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2017年4月28日 (金)

ロボット

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最初に本書を読んだのははるか20世紀のころで、「山椒魚戦争」はさらに前で、たぶん1970年代にもなっていなかったころである。
「長い長いお医者さんの話」を読んだのは、さらに前のことだったはず。

さて、この「ロボット」、「R・U・R」、「Rossumovi univerzální roboti」を、21世紀に、フクシマを経験した私たちは、どう読むか。
例えば第一幕の終盤で、R・U・R社社長ドミンの台詞(P.108)。
それぞれの工場から生産されるロボットは皮膚の色が違い、違った毛を持ち、違った言葉を話すのさ。お互いに見知らぬ、まるで石のように無関係になり、もう永遠に理解し合えないようになる。そして、それに加えて、われわれ人間がやつらにほんのちょっとだけ教育をほどこすというわけ、分かるかい? ロボットが死んで墓に入るまで永遠に他の工場のマークのついたロボットを憎むようにさ。
この台詞は、なんだかバベルの塔を、そして「猿の惑星」を思い出すのだが、それ以上に、21世紀の私たちの姿を語っているのではないか。
「機械」「手段」としてのロボットが、生産現場に限らず、さまざまな分野で欠くことのできない存在となっている現状のことではない。
人間が機械になってしまっているのではないか、という危惧である。
「ロボットは人間ではございません。機械的には私たちよりも完全で、素晴らしい理性的知性を具えておりますが、魂は持っていないのです」(P.25)とドミンが説明するロボットは、あるいは、そう説明するドミンは、空想でもなんでもなく、いま、私たちの身近にいる人びとの姿と重なってしまう。

第一幕扉に描かれたロボットのイラストの左端のカットは、第二幕扉を見るとわかるのだが、たぶん、左右逆転している。

カレル・チャペック/著
千野栄一/訳
岩波書店

 

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