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2016年1月16日 (土)

永遠のファシズム~~これ以上ないくらい無邪気な装い

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何でも夏の参院選では政権党は「憲法改正」を公約と掲げ、そのこともあって衆院選も同時に実施されるのではないかとの噂が流れている。
またヨーロッパでは難民の受け入れをめぐって、年末に難民がかかわる事件が発生したり、テロに関連する人物が難民に紛れ込んでいたりしたこともあって、難民排除や外国人排斥の動きも出てきている。
>そのような情勢があることから、本書(原題「CINQUE SCRITTI MORALI」)を読んでおくことにした。
著者は、イタリアにおける意味論や記号論の哲学者である。

「序」に各章の執筆等の時期が書いてある。
 戦争を考える:湾岸戦争のさなか、1991年4月に雑誌に掲載
 永遠のファシズム:1995年4月25日、ヨーロッパ解放記念行事のシンポジウムで発表したものがベース、その後雑誌に掲載
 新聞について:イタリア上院のセミナーで発表
 他人が登場するとき:大司教の質問に答えたもの
 移住、寛容そして耐えがたいもの:1997年のさまざまな発表のコラージュ

最後の「移住、寛容そして耐えがたいもの」のうち、「移住」での「移民」と「移住」についての論評は、シリア難民を抱えるヨーロッパでの課題と重なるのだろう。
当時、このような自体は予想すらできなかったのだろうが。

さて、ファシズムとは何か。
もともとは「束、集団、結束」の言葉の意味から出てきたが、ムッソリーニが1919年3月に「イタリア戦闘者ファッシ」(Fasci italiani di combattimento)、1921年に「国家ファシスト党」(Partito Nazionale Fascista)を結成したことから広く使われるようになったようだが、その定義は論者によりまちまちである。
古くは、ディミトロフによる「金融資本の最も反動的な最も排外主義的な最も帝国主義的な分子による公然たるテロリズム独裁」(1935年のコミンテルン第7回大会、モスクワ)との定義があるが、その反ファシズム人民戦線の運動は、スターリンの政策によって頓挫した。
またわが国にも、山口定氏の古典的名著たる「ファシズム――その比較研究のために」(1979年有斐閣刊)がある。

本書で著者は、自らの体験にも基づいて、ファシズムは「いかなる精髄もなく、単独の本質さえ」(P.40)なく、「〈ファジー〉な全体主義」であり、「一枚岩のイデオロギーではなく、むしろ多様な政治・哲学思想のコラージュであり、矛盾の集合体」(P.40)であるとする。
>つまり、定義困難だ、逆に言えばどうとでも定義できる、ということだ。
そのうえで、典型的特徴をあげ、そうした特徴をそなえたものを「原ファシズム(Ur-Fascismo)」もしくは「永遠のファシズム(Fascismo eterno)」と呼び(P.40)、その特徴を次のように列挙する。
1.原ファシズムの第一の特徴は〈伝統崇拝〉で「知の発展はありえない」。
2.伝統主義は〈モダニズムの拒絶〉を意味の内にふくみ、啓蒙主義や理性の時代は近代の堕落のはじまりとみなされ、つまり「非合理主義」である。
3.非合理主義は〈行動のための行動〉を崇拝するか否かによっても決まり、知的世界に対する猜疑心はいつも原ファシズム特有の兆候である。
4.いかなる形態であれ、混合主義というものは、批判を受け入れることができなず、原ファシズムにとって、意見の対立は裏切り行為である。
5.意見の対立はさらに異質性のしるしでもあり、〈差異の恐怖〉を巧みに利用し増幅し、最初に掲げるスローガンは、「余所者排斥」であり、原ファシズムは明確に人種差別主義である。
6.原ファシズムは個人もしくは社会の欲求不満から発生し、歴史的ファシズムの典型的特徴のひとつが、〈欲求不満に陥った中間階級へのよびかけ〉である。
7.いかなる社会的アイデンティティももたない人々にたいし、原ファシズムは諸君にとって唯一の特権は、全員にとっての最大の共通項、つまりわれわれが同じ国に生まれたことだと語りかけ、「ナショナリズム」の起源となり、〈外国人ぎらい〉に訴え、国家にアイデンティティを提供しうる比類なき者たちは、敵と目される。
8.信奉者は、敵のこれみよがしの豊かさや力は屈辱を覚える。
9.原ファシズムにとって、生のための闘争は存在せず、あるのは「闘争のための生」。
10.原ファシズムは「大衆エリート主義を標榜しないわけにはいかない。
11.〈一人ひとりが英雄になるべく教育される〉原ファシズムのイデオロギーでは、英雄主義とは規律で、英雄崇拝は「死の崇拝」と緊密に結合。
12.永久戦争にせよ、英雄主義にせよ、それは現実には困難な遊戯であるから、原ファシストは、その潜在意志を性の問題に擦りかえ、原ファシズムの英雄は、男根の〈代償〉として、武器と戯れるようになる。
13.原ファシズムは質的ポピュリズムに根ざし、原ファシズムにとって個人は個人としての権利をもたず、量として認識される「民衆」こそが、結束した集合体として「共通の意志」をあらわす。議会がもはや「民衆の声」を代弁していないことを理由に、政治家がその合法性に疑問を投げかけるときは、かならずそこに原ファシズムのにおいがする。
14.原ファシズムは「新言語」(ニュースピーク)を話す。貧弱な語彙と平易な構文を基本に据えることで、総合的で批判的な思考の道具を制限しようと目論んだ。

そして、定義できない現象であったとしても、不満にかこつけてしのびより、よみがえる可能性のある原ファシズムの「正体を暴き、毎日世界のいたるところで新たなかたちをとって現われてくる原ファシズムを、一つひとつ指弾すること」が「わたしたちの義務」(P.60)であると説く。
「自由と解放とは、決して終わることのない課題」であり、「忘れてはいけない」を「合言葉にしましょう」(P.61)と。
ファシズムは「これ以上ないくらい無邪気な装い」(P.60)であるばかりではなく、「魅力的な顔」(辺見庸氏「しのびよる破局」P.71)すらしているのだから。


戦争を考える
永遠のファシズム
新聞について
他人が登場するとき
移住、寛容そして耐えがたいもの
〔解説〕モラル、その隠れた使用法 和田忠彦

ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)/著
和田忠彦/訳
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b264640.html

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コメント

ウンベルト・エーコ氏、2016年2月19日、84歳で逝去。

投稿: 楠の末裔 | 2016年2月20日 (土) 19時25分

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