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2016年9月11日 (日)

日本で100年、生きてきて

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本書は、2016年8月21日に101歳で亡くなったむののじじいの、2009年1月から朝日新聞岩手版と秋田版で連載していた聞き書き「再思三考」約150編から編まれた。
テーマごとにまとめられているので、掲載順ではない。
そのテーマも、昨今の社会情勢をつぶさに観察しているむののじじいらしく、多岐にわたっていて、へえ、そういった切り口もあるのかと驚かされるものもあるし、何度も聞いたことがある話題もあり、さまざまだ。
しかし、選択された文章だけあって、どれもこれも胸に落ちてくる。
そのなかでも、32ページの
今は敵だから潰せ。意見が違う者は排除しろ、でしょ。(中略)言いたい放題では、コトバを滅ぼすだけではなく人間を滅ぼすんだ。
今の世の中に必要なのは「敵だから残そう」という言葉だな。これを合言葉にしていこうじゃないの。
は、今の世の中の様々な事象の根幹を突いている指摘だ。

むののじじいご自身による「まえがき」は2015年5月3日、昨年の憲法記念日に書かれている。
2週間もたたない5月26日、安全保障関連法案11法案が審議入し、9月19日に賛成多数で可決成立して早や1年である。
「まえがき」のさいごに「私の予感では、人類の存亡を分ける事態にやがて真っ正面から取り組むのは、現在の青少年です」とのことばがある。
青少年たちのグループのひとつは8月に解散してしまったけれど、それぞれの胸のなかで水脈は保たれていると信じたい。

まえがき 今この本を世に送るわけ むのたけじ
巻頭言 人は違っているからわかり合える
第1章 どうしてこんな国になった
第2章 戦争とはどんなものか
第3章 やるならトコトン、あきらめるのをあきらめろ
第4章 東北と沖縄と
第5章 100年生きて、わかったこと
あとがき 木瀬公二
むのたけじ・著作一覧

むのたけじ/著
朝日新聞出版
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コメント

亡くなった日の翌日に

ついに、この日がやってきてしまいました。
だいぶ前から「戦争いらぬやれぬ世へ」「いのち守りつなぐ世へ」は積んであって、お元気なうちに読まなきゃなと思っていたのですが、まだまだ読まずとも大丈夫に違いない思いながらそのままにしておいたのですが、ああ、とんでもない日を迎えることになってしまいました。

「100年インタビュー」でのお話を聞いてお元気そうなお姿を見て安心していたのですが、考えてみれば、あれからもう、5年も経っていたのですものね。
私がむののじじいにお手紙を出したのはいつのことだったか、学生時代か卒業してまもなくの頃に、「たいまつ十六年」か「詞集 たいまつ」を読んでの感想でしたから、70年代の終わりのころだったかもしれません。
あのころは、むののじじいなどと気安く呼びかけるには、まだまだじじいではありませんでしたし、恐れ多かったですが、そのあとのやりとりで、すっかりむののじじいとお呼びすることにしてしまいました。
お手紙を書いたことは覚えているのですが、しかし、そこに何を書き、どんなお返事をいただいたのか、残念ながらすっかり記憶からは消えてしまいましたが。
講演会などでお話をお聞きすることができたときには、つとめてご挨拶だけでもさせていただいておりましたが、もっともっときちんとお話を伺っておけばよかったのかもしれません。

存命であれば110歳になったであろう親族のひとりが、戦時中にむののじじいと同じブンヤとして中国にいて、終戦時には英国軍の収容所にいたのですが、その後気になって話を聞いた限りでは、むののじじいとすれ違うことはなかったようです。
むののじじいとは違って、終戦に当たってそれまでのブンヤの責任をとって新聞社を退社するなどということはなく、その後も同じ会社でブンヤのしごとを続けていましたが、それなりに戦時中のことは、その後の生き方の中で批判的に受け止めていたようです。

むののじじいが「たいまつ」を通じて語ったこと、あるいはさまざまな書籍、講演、テレビ出演をつうじて訴えたたこと、そして最後に「ぶざまな戦争をして残ったのが憲法9条だ。私は人類に希望をもたらすと受け止めたが、70年間、国内や海外で誰も戦死させなかった。道は間違っていない」は、むののじじいの8月15日までの経験と8月15日の決断に裏打ちされた、とても重たいことばの数々だと思っています。
こうした言葉をもうむののじじいの口から聞くこができなくなった今、これからは、私たちがひとびとに伝えていかなければならないことばとして、わたしたちのところに残されたのであろうと思います。

心安らかにお眠りくださいと申し上げたいところですが、むののじじいにとっては、今はまだ、心安らかになどの境地にはなれないことでしょう。
むののじじいが心安らかになれるようにすること、これは、私たちに残されたむののじじいの遺志なのでありましょう。
H大のI先生、W大のK先生やH先生、あるいは在野のO先生やT先生など、大学を出てからも若い頃にあれこれ教えを乞うた先生たちは、みんな鬼籍に入られてしまいました。
当時もいまも、私たちは、むののじじいを始め、諸先生がたから示して頂いた課題を、未だにあれこれ突っつき回していることを、どうぞお笑いくださいませ。

投稿: 楠の末裔 | 2016年9月11日 (日) 16時51分

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