3 津和野まちあるき 至福の園へ十字架の道行き
記念聖堂からこの道を600メートル歩いていくと、至福の園に至る。
1891年8月にビリヨン神父が建てた「至福の碑」の立つ場所を「至福の園」はと呼んでいるそうだ。
道を上がっていくのはいいのだが、誰もいないので、熊とかマムシが出てきたらどうしようと、ちょっと不安。
熊については、城址に上がるリフトが、熊が出るので運航を停止したばかりだし。
道の途中には、キリストの受難のレリーフのはめられた碑が建てられている。
1 キリスト 死刑の宣告を受ける、2 キリスト 十字架を担う、3 キリスト 始めて倒れる
4 キリスト 母に会う、5 キリスト クレネのシモンに助けられる、6 キリスト 布で顔をぬぐう
7 キリスト ふたたび倒れる、8 キリスト 婦人たちにことばをかける、9 キリスト みたび倒れる
10 キリスト 衣服をはぎ取られる、11 キリスト 十字架にくぎづけられる、12 キリスト 十字架で息を引き取る
13 キリスト 十字架からおろされる 14 キリスト 墓に葬られる
最後まで進むと、ピリヨン神父によって建てられた、「為義而被害者乃真福」と刻まれ十字架の立つ「至福の碑」がある。
手前にはなぜか地蔵堂があり、その横に「南無地蔵大菩薩」と彫られた、千人塚と呼ばれる、天保の大飢饉の犠牲者が埋葬されている石碑がある。
今、このエリアは、「至福の園」と呼ばれている。
ゴルゴダの丘の十字架の道行きも、かくの如し。
乙女峠記念聖堂まで戻ってきて、お御堂で献金して絵葉書をいただいてきた。
冬景色の絵葉書を見ていると、氷責めの池の厳しさを思ってしまう。
知人が教会に行ったときに、JCSの「The Last Supper」の曲が流れた話をしていた。
そのときの歌詞の一部が、以下である。
Wie die vielen Körner und die Trauben,
eins geworden nun las Brot und Wein,
lass uns alle, die wir an dich glauben,
eine Opfergabe als deine Kirche sein.
たくさんのぶどうのつぶ、小麦のつぶからワインとパンができたと書いてあったのが、ぶどうのつぶや小麦のつぶが一つづつでありながら集まって別のものになるのに、どうして人間は集まって新しいものになれないのだろう、つぶどうしが「お前はつぶの仲間ではない」と言い続けるのだろう、なんて事を考えてしまった。
歩いて駅に戻る。
坂を下り切ると駅のホームが見えるのだが、駅舎に直行できる道はなく、踏切まで大きく迂回しなければならない。
駅の近くで氷をいただき、生き返った心地であった。
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