」「生存という事実には、そもそも意味も無意味もない、ということ」(P.147)というテーゼを出発点据えることは、考察という行為にとっては意味があるのかもしれない。
このテーゼは「障害者だろうが健常者(前は「健全者」としていたが「健常者」と変化している)であろうが、人間の生には平等に意味が無いのであって、意味と無意味の線引きを拒絶し続けることによって、僕らは内なる優生思想/ヘイトてきなもの/ジェノサイドの芽を断ち切っていくべきである。」と結ばれていくのだが、「平等に意味が無い」を「平等に意味がある」とすることでも、同様の方向には向くことはできないのだろうか。
両者の論考や対談を踏まえても、自分自身が相模原事件の整理したい方向、しなければならない方向とはズレを感じた。
毎日新聞
東京新聞
週刊朝日
はじめに――立岩真也
Ⅰ ――立岩真也
 第1章 精神医療の方に行かない
 第2章 障害者殺しと抵抗の系譜
 第3章 道筋を何度も作ること
Ⅱ ――杉田俊介
 第1章 優生は誰を殺すのか
 第2章 内なる優生思想/ヘイト/ジェノサイド
Ⅲ ――立岩真也+杉田俊介
 討議 生の線引きを拒絶し、暴力に線を引く
 1 まず何を、誰に、どのように書いたか
 2 立ち返るべき場所、開いていく歴史
 3 マジョリティでもマイノリティでもない者の鬱屈
 4 さまざまな「言い方」の実践
 5 施設、あるいは地域をどうするか 
 6 この時代と人の不安を語ることの困難
 7 解毒し、線を引くこと
おわりに――杉田俊介
文献表
立岩真也/著
杉田俊介/著
青土社

 

 

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