滅びの聖地めぐりバスツァー~猿島、城ケ島、鎌倉、根岸
バスツァーで、三笠桟橋~猿島~三笠桟橋~ポートマーケット~お昼~城ケ島馬の背洞門~鎌倉・東勝寺跡~腹切りやぐら~旧根岸競馬場一等馬見所と回ってきました。
ほぼ地元なので、自力で行けないことはないのだけれど、地元であればいつでもいける感があり結局行かずじまい、これだけまとめていくのであればと乗ったのでした。
猿島公園入園チケット、船のチケットと兼用です。
海から三笠を見るのは珍しい。
三笠桟橋から猿島までは10分の船旅です。
艦影が見えますが番号などはわかりません。
真之さんなら艦名がわかるのでしょうか。
猿島は目前です。
まもなく猿島に接岸します。
海は意外に透明です。
Sea Friend Zeroは三笠桟橋に戻るっていきます。
猿島案内板と、「海軍港」の標柱がありますが、標柱は折れています。
蒸気機関の発電所(電気燈機関室)が残っています。
猿島は、1847年に江戸幕府によって台場が築造され、以後要塞とされました。
兵舎跡です。
トイレ跡や弾薬庫跡が残っています。
砲台に行く石段なども残っています。
戦後は米国に接収されました。
トンネルはフランス積レンガが残っています。
トンネルの内部に平行しては2階建ての地下室が建設され、司令部や兵舎などにつながっていたようです。
トンネルを出て歩いていくと、砲台跡に出ます。
DDG-174、護衛艦きりしまがどこかに向かって航行しています。
この辺りには、第二次世界大戦期に8センチ高角砲が設置されました。
猿島からは、米海軍基地は直接は見えません。
展望台は、もとはショッカー軍団の基地だったそうです。
12.7センチ高角砲跡も残っています。
Sea Friend Zeroで三笠桟橋に戻ります。
猿島公園
ポートマーケットで、海軍カレーのルウを購入しました。
久里浜でお昼、「鮪尽くし」でしたが、これでは三崎が怒りそうです。
東京湾フェリーのしらはま丸が到着しました。
城ケ島大橋を渡て城ケ島へ。
越冬地なので冬にしかいない海鵜の生息地を眺めて、馬の背洞門に降りていきます。
馬の背洞門以外にも、洞門があります。
ハマヒルガオが咲いていました。
城ケ島の駐車場には、ワシントン海軍軍縮条約によって除籍された戦艦「安芸」の副砲(25.4cm(45口径)カノン砲)が設置された砲台跡が残っています。
神奈川県立城ケ島公園
鎌倉の東勝寺跡に移動します。
東勝寺橋には、「バキ文具店~鎌倉代書屋物語~」のロケが行われたとのポスターが掲示されていました。
1333年5月13日、新田義貞の軍勢が攻め入るなか、敗北を悟った北条高時たちの一門が立て籠もったのが東勝寺、自ら火を放ち、自刃して鎌倉幕府は滅亡したのでした。
東勝寺跡
八幡さままで歩くと、カマキンは塀に囲まれていました。
根岸森林公園に移動します。
アメリカ海軍根岸住宅地区が、残存しています。
根岸森林公園は、1866年に外国人居留地の娯楽施設として建設され、1867年に外国人クラブの主催で日本初の洋式競馬が行われた場所で、現在は旧根岸競馬場一等馬見所が残っています。
あたりは第二次世界大戦後米軍に接収され、1947年に住宅が建設され、根岸住宅地区(当初名はX住宅地区)とされました。
2009年2月に近代化産業遺産の認定を受けたが、保存作業は行われておらず、朽ち果てるに任されています。
この窓だけでも保存できないものでしょうか。
はアメリカ人の建築家J・H・モーガンによって設計され、1929年に竣工しました。
旧一等馬見所にはモーガンの設計図や竣工当時の写真パネルが展示されています。
また、根岸森林公園付近には、根岸競馬記念公苑や馬の博物館もあります。
根岸森林公園
歩数は15,000歩前後だった模様。
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