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2017年5月19日 (金)

夕陽妄語1 1984‐1991

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加藤氏が取り上げるテーマは時事や文化、歴史や思想などと幅広く、そして論旨明晰、簡潔にして妙。
一言で言えば、歩く百科全書。
この幅の広さは、読む者にとっても、ぐいぐい引き込まれるものばかりではなく、自分が脅威を持って考えているテーマとは違うなと読み飛ばしてみたくなるものもある、ということだ。

1985年9月22日の「真夏の世の<悪>夢」では、軍事予算の1%枠を外そうとしていること、靖国神社への公式参拝、機密保護法案の三つのテーマに対する加藤さんの思いが書かれている。
当時の状況と加藤さんの思いはそれとして、30年を経たいま、軍事予算の1%枠は集団的自衛権の容認へ、靖国参拝は「内閣総理大臣」記帳する「私人」の参拝としていまも続き、機密保護法は秘密保護法や共謀罪の制定へとすすみ、さらには、内閣総理大臣たる者が「総裁として」と使い分けをしたうえで憲法の原則を否定する「改正」をあらかじめ日程を示してすすめようとする方向に手がつけられようとしている。
こうした動きに反対あるいは異論を示せば、「反日」「売国」「非国民」として排除するのは、戦前から変わらない。
それは政治的なありようにとどまらず、この国の「集団主義」を表現しているともいえるのではなかろうか。

1989年は壁の年であるが、加藤氏が壁やその後の動きについて書いたのは、11月20日付「崩れたベルリンの壁」、翌年1月22日付「一九九〇年代のために」で冷戦終結を背景とした政権交代にふれているほかは、1991年12月16日のソ連崩壊にかかわる「八月革命・その年の終わりに」と、この一連のできごとにふれた内容の文章が少ないし、客体視的な印象である。
加藤氏が意識的にそうしたのかは、わからない。
対するに、湾岸戦争にかかわるテーマのほうでは、より自らの問題としてのとらえ方となっている。
これは、資金を出し兵を出した日本とのかかわりからいえば、当然のことだろう。

それにしても思うのは、昨今の「政治」の軽さであり、そうした政治を人々に伝えるべき「報道」の軽さである。
一言で言えば、劣化ということか。
それは、「夕陽妄語」を連載していた新聞についても同様である。
いったい、どうしてしまったのだろうか。

加藤周一/著
筑摩書房

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