« 展覧会めぐり 有楽町~日本橋~汐留 | トップページ | ブルース・キャット ネコと歌えば »

2016年7月 9日 (土)

自国史の行方 オーストリアの歴史政策

160525_401  160525_402
オーストリアは、1938年3月13日ののアンシュルス(Anschluss、Der Anschluss Österreichs an das Deutsche Reich)以後は第三帝国たるドイツの一地方となり、1945年5月のドイツの敗北、そしてイギリス、フランス、ソ連、アメリカによる分割占領を経て、1955年5月15日に4か国との国家条約が締結されて独立を回復した。
この歴史的経過をふまえて、オーストリアはドイツに侵略占領され連合国によって解放された国であるという位置づけがなされオーストリアは、「犠牲者・被害者」であったとの歴史の受け止め方が一般的となっていたことはよく聞く。
しかし、アンシュルス以前の政権は民主主義的というよりもファシズム的な政権(オーストロ・ファシズム)であったことや、アンシュルスは多くの国民に歓迎されたり、ナチス党員の人口に対する割合は、ドイツよりオーストリアのほうが高かった(本書P.115)との話もあるように、必ずしも「犠牲者・被害者」の面だけではオーストリアの歴史を語ることができない。
そうした観点からの検証もオーストリアで行われてはいたようだが、研究者や政治家でない巷の人々が、歴史にどう向き合ってきたのか、向き合っているのか、本書は、オーストリアにおける歴史教科書の変遷や歴史教科書研究を材料に、オーストリアの歴史がどのように扱われてきたのかを探り出そうという試みである。
歴史の向き合い方についての検討は、「第3章 「過去」の抑圧」(一 犠牲者神話の形成、二 ヴァルトハイム事件)でまとまって記述されている。
そのなかで、就任に当たっては周辺諸国などとの間で相当の物議をかもしたクルト・ヴァルトハイム大統領の、1988年の発言をきっかけにして、それまでの「犠牲者」テーゼから「犠牲者だったばかりではなく加害者でもあった」との「二つの真実」テーゼ(P.142)という歴史理解が登場し公式な歴史理解となったという指摘は、本書で初めて知った。

本書は、2000年2月4日の、ヴォルフガング・シュッセルを首班とする国民党(ÖVP)と自由党(FPÖ)との連立政権(=黒青連立政権)の成立から記述が始まっている。
このときは、国内のみならずEC諸国からも、強い懐疑の念をもって迎えられたが、シュッセルは以後2007年1月11日まで連立政権(第二次連立政権においては未来同盟(BZÖ)との連立)の首相であった。
最初にウィーンを訪れたのは2004年、まさに黒青連立政権の時代だったのだが、その頃はあまりオーストリアの政治状況については知らないでいたので、街を歩いていても状況を感じたことはなかった。
先にふれたクルト・ヴァルトハイムの大統領就任(1986年7月8日~1992年7月8日)をめぐっても、ヴァルトハイムの過去の突撃隊に属していた経歴から周囲の反対があったのだが、これは何度か上演された加藤健一さんの舞台「詩人の恋」の背景となっている。
そして、2016年、オーストリア大統領選挙が行われた。
この選挙は、2015年に大挙して押し寄せた「難民」を目の当たりにしたオーストリアの人びとが、その経験をふまえてどのように意思表示するかという問いかけでもあったはずだ。
4月24日の一次投票では、これまで政権を担ってきた主要政党であるSPÖ(社会民主党)とÖVP(オーストリア国民党)の候補者がともに敗退し、極右とされるFPÖ(オーストリア自由党)の候補者が1位、無所属(Grünen・緑の党出身)の候補が2位となって、5月22日に行われた決選投票で、50.35 %対49.65 %の僅差で無所属候補が当選した。
それも、国内票ではFPÖ候補が優勢であったものが、70万票、有権者の14%の不在者投票の結果で、無所属候補の当選となったことで、不在者投票をする人の意識が、極右の進出をを阻んだともいえる。

4月24日 一次投票
投票総数
 Dr. Irmgard Griss______________810,641__18.9 %
 Ing. Norbert Hofer___________1,499,971__35.1 % 
 Rudolf Hundstorfer_____________482,790__11.3 %
 Dr. Andreas Khol_______________475,767__11.1 %
 Ing. Richard Lugner_____________96,783___2.3 %
 Dr. Alexander Van der Bellen___913,218__21.3 %
不在者投票
 Dr. Irmgard Griss______________117,323__21.9 %
 Ing. Norbert Hofer_____________136,832__25.6 % 
 Rudolf Hundstorfer_____________ 64,349__12.0 %
 Dr. Andreas Khol_______________ 57,203__10.7 %
 Ing. Richard Lugner_____________ 9,025___1.7 %
 Dr. Alexander Van der Bellen___150,042__28.1 % 

5月22日 決選投票
投票総数
 Ing. Norbert Hofer_____________2,223,458__49.7 %/__+ 723,487__+ 14.6 %
 Dr. Alexander Van der Bellen___2,254,484__50.3 %/+ 1,341,266__+ 29.0 %
不在者投票
 Ing. Norbert Hofer_______________285,706__38.3 %/__+ 148,874__+ 12.7 %
 Dr. Alexander Van der Bellen_____460,404__61.7 %/__+ 310,362__+ 33.7 %

ただし、この選挙については、オーストリア憲法裁判所(VfGH、Verfassungsgerichtshof)が、決められた手続きに沿った開票が行われていなかったとのFPÖの訴えを認め、このことを理由に選挙を無効とし、再選挙を命じた。
このため、現時点では、誰が大統領になるのか、先行きはわからない。

2014年にオーストリアの教科書「オーストリアの歴史 第二次世界大戦終結から現代まで」の邦訳が出版された。
そこで取り扱われた教科書が刊行された年代がはっきりしないのだが、その記述から2000年代初期と推測できる。
本書の刊行は2001年1月なので、本書で検討された時期とほぼ重なると思われる。

本書の内容は、遠い異国の「自国史の行方」の様子を知ることにとどまるものではない。
このオーストリアの経験は我が国にとってどうなのだろうかと考えてはじめて、本書の考察が活きてくる。
たんに歴史だけではなく、オーストリアの人々にとってのチェコやハンガリーなどの旧帝国領の人々との関係は、日本にとっての韓国朝鮮、あるいは中国との人々との関係と、どのように重なりどのように異なるのか。
オーストリア(そしてドイツ)がこうした人々との関係のなかで「自国史」と向き合うことあるいは目をつぶったことを、私たちが私たちの問題にかかわるうえでの教訓となしうるかどうか。

ウィーンのSchwedenplatz近くのMorzinplatz 4にあるゲシュタポ本部跡の碑は、見に行かなければなるまい。

はじめに――もう一つのオーストリア
第1章 黒青連立政権の問いかけ
 一 無視された警告
 二 自由党政権入りの反響
 三 黒青連立政権の一〇〇日
 四 制裁解除
第2章 歴史教科書が示す戦後オーストリア
 一 オーストリア歴史教科書への批判
 二 オーストリア占領?
 三 転機としての九〇年代
第3章 「過去」の抑圧
 一 犠牲者神話の形成
 二 ヴァルトハイム事件
第4章 追想の年 一九八八年
 一 教育省政治教育課の対応――極右主義への取り組み
 二 生徒が現代史を研究する
おわりに――オペラ座横に現れたコンテナ

参考文献
索引

近藤孝弘/著
名古屋大学出版会

|

« 展覧会めぐり 有楽町~日本橋~汐留 | トップページ | ブルース・キャット ネコと歌えば »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自国史の行方 オーストリアの歴史政策:

« 展覧会めぐり 有楽町~日本橋~汐留 | トップページ | ブルース・キャット ネコと歌えば »