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2015年7月10日 (金)

非武装国民抵抗の思想

150703_011
古い書物を引っ張り出すことにした。
それは今、「日本を取り巻く安全保障環境は,北朝鮮による核・ミサイルの開発など,一層厳しさを増しています。また,技術が進歩し,国際テロ,サイバー攻撃といった国境を越える脅威が増大しています。」(外務省「日本の安全保障政策」:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/page22_000407.html)との認識に立つとして、国会での安全保障法制の論議が行われていることによる。
また、内閣官房にも「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の一問一答がある。
こうした動きに対して、国家や軍隊に任せるのではなく、主権者たる国民がどのように「われらの安全と生存を保持」し、いかにして「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め」、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成」することができるのか。
そして、たとえ政府間に対立があったとしても、「平和を愛する諸国民の公正と信義」を「信頼」し、もって「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するために、何が求められ、自ら何ができるのか。
こうしたことを問うためには、あらためて本書で何が問われたのか、本書から何を受け継ぐことができるのかを確認しておくことが必要だろうという観点である。

本書の刊行は1971年、パリではベトナム民主共和国、ベトナム共和国、南ベトナム共和国臨時革命政府、アメリカ合衆国の会談が続いていたが、調印はまだ待たなければならない。
一方で、キッシンジャー米大統領補佐官が中国を極秘訪問し、秋には中華人民共和国が国連に加盟、翌1972年にはニクソンが訪中することになり、また国内では「四次防」が準備されていた。
したがって、ソ連が崩壊して四半世紀が経過した、現在の状況とは異なる状況のもとでの考察であることは留意しなければならないが、本書で提起された「思想」は、それでも有効性を保持しているのか、あるいは有効性を失い不必要になってしまったのか。

本書「第二章 核の迷信からの脱却」では、執筆された当時の核による抑止力に関しての考察があり、この章での展開は、核に限定せずとも「抑止」について考えさせられる。
本書においては、抑止力とは「警告と威嚇を利用して、相手をしてその後にもたらされる結果を恐れさせ、あるいは少なくとも好もしくない結果を予想させることによって、行動を思いとどまらせることである。」(藤井治夫「自衛隊」1970)(P.26)とし、詳細は本書に譲るが、「核の威嚇が絶望的な軍事体系であること」(P.50)を解き明かしている。
一方で、政府はいま、安全保障法制を整備することにより「争いを未然に防ぐ力、つまり抑止力を高めることができ」「日米間の安全保障・防衛協力を強化することで、日本に対して戦争を仕掛けようとする企みをくじく力が強化され」るとしている(上記内閣官房サイト)が、今の安全保障論議において「抑止力」の説明が全く省略されていることは明らかだろう。
核によらない抑止力であっても、警告と威嚇の利用であることには違いはない。

本書では「市民的防衛」を、主として第三章で検討しているが、この検討のなかで、「《市民的防衛》の基本的前提条件をなすものは《社会的》デモクラシーの体制である」として「政治過程にたいして監視と参加を怠らない《成人した市民》こそ、そのもっとも有用な責任主体といわねばならない」との説を紹介している。(P.117)
その過程を、「政府の公的措置として《市民的防衛》省の設置にはじまる、いわば《上から》の途」と「《下から》の途であり、市民の政治参加と、なかんずく非暴力的行動による内政改革につとめる方法である」との説を紹介し、考察する。(P.118)
そして、《上から》の途による場合、それは「《市民的防衛》は容易に《民間防衛》(郷土防衛隊や自主防衛論!)計画に改鋳され」、その例として、スイスの「民間防衛」をとりあげ、「スイスのような自由な伝統をもつ国家においてすら、《上からの》民間防衛の構想が、ナイーヴな愛国心の鼓吹による《編成社会》化に仕え、実際に抵抗力のある《参加するデモクラシー》の組織化に役立たぬことを示すものであろう」とし(P.119)、「社会的民主化の努力と《市民的防衛》の決意とは弁証法的な関係に立つ」(P.121)ことを指摘している。

第四章以下では、それまで検討してきた《市民的防衛》を支える条件として不可欠な、「国民の持続的・内発的なエネルギー」についての検討が行われる。
このようなさまざまな考察をふまえ、21世紀の状況における《市民的防衛》を支える条件については、私たちが検討して行かなければならないと考える。
そのことによって、「同盟国である米国を始めとする関係国と連携しながら,地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与」する「積極的平和主義」(上記外務省サイト)などではなく、名実共に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有すること」ができるようにしていくための努力としての「積極的平和主義」を、主権者としてどう実践していくかを、「社会的民主化“との弁証法的関係のなかで考え実行していくことと結びつくのだろう。

第一章 われわれは今どこにいるか
第二章 核の迷信からの脱却
第三章 非武装国民抵抗の構想
第四章 平和のための教育
第五章 良心的兵役拒否の思想

宮田光雄/著
岩波書店

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