« 禅@2度目、山岸凉子@2度目 | トップページ | プーの細道にたった家 »

2016年11月13日 (日)

障害福祉の父 糸賀一雄の思想と生涯

161031_011  161031_012
事件を受けてあれこれ思うことは多々あり、直接の当事者ではないが障害をもつ人たちやその障害のある人の家族とも、さまざまな話をする機会があった。
被害者になかに、施設に入所する前地域で暮らしていたときに、障害者支援の事業で直接接していた者がいたこと、当該施設を利用する人たちにかかわる仕事をしてきた経験がある。
また、加害者の側に関しても、関係する業務にかかわる仕事をしてきた経験がある。
その意味では事件について双方の面から見ることができるのだが、それゆえなかなかまとめることができないでいる。
では、他のひとたちがどう考たのか。
この事件に関しては、あれこれの論議はある。
ネットにおけるようなある種の独善的な意見は論外としても、真面目な論調においても我がこととして見るのではなくどうも第三者として論評しているように思えてならなず、いまひとつピンとこない。
むろん、第三者として客観的に見る視点は大事なことはわかっているが。
その意味では、あの事件について、きょうされんの藤井克徳さん(日本障害者協議会会長・きょうされん専務理事)が寄稿している内容が、自分の中には落ちてくる。
http://www.huffingtonpost.jp/nobuto-hosaka/sagamihara_b_11863594.html

事件をめぐる報道の中で、糸賀氏の「この子らを世の光に」の言葉がさかんにでてきたのだが、その使われ方では発達保障の観点がすっぽり抜け落ちているように思えた。
糸賀氏のことばを引いておこう。
「この子らはどんな重い障害をもっていても、だれと取り替えることもできない個性的な自己実現をしているものである。人間と生まれて、その人なりに人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちの願いは、重症な障害をもったこの子たちも立派な生産者であるということを、認め合える社会をつくろうということである。『この子らに世の光を』あててやろうという哀れみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよ磨きをかけて輝かそうというのである。『この子らを世の光に』である。この子らが、生まれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである」(糸賀一雄「福祉の思想」日本放送出版協会 P.177)

糸賀氏たちによる近江学園の設立は1946年であるが、当時においてすでに「施設の価値、社会的存在理由は(略)単なる社会問題の解決のためにあるのではなく、社会的自立を目指した施設が露呈する問題を施設サイドではなく、むしろ社会のサイドが解決しなければならないところにある」(本書P.30)と糸賀氏たちが考えていたのだとしたら、数十年前の実践とその後のさまざまな取り組みの積み重ねは、事件によって一挙に崩されてしまったといっても過言ではあるまい。
さらに、被害者側のみならず、加害者の側、現在は鑑定留置中であるので疾患の有無や疾患名などはまだわからない(措置入院が行われた当時の疾患名は出ているが)けれども、加害者が精神保健福祉法に基づいて入院の措置を受けていたことで、「精神障害」に対する取り組みについても、同じように崩されてしまった感がある。

そこで、あらためて糸賀氏が何を考え何をしようとしたのかを確認しておきたいということで、本書を読んでおくことにした。
2001年にNHK出版から「この子らを世の光に 糸賀一雄の思想と生涯」が刊行されていて、それは以前読んでいるが、本書はこの2001年版の第2部に「はしがき」と「終章」を加筆し2014年に刊行された。
本書は、糸賀氏の生涯を踏まえて近江学園の実践の総括、そして糸賀氏の思想形成の分析と受け継ぐものの検討を行っている。
ただ、発達保障論についての掘り下げは少ない。
発達保障論については、田中昌人氏の業績(田中氏も糸賀氏とともに近江学園に関わった人だ)を踏まえなければなるまい。

推薦の言葉
はしがき
凡 例
序 糸賀思想の分析視角
第一章 糸賀一雄の生涯
 1 青少年時代
 2 代用教員及び召集解除の時代
 3 滋賀県庁時代
 4 近江学園時代
第二章 糸賀一雄の福祉実践──わが国の先駆的実践例
 1 近江学園の創設
 2 重度障害児者への対応
 3 精神薄弱者福祉法(現・知的障害者福祉法)の成立への貢献
 4 「手をつなぐ親の会」などの支援
 5 早期発見・早期療育システムの開拓的試み
 6 福祉リーダーの養成
第三章 糸賀一雄における福祉の思想
 1 青年糸賀の思想形成──その哲学的背景
 2 糸賀の福祉理念──この子らを世の光に
 3 糸賀の福祉思想──発達保障の考え方
第四章 糸賀の思想的遺産──世界の中での糸賀の福祉思想
 1 克服すべき課題
 2 糸賀思想の先駆性
 3 「光」の意味するもの
終章 糸賀思想の今日的意味
 1 糸賀一雄生誕100年
 2 糸賀思想のメッセージ
 3 欧米の福祉理念
 4 糸賀一雄の福祉リーダーシップ
 5 むすびにかえて──糸賀一雄学の提唱
年譜でみる糸賀一雄の生涯
糸賀一雄関連文献リスト
あとがき

京極高宣/著
ミネルヴァ書房
http://www.minervashobo.co.jp/book/b185354.html

旧著「この子らを世の光に 糸賀一雄の思想と生涯」の目次は次のとおり。
まえがき
第1部 福祉政策と糸賀一雄
 序 近江学園と糸賀一雄
 第1章 戦後社会福祉と糸賀一雄
  戦後社会福祉の二大支柱 ― 生活保護法と児童福祉法
  糸賀を担いだ二人の教育者
  ノーマライゼーションの提唱
 第2章 社会福祉の改革 ― 措置から契約へ
  三点セットの行政丸抱えシステム
  介護保険外の障害者介護
  福祉基礎構造改革とは
  自立の意味
  自助と互助と公助
 第3章 糸賀思想の今日的意義
  問われるサービスの質の評価
  社会福祉協議会の役割
  地域とのつながりを豊かに―近江学園とレガート甲賀
  必要なビジネス感覚
  実践思想家としての糸賀
 第4章 21世紀への糸賀思想のメッセージ
  糸賀の人となり
  新しい理念としての自立支援
  21世紀は福祉の世紀
第2部 糸賀一雄の福祉思想
 序 糸賀思想の分析視角
 第1章 糸賀一雄の生涯
  1 青少年時代
  2 代用教員及び召集解除の時代
  3 滋賀県庁時代
 第2章 糸賀一雄の福祉実践──わが国の先駆的実践例
  1 近江学園の創設
  2 重度障害者への対応
  3 精神薄弱者福祉法(現・知的障害者福祉法)の成立への貢献
  4 「手をつなぐ親の会」などの支援
  5 早期発見・早期療育システムの開拓的試み
  6 福祉リーダーの養成
 第3章 糸賀一雄における福祉の思想
  1 青年糸賀の思想形成──その哲学的背景
  2 糸賀の福祉理念──発達保障の考え方
 終章 糸賀の思想的遺産──世界の中での糸賀の福祉思想
  1 克服すべき課題
  2 糸賀思想の先駆性
  3 「光」の意味するもの
糸賀一雄年譜

******

事件をめぐって、いま、押さえておきたい視点は、あの事件をめぐる論議の背後に見え隠れする「社会防衛論」である。
一義的には加害者にかかわっての社会防衛論で、事件後、「犯罪を犯した精神障害者は隔離しておけ」のような声は数多く見聞きしたのだが、ここには二重の意味での社会防衛論があると思う。
ひとつは、犯罪者に刑を科し隔離することによって社会を犯罪から防衛するという意味での社会防衛論である。
新社会防衛論になると、意味合いは変わってくるだろうが、新社会防衛論も含めて「刑」としての社会防衛論の持つ意味については、ここでは触れない。
触れておきたいのは、もうひとつの社会防衛論、つまり、異質なもの=障害者に対して非寛容であったり排除したりすることで成り立つ、あるいはそうしたことを成り立たせる社会防衛論だ。
かつての「保安処分」の論議はまさに排除で成り立つ社会防衛論的発想だろうし、「病状の改善及びこれに伴う同様の行為の再発の防止」を目的として掲げている「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(医療観察法)による処遇も、限りなく社会防衛論的な考え方に近いと考えられる。
制度にとどまらず、現実においても、2012年に、アスペルガー症候群の加害者に対し、検察の求刑を上回る実刑判決を出した大阪地裁判決も同様だろう。
判決では「社会内でアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていない」「許される限り、長期間刑務所に収容することが、社会秩序の維持にも資する」と言い切っており、社会防衛的隔離以外の何物でもないだろう。
事件をきっかけに精神保健福祉法の「措置入院」(これはあくまでも「医療及び保護のため」)の見直しが論議されているが、その方向性が社会防衛(あるいは保安処分)的な側面を強化するものであってはならないと考える。
また、社会防衛というと、公衆衛生と不可分であろう。
感染症や食中 毒の発生防止に関して、社会防衛的な視点での施策が多々行われているのは周知のとおりであるが、旧「らい予防法」のように、公衆衛生としての施策が著しい人権侵害をもたらしたことは忘れてはならない。

現在は見直しが行われているが、以前、さまざまな法律に障害者に関する欠格条項があった。
なぜ欠格条項が定められていたのか、それは「障害者に資格や免許、機会を与えることは、社会の安全を脅かす」という社会防衛思想が根底にあったからにほかならない。
欠格条項によって障害者は社会から排除されるだけではなく、欠格条項に盛り込まれている存在であるということが、障害者に対する差別や偏見が生まれたという面もあるだろう。
障害者施設への「収容」も、障害者を社会的害毒から保護するという考え方(これは糸賀氏たちにもあったし、「コロニー」も同様だろう)のみならず、障害者から社会を守る意味合いもあったのであったろう。
旧「らい予防法」は、その典型である。
(参照:『障害がある人の人権と欠格条項-「問題の本質を清算しての見直しを」』松友了(全日本手をつなぐ育成会 常務理事))
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/daw/wz_disabilith.html

障害者施策は、施設から地域へという大きな流れのなかで展開され、隔離から共生へとすすんできているが、今度の事件によって、被害者たちもまた、周囲から社会防衛的な視線にさらされているのではないか。
とえば、以前も触れたことがあるが、「人」というカテゴリーとは別のカテゴリーとして「障害者」がいるかのような論調である。
こうした論調をなす人たちは「人」のカテゴリーに属している、論調の対象となる人たちは「障害者」のカテゴリーに属していると言わんばかりで、さらには決して適切とは言い難い用語をあえて使って事件を語るなど、そこでは、理解や共生といった思いは微塵も持ち合わせていないように思えてならない。
事件にあたって手をつなぐ育成会が声明で「障害の有る無しで特別視されることなく、お互いに人格と個性を尊重しながら共生する社会づくり」を訴えなければならず、また、「もし誰かが「障害者はいなくなればいい」なんて言っても、私たち家族は 全力でみなさんのことを 守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください。」と当事者たちに伝えなければならなかったところに、そのことが表れている。
http://zen-iku.jp/wp-content/uploads/2016/07/160726stmt.pdf
http://zen-iku.jp/info/member/3223.html

そして藤井さんも指摘していた、被害者の匿名について。
藤井さんの『「この子はいないことになっている」ことの現れ』との指摘や「死後まで続く差別」の重い言葉は、確かにわかるのだが、それでも被害者のたちや家族の年齢を考えると、障害があるがゆえに言われなき差別や偏見に晒されてずっと生きてきたことは容易に考えられる。
そして今なお「異なるものは排除せよ」的風潮がまかり通る今の世の中では、名を明かすことによって二次被害三次被害を受けてしまうであろうことが想定できてしまうのである。
その意味で、匿名がいいのかどうか、実名を表示するほうがいいのか、自分では今でもどちらがいいとは言い切れない。
このことを、障害を持つ当事者に聞いた答えでは、彼は、一律の匿名はいかがなものか、せめて、遺族や本人の意向を確かめるべきではなかったのかと言っていた。

|

« 禅@2度目、山岸凉子@2度目 | トップページ | プーの細道にたった家 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 障害福祉の父 糸賀一雄の思想と生涯:

« 禅@2度目、山岸凉子@2度目 | トップページ | プーの細道にたった家 »