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2015年7月20日 (月)

平和研究講義

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著者の「政治学への道案内」には、ずいぶん学ぶところが多かったのだが、その著者による20世紀が終わろうとする時期の立教大学での「平和研究」講義の記録である。
講義の記録ということから叙述はわかりやすく、内容はコンパクトにまとめられている。
逆に、この部分はもっと詳しく知りたいという部分もあるが、授業のなかであれば質問として投げかけることができるのだが、それがかなわないのであれば、自分で探求していかなければならないのであろう。

中心となるのは、「戦争のない状態が平和である」という定義から、その先に進んで考えてみようということである。
それをすすめていくと、『デモクラシーをめぐる諸問題や「市民社会」のあり方,人びとのアイデンティティや意識構造の問題』(P.172~)までも考えて行かなければならなくなるとして、著者自身の政治学者として、そして平和のための実践者としての経験から、講義のなかでさまざまな問題を提起していく。

ユルゲン・ハーバーマスの「公共性の構造転換」で市民社会の公共性の分析を行ったことを紹介しているところで、「貴族たちは特権的な身分としてバルコニーに席を占め、大衆は天井桟敷から贔屓の役者に声援を送る、これに対して市民たちは平土間に集まった」(P.72)という指摘をしているのには、ヨーロッパの古い劇場のいくつかを見ているので、実感することができた。
市民革命のなかった日本での、市民社会あるいはパブリック概念の乏しさも、市民社会のないなかでの無産階級としての大衆が生み出されて行ったこと、そして、大衆がファシズムを支持していったこと(E・フロムの「自由からの逃走」による考察、P.75)、さらに「その事実を反省的に振り返るという民衆の内部の作業がいまだにほとんどなされていない」(P.75)ことと結びつけて考えることができる。
この市民社会あるいはパブリック概念の乏しさを、「ナショナリズムはいつか,排外的な民族主義,征服主義的な民族主義に変わるかもしれない」し「民主主義はいつか,民主的に独裁者を選出するようになるかもしれない」(P.98)こととあわせると、民主主義のもろさや「市民」のありようについても、絶えず認識していなければならないのだろう。

著者が指摘しているように、さまざまな課題がある。
本書のなかに、その課題に対する答があるわけではない。
その課題を全部引き受けるなどということは、とうていなしうるものではないが、「平和を実現するための唯一の処方箋などというものは存在しない.それは,あらゆる努力の継ぎ接ぎ細工の上にしか成り立ちえません」と著者が言うように,継ぎ接ぎ細工のひとつひとつを,市民ひとりひとりがそれぞれの場で自覚的につくっていくしかないのだろう。

まえがき―五十嵐暁郎
第1講 平和研究と平和の概念
第2講 戦争形態の歴史的展開
第3講 戦争の原因を考える(1)―経済的要因
第4講 戦争の原因を考える(2)―政治的要因
第5講 戦争の原因を考える(3)―心理的要因
第6講 戦争と平和についての理論
第7講 現代における戦争と平和
第8講 平和の思想
最後に―平和の構造を構築する
解説―平和研究と政治的リアリズム/佐々木寛

高畠通敏/著
五十嵐暁郎・佐々木寛/編
岩波書店

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