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2017年1月 1日 (日)

読むことは旅をすること―私の20世紀読書紀行

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「失われた時代」(1990)、「見よ、旅人よ」(1986)、「詩人であること」(1983)、「笑う詩人」(1989)、「詩と時代 1961―1972」(1985)、「われらの星からの贈物」(1994)、「読書百遍」(1986)に収められてきたエッセーを集大成したとある。
集大成は良いのだけれど、それぞれの本の「あとがき」のところに、きらめく言葉があったりもするので、「あとがき」がないと、ちょっと寂しい気もする。

長田氏は旅の詩人だが、長田氏にとってこの旅は、「真情や壮語に近」く「政治の問題」であり「イデオロギーの問題」であるナショナリズムとは違う、「気質や寡言に近」く「日常の問題」であり「ライフスタイルの問題」である「パトリオティズムを再定義すること」であった。(P.482)
ナショナリズム的な「愛国心」とは異なるパトリオティズムについて、長田氏はジョージ・オーゥエルの言葉を引用する。
「私がパトリオティズムとよぶのは、特定の場所と特定の生活様式に対する献身的な愛情であって、その場所や生活様式こそは世界一だと信じているが、それを他人にまで押し付けようとは考えないもののことである。パトリオティズムとは、本来、防御的なものなのだ。ところがナショナリズムのほうは、権力志向とむすびついている。ナショナリズムたるものはつねに、より強力的な権力、より強大な威信を獲得することをめざす。それもじぶんのためではなく、個人としてのじぶんを捨て、そのなかに埋没させる対象として選んだ国家とか、これに類する組織のためなのである。……ナショナリズムとは、自己欺瞞を含む権力願望なのだ」(P.150)
"My Country Right or Left"で「愛国心というのは保守主義とは何の関係もない。それは、変化しながらも不思議なまでにもとのままだと感じられる何物かに身を捧げることである。例えて言えば、もと白軍にいたボルシェビキがロシアに対して抱く感情のようなものだ。」と書き、第二次世界大戦ではHome Guardの一員となったオーウェル。
沖縄のパトリオティズムが大和のナショナリズムによって潰されているいま、長田氏が試みようとしたパトリオティズムの再定義を、もう一度噛みしめたい。

長田氏がオシフィエンチムを訪ねたときの文がある。(P.82)
オシフィエンチムは、アウシュヴィッツ強制収容所(第一収容所)が設置されたところだ。
そこを訪れたのは「わずか二十六年前」という記述がある(P.84)ので1971年のポーランド訪問のときだろう。
そのときすでに「観光団体の名所めぐりのひとつとなっていた」(P.83)とあるが、私にとっても2011年にミュンヘン郊外のダッハウに行ったことと重なる。
「夜と霧」の著者ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)が収用されていたダッハウには、ミュンヘンからわずか20km、電車で20分、さらにバスに乗って10分で行くことができる。
このときはすでに、加藤健一事務所の舞台「詩人の恋」を見ていて、収容所の存在や、登場人物のひとりがダッハウを訪れ、ダッハウでの展示の説明にはドイツ語表記しかないのでドイツ人以外にはわからない、展示のしかたについてもこんな展示は真実を伝えていない、という台詞を覚えていた。
私が行ったときは、バスを降りて収容所入り口前のホームの跡まで、しばらくは公園のような木々の下を歩き、そして「ARBEIT MACHT FREI」の文字のある門をぬけて収容所に入る。
展示内容の説明板はドイツ語と英語の表記となっていたが、70年前には出る人のいなかったこの門に至る道や中のムゼウムでの展示など、「こんな展示は真実を伝えていない」と言い切れるかどうか、あるいは長田氏が感じた「観光団体の名所めぐりのひとつ」にしても、記憶をとどめようという目的のための展示方法はどうすればいいのか、悩ましいところである。
長崎原爆資料館の新設に当たっては展示方法や展示内容をめぐる議論があったように記憶しているのだが、広島なども含めて、いまはそのような議論があるのだろうか。

「失われた時代」の後記(本書には収録されてはいない)によれば、長田氏は1971年のソヴェト、ポーランド、1972年のスペイン、フランス、1975年のイギリスを訪れている。
アメリカでのくらしは1971年から1972年。
いずれも30歳台の前半のことだ。
本書を読めば、その後も出かけていることはわかる。
最初のときや再訪のときにそれぞれの地に立つ自身の身体で受け止めたものを、長田氏はずっと持ち続けたのだろう。

目次に初出と国とを補足してみた。
はじめに
失われた記憶を求めて
 海辺の墓地 ← 失われた時代・スペイン
 テレジーンへの道 ← 見よ、旅人よ・チェコ
 百塔の街から ← 単行本未収録・チェコ
 アウシュヴィッツ以前以後 ← 詩人であること・ポーランド
 詩が矜持である国 ← 単行本未収録・ポーランド
 クラクフまで ← 見よ、旅人よ・ポーランド
 オシフィエンチム ← 失われた時代・ポーランド
 一人の詩人に話しかけて ← 単行本未収録・ポーランド
 アンダルシーアの村で ← 失われた時代・スペイン
 カタルーニャ幻影行より ← 失われた時代・スペイン
 物語の後の時代 ← 詩人であること・スペイン
 パトリオティズムの行方 ← 笑う詩人・スペイン
無言の肖像
 フラナリー・オコナーの記憶 ← 見よ、旅人よ・アメリカ
 アイオワの小さな町から ← 詩と時代 1961―1972・アメリカ
 汝、故郷に帰れず ← われらの星からの贈物・アメリカ
 メキシコのポサダ ← 詩人であること・メキシコ
 絶望からちっぽけな笊を ← 詩人であること・フランス
 ニザン探索 ← 失われた時代・フランス
 デスノスの遺した詩 ← 単行本未収録・フランス
 トリノ・丘・パヴェーゼ ← 見よ、旅人よ/詩人であること・イタリア
 アコーディオン弾きの沈黙 ← 笑う詩人・ギリシア
 レニングラードという街があった ← 見よ、旅人よ・ソ連
 アフマートワを探して ← 見よ、旅人よ・ソ連
 ロシアの詩人たちの墓 ← 見よ、旅人よ・ソ連
 ペレジェキルノ・ある村の物語 ← 失われた時代・ソ連
 レオーノフの帽子屋 ← 失われた時代・ソ連
 生きる自由は森に、墓は木の下に ← 読書百遍・ソ連
 魅せられた旅人 ← われらの星からの贈物・ロシア
書かれざる歴史
 シンガポール・ブルース ← 見よ、旅人よ・シンガポール
 一九三九年のフーガ ← 詩人であること・日本
 ある詩人の墓碑銘I スペインの小さな村 ← 失われた時代・スペイン
 ある詩人の墓碑銘II イギリスの小さな町 ← 失われた時代・イギリス
 W・H・オーデンの遺言 ← 見よ、旅人よ・アメリカ
 ウェストミンスター寺院の詩人 ← 詩人であること・イギリス
 次の戦争 ← われらの星からの贈物・スペイン
出典参照文献の主なもの
収録詩一覧
あとがき
人名索引

長田弘/著
平凡社
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コメント

「「夜と霧」の著者ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)が収用されていたダッハウには、ミュンヘンからわずか20km、電車で20分、さらにバスに乗って10分で行くことができる。」と書いたが、フランクルが収容されたのは、ダッハウの支所カウフェリング(ミュンンヘンの西、レヒ川沿い)とトゥルクハイム(カウフェリングのさらに西、ミュンヘンから80km強)である。

投稿: 楠の末裔 | 2019年8月15日 (木) 14時52分

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