« 月にハミング | トップページ | 新家庭論 »

2015年10月18日 (日)

独逸デモクラシーの悲劇

150719_101
「独逸デモクラシーの悲劇」はアテネ文庫から刊行され、「環境に関聯して観たる十九世紀末独逸の民主主義運動」は、1928年に発表されている。
「独逸デモクラシーの悲劇」では、ワイマール共和国の瓦解を、1918年の独逸各地で起こった革命から1933年の授権法(人民及び国家の艱難除去のための法律:Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich)成立と翌年のヒンデンブルクの死去とヒトラーの総統就任までを記述する。
「独逸デモクラシーの悲劇」は本書で60ページに満たない短い論文であるが、そのためもあって、断定的な記述がある意味小気味よい。
「環境に関聯して観たる十九世紀末独逸の民主主義運動」は、ワイマール共和国の前史を分析した資料として位置づけられる。
もともと広く読まれることを目的としていないからだろうが、固い文章なので、なかなか読み進まないが、民主主義よりも統一国家としてのドイツ帝国を優先した歴史であったこと、そのは理解できる。
本書を読みむ統一されたドイツの求心力は何なのかを考察するには、、統一されたドイツという国の短い歴史について、ある程度知識をもっていたほうが理解しやすいだろう。
1867年 北ドイツ連邦がプロイセン王国と22の領邦によって成立
1871年 プロイセン国王をドイツ皇帝とする連邦国家ドイツ帝国成立
1818年 第一次世界大戦終結、ドイツ帝国崩壊

「ワイマール共和国の短い歴史、それは不幸の中に生れ落ち、不幸の中に生き、そして夭折した一人の薄倖なるものの生涯にも似ている。(中略)今日のわれわれにとっての課題は、曾ての日のドイツに起った民主政のこの不幸なる実験に心を動かすことよりも、それについて考えることであろう」(P.66)と記した背景には、おそらく日本が新しい憲法のもとでどのような道を歩んで行くのかという重いがあったのだろう。
しかし、「ヴェルサイユ条約に民族的屈辱の象徴を見る若い彼ら」(P.36)が存在したことは、「日本国憲法に民族的屈辱の象徴を見る若い(そして若くない)彼ら」と重なってみえてしまうのは、岡氏の思いとは異なった道を、日本が歩んできたということになるのだろうか。
結びの「ここに疑もなく明白なことは、自由は与えられるものではなくて、常にそのために闘うことによってのみ、確保され又獲得されるものであるということである。そして、そのために闘うということは、聡明と勇気とを伴わずしては、何らの意味をももち得ぬということである」(P.66)の一文は、70年後に憲法の解釈を一政権が閣議で変更してまかりとおってしまう現在でも、生きている言葉だ。

岡義武/著
文藝春秋

|

« 月にハミング | トップページ | 新家庭論 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 独逸デモクラシーの悲劇:

« 月にハミング | トップページ | 新家庭論 »