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2016年3月 3日 (木)

Von Salzburg nach Bad Ischl - Geschichte der Salzkammergut-Lokalbahn -

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タイトルは「ザルツブルグからバート・イシュルへ ―ザルツカンマーグート地方鉄道の歴史―」ということになろう。
1890年から1957年までの間、オーストリアのザルツブルクと温泉保養地バート・イシュルを結んだ鉄道があった。
ザルツカンマーグート地方鉄道(Salzkammergut-Lokalbahn、略称SKGLB)である。
このザルツカンマーグート地方鉄道について豊富な写真や図を使って書かれた本書は、1958年に初版が出ているが、これは1995年の第2版である。
独語版であること、しかもやたらと長くコンマの続くセンテンスが多いので、どこまで読み切れているかわからないが、とても興味深い内容だった。
江ノ島電鉄の開業は1902年9月1日(藤沢~片瀬間開業、全線開業は、1910年(明治43年)11月4日)とSKGLBよりも遅かったが、現在でも運行が継続されている。
1960年代から1970年代にかけてはSKGLBと同じように、江ノ電も自動車交通の増大に伴い一時廃線の論議があった。
しかし、江ノ電や路線エリアがテレビドラマの背景となるなど、結果的には観光路線として現在も存続し、しかも黒字であるのを見ると、SKGLBの廃業の決断は、おそらく早すぎたのであろうと思わざるをえない。

目次
概要
1版序言(1958)と2版序言(1995)
区間概要と駅の表
ザルツカンマーグートとSKGLB
ザルツブルクからバート・イシェルへ(1958年の1版の文章)
SKGLBのないザルツカンマーグート(1959年の捕捉ノートの文章)
SKGLBの短い歴史
1995年の視界からの回顧−驚嘆、悲哀と憤り
1942年のザルツブルクと周囲の地形図
カラー写真の一部(ザルツブルクからバート・イシェルへの地勢上の配置)
切符(着色)
1957年の「最後の運行」と1958年のSKGLBのパンフレット
白黒写真の一部(ザルツブルクからバート・イシェルへの地勢上の配置)
 ザルツブルク____________アイヒ、ビルロース
 スールハイム____________ザンクト・ギルゲン
 オイゲンドルフ・カラーム______ルエク
 クライヴィーセン__________グシュヴァント、ツィンケンバッハ
 エンツェルスベルク_________ザンクト・ヴォルフガング
 イルラーハ_____________シュトローブル
 タールガウ_____________ヴァイセンバッハ
 トフェルムーレ___________アイゲン・フォーグルーブ
 ザンクト・ローレンツ________ヴァフト
 シュヴァルツィンディーン______アッシャウ
 ライトナーブラウケラー_______イシェル地方駅
 モントゼー_____________カルテンバッハ
 プロムベルク____________バート・イシェル貨物駅
 シャルフリンク___________バート・イシェル駅
 ヒュッテンシュタイン
機関庫の白黒写真
 機関車1と2
 機関車3から12
 機関車19、20
 機関車21、22
 機関車30、31
 機関車32、33
 ÖStB/BBÖ機関車 Uh.1
 機関車D40
 動力車TCa672
 動力車TBCA452FF.
 客車
 荷物・郵便車
 貨車
遮断へ
ザルツカンマーグート地方鉄道の機関車(「機関車」から、1916)
SKGLBの一般的な建築設計図
なぜ狭軌でなぜ760mmか?
小さなSKGLBの客の仕事(1957)
「ザルツブルクとバート・イシェルの間」の歌(1950)
年表
切符(白黒)
運行表
機関車リスト
文献

Josef Otto Slezak/著
ISBN-10:3854161700
ISBN-13:978-3854161707

ザルツカンマーグート地方鉄道の概要
 距離:本線63.212km、支線3.792km
 軌道幅:760ミリメートル(ボスニアゲージ)
 最大傾斜:25‰
 最小半径:60m
 最高速度:本線40km/h、支線時35km/h
 関連路線:シャーフベルク鉄道(Schafbergbahn)、ヴォルフガング湖航路

ザルツカンマーグート地方鉄道のルート
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駅名(原文/バート・イシュル地方鉄道駅等からの距離/駅の高度/本書の掲載ページ/その他)を記載した。
バート・イシュル地方鉄道駅(Bad Ischl Localbahnhof/0.0/466 m/113-115, 46/SKGLBのバート・イシュル地方鉄道駅は、オーストリア国鉄バート・イシュル駅の南側にオーストリア国鉄と並行してホームがあった。1894年開業)
 SKGLBは標準軌の国鉄と狭軌のSKGLBが同じ軌道を使って4線軌条で南~南西に向かい、トラウン(Traun)川鉄橋、イシュルトンネル(Ischler Tunnel/69 m)を抜けて国鉄と分岐する。
バート・イシュル貨物駅(Bad Ischl Güterbahnhof/1.3/468 m/110, 43-45)
 SKGLBは西~北に向きを変えながらトラウン(Traun)川鉄橋、カルテンバッハ(Kaltenbach)橋を過ぎる。
カルテンバッハ駅(Kaltenbach/2.2/474 m/108)
 SKGLBはバート・イシュルの西を北に向かい、カルヴァリエンベルクトンネル(Kalvarienbergtunnel/683 m)を抜け、1890~1894にイシュル地方鉄道駅として使われた車両庫(-/-/-/107)からの路線と合流する。
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プファンドル駅(Pfandl/4.8/488 m/41)
アシャウ駅(Aschau/7.1/506 m/106)
 SKGLBは製材所への分岐を過ぎオーバーエスタライヒ州からサルツブルク州に入る。
ヴァフト駅(Wacht/8.0/515 m/105)
アイゲン・フォーグルーブ駅(Aigen-Voglhub/9.1/521 m/104, 105, 116)
ヴァイセンバッハ(シュトロープル)駅(Weißenbach (Strobl) /10.9/540 m/102/1902.5.1開業)
シュトロープル駅(Strobl/12.7/546 m/101, 155)
ザンクト・ヴォルフガング地方鉄道駅(St.Wolfgang Lokalbahnhof/17.2/540 m/99, 100/駅は、ヴォルフガング湖の連絡船の桟橋に直結)
 SKGLBはツィンケンバッハ(Zinkenbach)鉄橋を渡る。
ツィンケンバッハ駅(Zinkenbach/18.2/550 m/98)
グシャヴァント駅(Gschwandt・20.6・540 m/98)
 SKGLBは製材所への分岐を過ぎ、ツヴェルファーホルン山と湖の際を走る。
ルエク駅(Lueg/23.2/540 m/95-96)
ザンクト・ギルゲン駅(St.Gilgen/24.6/557 m/92-94, 138)
ビルロ-ス駅(Billroth/26.1/573 m/89)
アイヒ駅(Aich/27.7/578 m/89,38、停留所と上陸地)
ヒュッテンシュタイン駅(Hüttenstein/28.3/580 m/88)
 SKGLBはシャルフリンガー峠(Scharflinger Höhe)のヒュッテンシュタイントンネル(Hüttensteiner Tunnel・436 m)、別名アイベンベルクトンネル(Eibenberg-Tunnel)、クライナートンネル(Kleiner Tunnel・95 m)を抜け、サルツブルク州からオーバーエスタライヒ州に入り、モントゼー(Mondsee)に向かう25‰の勾配を下る。
シャルフリンク駅(Scharfling/30.4/559 m/84)
 SKGLBはシャルフリングトンネル(Scharflinger Tunnel・97 m)、プロムベルクトンネル(Plomberg Tunnel・28 m)を抜ける。
プロムベルク駅(Plomberg/32.7/485 m/81)
ザンクト・ローレンツ駅(St.Lorenz/35.1/488 m/67-71, 73, 35-37)
 モントゼー駅に至るモントゼー支線が分岐する。
 シュヴァルツィンディーン駅(Schwarzindien/1.3/489 m/74/1903年開業)
 ライトナーブラウケラー駅(Leitnerbräukeller/3.0/482 m/75)
 モントゼー駅(Mondsee/3.5/482 m/76-79)
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トイフェルモーレ駅(Teufelmühle/39.0/513 m/66)
 SKGLBはオーバーエスタライヒ州からサルツブルク州に入る。
フェッターバッハ駅(Vetterbach/40.4/535 m)
タールガウ駅(Thalgau/42.6/545 m/65)
イルラーハ駅(Irlach/44.9/581 m/63, 65)
エンツェルスベルク駅(Enzersberg/46.3/599 m/62)
クライヴィーセン駅(Kraiwiesen/50.1/593 m/60)
 SKGLB線はフラッハガウ丘陵(Salzburger Flachgau)を越える。
オイゲンドルフ・カーラム駅(Eugendorf-Kallham(Kalham)/53.6/557 m/59)
フィフトルミューレ駅(Fichtlmühle/56.4/516 m/166)
スールハイム駅(Söllheim/58.9/452 m/58)
 SKGLB線は鉄道橋をくぐる
ザルツブルク・イッツリング工場駅(Salzburg Itzling Werkstätte/61.4/426 m/56)
 SKGLB線はAlterbachの橋を渡る
ザルツブルク・フラッフテン駅(Salzburg Frachtenstation/61.6/425 m)
ザルツブルク・イッツリンク駅(Itzling/61.7/425 m/53-55, 34/機関庫、操車場、貨物駅)
 Westbahn(西部鉄道)の鉄道橋をくぐる
 イシュル鉄道通り(Ischlerbahnstraße)の併用軌道を走る
ザルツブルク地方鉄道駅(Salzburg Lokalbahnhof/63.2/420 m/49-51, 33/広場をはさんで国鉄中央駅(Hauptbahnhof))

遺構としては、旧路線を利用した自転車道、鉄道博物館がある。
ザルツカンマーグート自転車道(Salzkammergut-Radweg):シュトロープル駅(Strobl)~ツィンケンバッハ駅(Zinkenbach)付近、ルーク駅(Lueg)の湖畔路、オイゲンドルフ駅(Eugendorf)~イッツリング駅(Itzling)手前まで
Skglb_3  Skglb_5
モントゼー駅(Mondsee)跡に鉄道博物館(SKGLB-Museum)がある。
SKGLB博物館の写真集

ザルツカンマーグート地方鉄道について、こ以下のようなサイトがある。
Club Salzkammergut-Lokalbahn(復活構想):http://www.ischlerbahn.at

ザルツカンマーグート地方鉄道の歴史

始まり
19世紀後半に、ザルツカンマーグートはオーストリア·ハンガリーの観光の中心地として発展し、バート·イシュルとザルツブルクの間の鉄道接続の要求。
1860年代後半、鉄道建設計画がもちあがった。
1873年、景気後退でいったん中断。
1888年、ウィリアム·ミヒャエルは、スターン&ハフヘル会社の共同創設者ヨーゼフ·スターンと鉄道プロジェクトを計画した。
1889年、ザルツカンマーグート地方鉄道合資会社(SKGLB)は「モントゼーへの分岐を持つバート·イシュルからザルツブルクへの狭軌地方鉄道の建設」免許を申請した。
1890年1月13日、申請は許可された。
コスト上の理由から、軍当局によって設定された760ミリメートルのボスニアゲージでの建設を選択した。

鉄道建設と開業
1890年春、工事開始。
1890年8月5日、バートイシュル地方駅とシュトローブルとの間の9,6 kmの距離の区間が開業、このために軽蒸気機関車1号と2号、7両の2等客車、2両の貨車、2両の荷物車、2両の郵便車を調達した。
8月と9月の間は毎日8組の列車が運行、冬の平日は4列車のみ、土曜日に8列車が運行した。
1891年夏、9組の列車が運行
1891年7月28日、ザルツブルクとモントゼーの間の区間35.9キロが開業、このために1888年にすでにシュタイヤー鉄道で使われた強力なタイプの機関車(3~5号機関車)、13両の客車(1等と3等)、2両の荷物車、2両の郵便車と14両の貨車が調達された。
新たに構築された区間には毎日5編成の旅客列車1編成の貨物列車が運行、冬には毎日3編成の混合列車のみ運行。
1893年6月20日、モンドゼーのザンクト・ローレンツとシュトローブルの間の22.4kmの区間が皇帝フランツ·ヨーゼフの列席のもとで接続、シュタイヤー鉄道タイプの機関車(6~10号)、19両の客車(1等と3等)、42両の貨車を購入
1893年8月1日、シャーフベルク鉄道とシャーフベルクのホテルがオープン、この時点で10両の機関車、39両の客車、4両の荷物車、4両の郵便車、58両の貨車と1両のサロン車を所有。
1894年7月3日、バート·イシュル中央駅に接続、バート・イシェルの地方駅は個人住居や馬車置き場に再建。
1896年と1897年、洪水のために繰り返し閉鎖。
1898年、SKGLBはヴォルフガング湖の蒸気船を購入。
1912年、ヨーゼフ·スターンは地方鉄道の電化を検討。

戦争期、発展と危機
1915年から1918年、軍当局は、ボスニア·ヘルツェゴビナの戦略的に重要な狭軌鉄道で使用するため6両の機関車を接収、SKGLBは残りの6両の機関車を使用して運営。
石炭の上昇やスタッフの不足が列車運行の強力な制限。
1917年12月14日と15日、列車運行が完全に停止、その後、毎日2列車のみが運行。
1920年12月1日、SKGLBは以後4年間オーストリア共和国により管理、その後BBÖが運営。
直接地方鉄道の中核事業に属していないSKGLBに属するすべての事業の売却を受け入れ、シャーフベルクのホテルだけがSKGLBの所有、線路や枕木の全面改装及びSKGLBの車両の広範な修理
1923年、SKGLB、シャーフベルク鉄道とともにホテルとヴォルフガング湖航路はフィルマ・スターン&ハフェールの所有となった。
1925年1月1日、SKGLBはドイツ地方鉄道株式会社によって運営
1925年から1929年、乗客数増加。
1928年、4軸客車の買収受け入れ。
1929年、世界経済危機で観光客の減少。
1932年、シャーフベルク鉄道、ホテル、ヴォルフガング湖航路をオーストリア交通事務局へ売却。
1933年、バス路線買収。
1933年7月15日、走行時間短縮のためオーストリア·ダイムラーの3両のガソリンカーを運行したが、1年後に中止。
1938年、ドイツ帝国への「合邦」、ドイツ人旅行者の訪問はSKGLBの財務状況を改善。
1939年、SKGLBはザルツブルクと上オーストリア管区(1945年以後はザルツブルクと上オーストリア州)に収用。
戦時中、バス路線を停止。
1945年4月11日、2機のロッキードP-38がトイフェルスミューレ駅近くの列車を攻撃、5人が死亡し、数人が負傷、すべての車両が破壊

戦後
1945年5月9日から15日、列車の運行が徐々に再開したが9月30日まで日曜日は運行なし。
1945年10月1日、全列車運行再開。
1948年3月21日、劇場観客を乗せた特別列車の機関車が、シャーフリンガートンネルの前の区間の崖崩れで脱線転落し、機関士と助士が死亡、客車は転落をまぬかれた。
1948年5月5日、額崩れ区間の運行再開。
以後、運行中止の論議。
1955年、電化、車両基地の改良、業務効率化による鉄道保存計画。
1957年9月21日、2500人の住民がザルツカンマーグートからザルツブルク州政府務所前まで鉄道保存のための行進
1957年9月30日、最後の旅客列車運転。
1957年10月10日、貨物列車運転終了。
1957年10月15日、総会は会社の清算を決定。

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