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2017年3月20日 (月)

要塞地帯だった北鎌倉を歩く

北鎌倉駅を降りて県道を横断すると、東京湾要塞第二区地帯標が建っています。
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正面に「東京湾要塞第二区地帯標」、右側面に「第四五号」、左側面に「昭和十六年七月三十日建設」、背面に「海軍省」と彫られています。
三浦半島は、1899年(明治32年)公布の要塞地帯法により、全域が要塞地帯に指定されました。
要塞地帯を示すため石標が建てられ、造営物からの距離に応じて、「第一区」、「第二区」、「第三区」とされたそうです。

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円覚寺前の県道の北側に、牛馬道と土手があり、土手の上から円覚寺と境内を通る横須賀線が見えます。
この牛馬道は、円覚寺の古図にも描かれています。

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おちゃぶきさまの小路に入っていくと、小さなおちゃぶきさまがあります。
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途中に、ほとんど朽ちかけたようなお社があります。
どんどん歩いていくと、台の崖下に三孫稲荷社がありました。
周りがこれだけ開発される前だと、お社のまわりはもっと鬱蒼としていたのでしょう。

小袋谷の踏切を渡り、横須賀線に沿って北鎌倉駅に向かって歩きます。
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「三級基準点 横須賀市水道局」の標識があります。
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場所は、北鎌倉駅に向かって、横須賀線権兵衛踏切の手前です。
なぜ鎌倉市域に横須賀市水道局の標識が?
それは、次のような歴史があるからです。
1876年に横須賀海軍工廠を中心とした海軍施設に対水を供給するため、専用水道が走水の水源地から敷設されましたが、水の需要が増加したため、愛川町の半原水源地から横須賀市の逸見浄水場まで約53kmの水道路の敷設が計画され、1918年に横須賀海軍水道路半原系統として完成しました。
また、1939年に相模川の相模大堰で取水する有馬系統が着工され、藤沢市の柄沢橋あたりで半原系統と別れ、鎌倉市山崎を抜け小袋谷から横須賀線北側を通り、巨福呂坂を抜けて大町で半原系統と合流し横須賀まで通水しています。
有馬系統は終戦までは完成しなかったようですが、国から横須賀市に無償譲渡されました。

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洞門山の好好洞トンネルは、旧好々亭入口です。
中に進むと、いまは塞がれていますが、左右に横穴の入口があります。
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これも、終戦間近に相模湾に上陸すると想定された連合軍に対する抵抗拠点として、横須賀海軍鎮守が建設していた陣地の一部(防空壕)のようです。

このあたりは宮下小路と呼ばれています。
北鎌倉駅から宮下小路までの道は、途中の洞窟トンネルが崩落の危険があるとして通行止になっているので、直接来ることはできません。
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なぜ宮下小路なのか、それは石段を上がると八雲神社があるからです。
この辺りの崖にも、抵抗陣地が作られたようですが、今はコンクリート崖になっていて、様子はわかりません。
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八雲神社から山ノ内が俯瞰できます。

八雲神社から少し歩くと、雲頂庵です。
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雲頂庵は円覚寺塔頭ですが、参拝はできません。
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しばらく歩くと、円覚寺境内が見えてきます。

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円覚寺仏殿と山門
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円覚寺を抜け、ふたたび横須賀線沿いに犬走りの小径を歩くと、横須賀市の消火栓のマンホールや空気弁のマンホールがあります。
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明月川沿いに歩くと、崖に穴らしきものが見えます。
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これも抵抗陣地の名残かもしれません。

1945年2月、連合軍の日本本土上陸作戦に対する本土決戦の一環として相模湾周辺の防衛を主任務とした第五十三軍に属し、相模湾沿岸の藤沢の東側(三浦半島を除く)で防衛を任務として編成された特設師団として陸軍第一四〇師団が編成されました。
師団司令部は片瀬町に置かれましたた。
師団は、腰越から北上する県道と大船の鎌倉街道に沿って、迎撃抵抗拠点陣地を構築したようですが、完成する前に敗戦を迎えたようです。
歩兵第401連隊(鎌倉山)、歩兵第402連隊(千畳敷山)、歩兵第403連隊(藤沢市)、歩兵第404連隊(御所見村)、第140師団砲兵隊、第140師団速射砲隊、第140師団輜重隊、第140師団通信隊、第140師団兵器勤務隊、第140師団野戦病院が所属していました。

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浄妙寺
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浄妙寺の駐車場裏の崖にも、抵抗陣地が構築されていたようです。
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円覚寺門前にはサンシュユが咲いていますが、横須賀線は横須賀軍港への物資運搬のために建設された軍用路線、円覚寺境内を突っ切っています。

要塞地帯法については、ここが参考になります。

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