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2015年8月13日 (木)

市民的不服従 政治理論のパラダイム転換

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軍事力でしか平和を守ることができないという考えではなく、主権者として自分自身が平和をどのように守っていくことができるのかを問うとき、本書の考え方は大きなバックボーンとなる。
それは、民主主義を議場のなかや投票所のみに閉じ込め矮小化するのではなく、ひとりひとりが自身の意志をどのように表示していくのか、守って行くのか、つまり「わたしはどうするのか」という問いかけでもある。
これまでは平和憲法のもとで、アメリカに依存してその庇護のもとに平和が保たれてきた、これからは自ら抑止力を強化し自力で、そして必要とあらば集団で平和を維持しようと主張するとき、そのように主張する人自身は、そうした安全保障体系のなかでどのような役割を担おうと考えているのだろうか。
「わたしは守ってもらう」のみでは、アメリカ軍に守ってもらうしても「わが軍」に守ってもらうにしても、他者に依存するというレベルでは変わりがないのではないか。

本書で展開されているのは、「市民的不服従に思想的・歴史的にアプローチしていく」(P.9)ことで、「社会のさまざまな不正に立ち向かっていこうとする人びとのエンパワーメント(力の強化)のための思想的基盤」を切り開いて行こうとする試みである。
21世紀の日本の状況をふまえれば、「第六章 市民的防衛論の検討、第七章 非暴力防衛の思想、第八章 憲法第九条と戦争の廃絶」が示唆している方向をいかに我がものとするかが問われるのだろう。

本書で、大事な指摘と思われること。
◯第一章 市民的不服従の論理
基本的人権は当然、圧政や悪法への抵抗を前提としていると考えられ、日本国憲法第一二状で、自由および権利は「国民の不断の努力によって」保持しなければならないと規定されているように、人権を実効的にするには腐敗や不正に対する感覚を研ぎ澄ませ、不正に対して立ち上がることが必要である。(P.21)
◯第二章 ソローとガンディー
市民的不服従が朝鮮しているのは、不正な制度であり、圧政を加える人間ではないということである。(P.100)
たとえ闘いのかたちをとるとしても、市民的不服従の運動が攻撃対象とするのは、相手の人格ではなく、その社会的役割である。市民的不服従は相手を敵視するのではなく、相手の最良の要素に訴えかけ、覚醒させようとしているのである。(P.101)
◯第三章 M・L・キングと公民権運動
マーティン・ルーサー・キングにも、1950年「当時は非暴力に対する懐疑もあった」(P.115)との記述は、逆にその後のキングの歩みをみたとき、人は変わりうるということで力を与えてくれる。
この懐疑とは、「非暴力でヒトラー打倒が可能だったのか」「戦争と警察行動の間に実際上の違いがあるのか」(いずれもP.135)ということで、これをいかに考えたかについては、キングの著作をあたらなければならないだろう。
◯第四章 指紋押捺拒否の思想と運動
現時点では狭義の意味では今日的テーマではないが、ヘイトスピーチについて考えるとき、その背景にあるものを知るてがかりとして有効である。
加えて「押しつけ憲法」論に関しても、外国人の人権規定をめぐる草案13条(憲法14条)や草案16条(憲法規定なし)の条文の形成過程(P.141、P.177)で、必ずしも一方的に押しつけられていたわけではないことがわかる。
Article XIII. All natural persons are equal before the law. No discrimination shall be authorized or tolerated in political, economic or social relations on account of race, creed, sex, social status, caste or national origin.
No patent of nobility shall from this time forth embody within itself any national or civic power of government.
No rights of peerage except those of the Imperial dynasty shall extend beyond the lives of those now in being. No special privilege shall accompany any award of honor, decoration or other distinction; nor shall any such award be valid beyond the lifetime of the individual who now holds or hereafter may receive it.
Article XVI. Aliens shall be entitled to the equal protection of law.
◯第六章 市民的防衛論の検討
ジーン・シャープ(Gene Sharp)がいくつか引用されているが、「The Methods of Nonviolent Action」として198の具体的な行動を示している。
市民的防衛論は軍事力に頼るのではなく非暴力手段によって市民が直接自分たちの生活を外国軍の侵略から守ろうという考え方に依拠している(P.235)
市民的防衛が有効になる条件を日々整えていくことが求められている。(P.236)
社会的防衛→→非暴力防衛←←市民的防衛(P.241)
非暴力防衛とは、たとえ軍事的侵略を受けても、国民が一眼となって非暴力抵抗運動を行い、侵略の目的を遂げさせず、軍事的侵略を敗北に追い込んでいくことをねらいとしている。(P.242)
戦争を抑止する力の源泉は多元的に存在し、非暴力抵抗の意思表示、国際世論の喚起などもその中に含まれることは確かである。軍事的防衛における抑止力は、非暴力防衛においては戦争を抑止しようとする民主的、分権的、国際的な諸力に置き換えられることになる。(P.251)
非暴力防衛は、文化的相互理解、非暴力的な社会の構築、経済的・社会的相互依存の推進とリンクさせて押し進めていくべき理念である。(P.258)
◯第八章 憲法第九条と戦争の廃絶
安保法制が国会で論議されているいま、この章の内容は、あらためて9条の意味を問いなおすのに役立つ記述である。
不戦条約との関係、「自衛権」「自衛戦争」の認否、「芦田修正」の考え方など、いま使われている同じ文言が、当時とは異なった意味合いで使われていることが明らかになる。
また、P.270以降に、9条に関連してであるが、日本国憲法制定のプロセスが書かれていて、一国の首相が「GHQ(連合国軍総司令部)の素人がたった8日間で作り上げた代物」と都合のいい部分だけに基づく観点の一面聖がよくわかる。

著者は、自衛権については、「生存権につながっており自分たちの生活や社会を守るために立ち上がるのは当然のことであり、社会の自己防衛に対する集団的権利をもっていると考えるのが正当である」(P.302)として、「非暴力的手段で積極的に闘い、自分たちの社会を守るという意味で『非暴力自衛権』という言い方のほうが憲法第九条に適合している」(P.303)との考え方に立っている。
そして、『「憲法の精神」を最も生かす道は「非暴力防衛」にあるのではないかと考えている。非暴力防衛とは、たとえ侵略を受けても軍事力では対抗せずに、非暴力的手段で闘うという防衛構想である。』(P.310)としながらも、「危機意識の希薄化、積極的な原理としての非暴力への一般的関心の欠如」(P.312)、『「非暴力」への関心の薄さ、「市民的抵抗の伝統の弱さ」が、最大の問題』(P.312)としている。
一国平和主義批判に対しては、「憲法の前文と第九条が要請していることは、非暴力による紛争解決への道であり、その実績を積んで行くことが日本政府および日本国民の今後の課題となるであろう。非暴力による紛争解決というのは、国際紛争に対しては、紛争解決のため、また紛争時の人命救助のため非武装、非暴力で貢献し、日常的には戦争や暴力紛争の予防のために尽力することである」(P.314)としている。

非武装、非暴力と言えば、「座して侵略を待ち服従を甘受するのか」のごとき言い方の批判があるが、そうした批判は、非武装、非暴力に関する認識の甘さからくるものだというほかない。
著者による2005年の講演記録がある。

はじめに
第I部 市民的不服従の思想と運動
 第一章 市民的不服従の論理
 第二章 ソローとガンディー
 第三章 M・L・キングと公民権運動
 第四章 指紋押捺拒否の思想と運動
第II部 戦争廃絶の論理
 第五章 兵役拒否の思想
 第六章 市民的防衛論の検討
 第七章 非暴力防衛の思想
 第八章 憲法第九条と戦争の廃絶
おわりに
あとがき
文献一覧
事項索引
人名索引

寺島俊穂/著
風行社

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