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2017年3月 3日 (金)

現代思想10月号 相模原障害者殺傷事件

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発刊された当時は、とても読もうという気力はなかった。
容疑者に対する鑑定留置は2月20日に終了し、「自己愛性パーソナリティ障害」の診断が出たが、刑事責任能力はあるということで、拘留期限の2月24日起訴された。
こうした状況となったので、読んでみることにした。
書いている人たちのなかには、知っている人、面識のあった人も書いている。

しかし、読み始めて4日目、これ以上読み進めようという気力がなくなり、嘔吐感さえもよおしてしまった。
それは、このリンク先に関する記述を目にしたときである。
https://www.hospital.or.jp/pdf/06_20150424_01.pdf
なので、全く別の本に切り替えて読むしかなかった。
発刊当時だったら、きっと投げ捨ててしまっただろう。
結局読み終えるのに、10日近くかかってしまった。

さて、昨秋の刊行なので、総じて整理しきれていないといった段階ではないか。
事件を受けて概要を知り考えをまとめるには、早かったのかもしれない。
自分自身でも整理しきれていなかった(今もだが)ので、とやかく言うことはできないけれど。
また、この時点での容疑者の診断名は、まだ出ていなかったものの精神障害者の視点・立場からの文章はいくつかあり、親族に障害者がいる人の文章もあるのだが、施設を運営し管理し従事する人たちの視点・立場、利用者やふつうの(という言い方も変だが本書の執筆者のような専門性のある人ではないという程度の意味で)家族の視点・立場からの文章は、ほぼ無い。
そして、それぞれの論者がまさにその混乱のなかにあるという意味では、さまざまな混乱がある、つまり考えていく糸口がたくさんあるということになるだろうし、そのように捉えれば、自分自身のなかにある混乱とリンクさせていくことで、整理する方向が見えてくるのかもしれない。

そのうちのいくつか。

例えば、「私たちは、できるだけ多くの人ができるだけたくさん幸福であることが良い」「言い換えれば、不幸や不快ができるだけ少なく、小さくなることが良い」という例を出し、これを「功利主義」であるとする。
そして「功利主義は危険な思想である。功利主義に基づくと、他人に多くの快楽や幸福をもたらすことができる人の生は重んじられ、逆に、他人に苦労を要求せざるをえない弱者の生は軽いものになってしまうからだ。その弱者には、障害者や老人が含まれる」とすすむ。
さらに「他人に迷惑をかけてはいけないよ」をめぐって、「人が生きるということは、ほとんど常に、他人に迷惑をかけることである。そして、この当たり前の規範が、障害をもつ人にとっては抑圧的なものになりうる。との指摘(P.42~43)があり、「他人に迷惑をかけたっていいではないか」「時には、他人に迷惑をかけるべきだ」(引用はP.41~43「この不安をどうしたら取り除くことができるのか」)と疑問を投げかけるのだが、そうなのか。
そもそも前提となっている「他人に苦労を要求せざるをえない弱者」という命題の置き方、障害者が周囲にヘルプを求めることを「迷惑」であり「弱者」であると捉えることを前提にすることには、疑問を感じてしまう。

「早期発見早期療育」にふれている文もある。(P.64)
医学モデルと社会モデルの考え方を紹介したところで、「一九七七年当時は医学モデルが主流であり、脳性まひの疑いがある子どもを早期に発見してリハビリテーションを開始することで、健常者に近づけようという「早期発見早期療育」ムーブメントが活発だった」としている。
「早期の脳圧なリハビリによって、脳死まひ児の九割以上は治る」との「権威ある専門家」の記述があるとされているが、地域療育にかかわっていた頃、もう1980年代半ばになろうとしていた頃だが、「障害の軽減」「二次障害防止」「親」「自立」といったキーワードはあっても、「治る」というベクトルでのかかわりはなかったように思う。
「先進」と言われていたところに行って話を聞いたことも何度かあったが、地域によって違いはあったのだろうか。
たしかにこのときは障害がある(と疑われる)子どもを見ていて、社会との関係で障害をとらえることはしていなかったのであるが。

「生きるに値しない生命はない」との命題をたてたとき、この事件の容疑者に対しても「生きるに値しない生命はない」と言い切ることができるだろうか、また、死刑制度そのものの存在を問うことになるはずだが、どうするか。(P.101、P.116)

2004年の相模原事件にも触れている。(P.148)
しかし、もうひとつの事件には触れられていないのだが、根源的に課題を問おうとするならば、触れなきゃいけないことなのだろうが、しかし、自分にはできない。

当たり前のことなのだが、「自傷他害のおそれ」は、犯罪の予見性のことを言っているのではないし、精神科病院は治安や保安のための施設ではない。

緊急特集*相模原障害者殺傷事件
【エッセイ】
 「事件」の特異性と普遍性を見つめて / 森達也
 障害と高齢の狭間から / 上野千鶴子
 ぼちぼちの人間世間へ / 最首悟
 この不安をどうしたら取り除くことができるのか / 大澤真幸
 「日本教」的NIMBYSMから遠く離れて / 斎藤環
 「個人の尊重」を定着させるために / 木村草太
【「当事者」からの視点】
 事件の後で / 熊谷晋一郎
 相模原障害者虐殺事件を生み出した社会 その根底的な変革を / 尾上浩二
 相模原市障害者殺傷事件から見えてくるもの / 中尾悦子
 相模原市で起きた入所施設での大量虐殺事件に関して / 白石清春
 「言葉に詰まる自分」と向き合うための初めの一歩として / 星加良司
【反復する優生思想──障害をめぐる生政治】
 反ニーチェ / 市野川容孝
 「生きるに値しない生命終結の許容」はどのように語られたか / 大谷いづみ
 優生は誰を殺すのか / 杉田俊介
 事件が「ついに」起こる前に「すでに」起こっていたこと / 児玉真美
【「障害者殺し」の系譜――運動史からの問い】
 七・二六殺傷事件後に 2 / 立岩真也
 「殺意」の底を見据えること / 荒井裕樹
 相模原障害者施設殺傷事件と優生思想 / 廣野俊輔
【医療観察と「社会防衛」――精神障害をめぐるポリティクス】
 精神医療と司法・警察の「入り口」と「出口」という問題系 / 高木俊介
 ”役に立たない” ”危険な人間”二つの苦しみ / 桐原尚之
 精神障害者の立場からみた相模原障害者殺傷事件 / 船橋裕晶
【介護労働の現在】
 介護者は「生気の欠けた瞳」をしているのか / 深田耕一郎
 障害者地域自立生活支援の現場から思うこと / 渡邉 琢
 津久井やまゆり園の悲劇 / 西角純志
【憎しみの時代ヘイトクライムとしての相模原事件】
 「これはヘイトクライムである」の先へ / 明戸隆浩
 このいま、想像力の圧倒的な欠如 / 岡原正幸
 土地の名前は残ったか? / 猪瀬浩平

青土社
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2976

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