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2016年5月18日 (水)

知恵の悲しみの時代

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2015年5月3日に亡くなった著者によるエッセイで、雑誌「みすず」の2003年3月号から2006年6月号までの連載(当時のタイトルは「もし本が蜂蜜の巣箱なら」)を、対象とした本の状況の時系列に沿って、新しく編んだもの(「あとがき」より)で、2006年10月に刊行された。
「あとがき」に、「昭和の戦争の時代を、「知恵の悲しみの時代」として、その時代に遺された本を通して書くこと」とある。
本書の表題の「知恵の悲しみ」とは、ロシアの劇作家グリボエードフの「智慧の悲しみ」に拠っているとのことだが、グリボエードフのことは知らない。
そして10年。
「2005年、春の朝」で引用されている「全て世は事もなし。」、長田さんが「二十世紀という戦争の世紀に対する留保の言葉として、改めて、胸につよこのこる」とした風景をなくしかねない時代が、今でも続いている。

むかし、長田さんの「私の二十世紀書店」という中公新書の本(その後、みすず書房で底本とされたが現在絶版)があった。
「私の二十世紀書店」で取り上げられた本は、当時、古本などを探し出してあれこれ読んだものだ。

本書の時系列のはじまりは、日清戦争のあった1894年、そして戦争のあった時代に出た本が取り上げられている。
いまの時代と重ね合わせて読んでみようしても、いま、入手するのは難しいのかもしれない。
また、「私の二十世紀書店」で取り上げられた本よりも、ちょっと身近さからは遠いような印象である。
もう一度「私の二十世紀書店」を読んでみないと、確認はできないが。

そのなかで、いくつか。
「人びとを、人びとが、人びとのために」は、むろんリンカーンの「The Gettysburg Address」のなかの言葉(「government of the people, by the people, for the people」)からであるが、「人民の~」ではないのはなぜと思って本文読んだら、納得できた。
長田さんの「詩人が贈る絵本 2」シリーズのなかに「リンカーン ゲティスバーグ演説」があり、この本について本書で『わたし自身が試みたことは、リンカーンの「the people」を「人民」や「国民」としてでなく、あらためて「只の人間」として、すなわち「人びと」としてとりもどすということでした。』と、書いている。
The Gettysburg Address
これは、日本国憲法草案(英文)の「the people」の訳が「国民」となったとき、『「国民」が意味したものは、法の前に平等である「all persons」ではなくて、「all nationals」ということだった』(P.26)との、ジョン・ダワーの指摘(「敗北を抱きしめて」2001年岩波書店)と対をなしている。
それにしても、「~の、~による、~のための」が「~を、~が、~のために」と言い換えたときに読む者に伝わってくる語感は、絶妙だ。

もうひとつは「トム・ソーヤーの冒険」で、本書では岩波文庫版(石田英二訳)をとりあげている。
岩波文庫版「トム・ソーヤーの冒険」のあとがきの日付が「昭和十八年三月」、奥付にある第一刷発行の日付は「昭和二十一年五月五日」となっているそうで、長田さんは、この3年の空白をめぐっても書いているが、戦時中に「敵国」戦争が終わって刊行できるようになったときに、あとがきをあらためたり書き加えたりしなかったのは、なぜだったのだろう。
岩波文庫では現在は絶版で岩波書店のブックサーチャーにも出てこない。
岩波少年文庫にある石井桃子訳の「トム・ソーヤの冒険」を「おなじ本だけれども、ちがう本」としている。
なぜか。
『「感動」がちがう』のだそうだ。
と言われれば、この岩波文庫版を手に取りたいと思うのが、人情というものだ。

「その時代に遺された本」は、現在も増え続けているが、いつまで手に取ることができ続けるのだろうか。
「私の二十世紀書店」すら、新書版も定本版も新刊では入手できないこの国って、何なのだろう。

2001年、秋の朝――プロローグ
1894年にはじまる
人びとを、人びとが、人びとのために
言葉の生き生きとしたかたち(1930)
「複白」の思想(1931)
セルパン臨時増刊野球号(1931)
理解せよ、忘れるな(1932)
マルクス・アウレリウスの戦争(1933)
合言葉はエミイル!(1934)
小河内村水没(1936)
かくてペテルブルグは(1936)
憩ひと想ひの午后(1936)
丹下右膳、乱入(1939)
或る読書家の短い人生(1940)
ハイドンそしてシューマン(1941)
デモクラシーの「元気」(1941)
飛ばないボール(1941)
ガラスの警報(1942)
失われた手(1943)
戦争に必要なもの(1943)
鳶の羽、『魔の山』、欅の木
忘れられたアンソロジー(1943)
根無し草の少年(1943)
何でもない不思議(1943)
小さな書物の歴史(1943)
書物という名の書物(1943)
敗者のパトリオティズム(1944)
登山家の「幸福」(1944)
子どもたちのガリヴァー(1944)
古い言葉に新しい意味を(1945)
2005年、春の朝――エピローグ
あとがき

長田弘/著
みすず書房

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