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2015年6月 2日 (火)

集団的自衛権の政府解釈の変遷(「平和のための革命」資料)

憲法制定期及び制定直後
集団的自衛権に関する解釈を明確にするような答弁は見当たらない。
「戦争放棄に関する規定は、直接には自衛権を否定していないが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄した」(昭和21年6月26日、第90回帝国議会、吉田茂首相)
「国際連合憲章の第50条か第5 条に、国家の単独の自衛権という観念のほかに、集団的の自衛権というものを認めている。この集団的自衛権というものは国際法上認められるかどうかということは、今日国際法の学者の方々の間に非常に議論が多い点であり、私どもは実はその条文の解釈に全く自信をもっていない。」(1949年12月、衆議院外務委員会、西村熊雄外務省条約局長)

1950年~1956年(朝鮮戦争及び対日講和時期)
我が国は独立国であるから、個別的自衛権のみならず、集団的自衛権も有する旨の答弁がある。しかし、後年に政府が定式化する集団的自衛権概念とは異なった形で説明していた(個別的自衛権共同行使説に相当)。また、集団的自衛権は、警察予備隊を海外(主として朝鮮戦争)に派遣することとして捉えられている。
集団的自衛権という問題は、日本の独立後、おそらく一番重大な問題になってくる問題だろう」と位置付けつつ、「国際連合憲章によると、第51 条に集団的自衛権ということが認められている。(中略)かくのごとき集団的自衛権というものを総理大臣はお認めになるか」(第7回国会衆議院予算委員会、中曽根康弘議員質問)に「当局者としては、集団的自衛権の実際的な形を見た上でなければお答えできない」(吉田茂首相)
「一つの武力攻撃が発生した場合に、その武力攻撃によって自国の安全に対する被害を受ける国が数多くある場合には、その数多くの国はおのおの国際法上当然自衛権を行使し得るわけであるが、これらの国が自衛権をいわゆる共同して行使するという場合、そこに集団的自衛権というものがあると解釈するのが一番穏当かと思われる」(第10回国会参議院外務委員会、西村熊雄外務省条約局長発言)
「集団的自衛権は一般国際法上の国家固有の権利とみるべきか、又はサンフランシスコ講和条約によって創設されたとみるべきか」の質問に「(国際連合憲章の)提案者は国家固有の権利としての集団的自衛権という観念を以て作ったと考えている」(第10回国会参議院外務委員会、西村熊雄外務省条約局長発言)
「日本は憲法第9 条によって厳として軍備を持たない、また交戦権を行使しないという国家の性格を明らかにしている。いかなる要請が国連ないしアメリカ政府から出ても、日本としては、この憲法を崩すようなことは断じて許されない」(第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会、西村熊雄外務省条約局長発言)
日本は独立国なので、集団的自衛権も個別的自衛権も完全に持つ。しかし、憲法第9条により、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段である軍備を一切持たないことにしている。だから、我々はこの憲法を堅持する限りは、御懸念(=警察予備隊を国外の軍事行動に使用する)のようなことは断じてやってはいけないし、また他国が日本に対してこれを要請することもあり得ないと信ずる」(第12回国会参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会、西村熊雄外務省条約局長発言)
「自衛隊は自衛隊法によって明らかであるように、外部からの不当な攻撃に対して我が国を防護することを任務としている。ここに限界がある。(中略)日本の自衛隊は、海外に派遣するというようなことは、任務、性格になっていないということを申し上げたい」(第19回国会衆議院内閣委員会、木村篤太郎国務大臣発言)
「平和条約でも、日本国の集団的、個別的の両者の自衛権というものは認められているが、しかし、憲法の観点から言えば、憲法が否認していないと解すべきものは、既存の国際法上一般に認められた固有の自衛権、つまり、自分の国が攻撃された場合の自衛権であると解すべきである。集団的自衛権、これは換言すれば、共同防衛又は相互安全保障条約、あるいは同盟条約ということであって、つまり、自分の国が攻撃されてもいないのに、他の締結国が攻撃された場合に、あたかも自分の国が攻撃されたと同様にみなして、自衛の名において行動するということは、一般の国際法からはただちに出てくる権利ではない。それぞれの同盟条約なり共同防衛条約なり、特別の条約があって初めて条約上の権利として生まれてくる権利である。ところが、そういう特別な権利を生み出すための条約を日本の現憲法下で締結されるかどうかというと、できない。(中略)日本自身に対する直接の攻撃あるいは急迫した攻撃の危険がない以上は、自衛権の名において発動し得ない。」(第19回国会衆議院外務委員会、下田武三外務省条約局長発言)

1957年~1960年(安保改定期)
直前の時期同様、集団的自衛権とは、外国の領土に自衛隊を派遣するという状況を意味すると理解する傾向が強い。そのような限定された理解の上で、集団的自衛権の一切が禁止されているとは考えないという岸首相の答弁がある。しかしながら、これ以降、我が国が制限的な形でも集団的自衛権の行使が許されるという答弁は明示的には行われていない。
1957年5月、「国防の基本方針」が閣議決定され、1960 年1 月19 日に新安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)締結
「外国の領土に、外国を援助するために武力行使を行うということの点だけに絞って集団的自衛権が憲法上認められるかどうかということを言えば、それは今の日本の憲法に認められている自衛権の範囲には入らない」(第31回国会参議院予算委員会、林修三内閣法制局長官の発言)
「いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられている締結国や特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における集団的自衛権は、日本の憲法上は持っていないと考えている」(第34回国会参議院予算委員会岸信介首相発言)
「集団的自衛権というのは、いろいろと広い意味にも狭い意味にも使われているが、端的に言えば、他国を自国と同様に守るということであり、それが中心的な観念と考えられる。これに対し、自分の国を守るということは、これは個別的自衛権である。自分だけで守る力が不足であるから他の国の協力を得て守るということは集団的自衛権の発動ではない。まさに個別的自衛権の発動である。」(第34回国会衆議院予算委員会、林修三内閣法制局長官発言)
「集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということだが、それに尽きるものではないと我々は考えている。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たないということは言い過ぎだと考えている」(第34回国会参議院予算委員会、岸信介首相発言)
「例えば、現在の安保条約において、米国に対し施設区域を提供している。あるいは、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して経済的な援助を与えるということ、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、私は日本の憲法は否定しているとは考えない」(第34回国会参議院予算委員会、林修三内閣法制局長官発言)

1960~1970年代
集団的自衛権に関する積極的な答弁はあまり見られない時期である。しかし、1972年の決算委員会資料により、1981年に確立する、政府による集団的自衛権概念の定義の萌芽が見られる。
「私は、アメリカの基地といっても、日本の領海、領土、領空を侵害しないでそういう攻撃はないと思っている。その場合には、私は自衛の権利がある、これは日本本土に対する攻撃をされたように考えるべきではないかと考える」(第59回国会参議院予算委員会、佐藤栄作首相発言)
「我が国と連帯的関係が仮にあるとしても、他国の安全のために我が国が武力を用いるというのは憲法第9条の上では許されないだろう。(中略)我が国が集団的自衛権の恩恵を受けているのはともかくとして、我が国が他国の安全のために兵力を派出してそれを守るということは憲法第9 条のもとには許されないだろうという趣旨で、集団的自衛権は憲法第9条で認めていないだろうというのが我々の考え方である」(第61回国会参議院予算委員会、高辻正巳内閣法制局長官発言)
アメリカ軍の戦闘作戦のために在日アメリカ軍基地を提供することの合憲性に関する質問主意書に対し「(当該判決のような)理は、現安保条約についても、変わるところがあろうはずはなく、現条約に基づく米軍の基地(施設及び区域)の使用について、応諾を与えることが憲法第9条、第98条第2項及び前文に違反することは、あり得ないことである」(第61回国会衆議院松本善明議員提出の質問主意書に対する答弁書)
「政府は、従来から一貫して、我が国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っている。(中略)我が憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」(第69回国会参議院決算委員会提出資料)

1980年代
1981年5月の質問主意書への答弁によって、集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」を意味するものであるという後年に踏襲される解釈が明確化された(個別的自衛権合理的拡大説)。その後は、この答弁の繰り返しとなり、議論の対象は、個々のケースが集団的自衛権に当たらないかということになっていく。特に、1980年代においては、シーレーン防衛、アメリカ軍への情報提供、リムパック参加及び在日米軍経費負担が、集団的自衛権ではなく、個別的自衛権の行使であることが答弁されている。
1980年2月海上自衛隊のリムパック初参加、1981年5月シーレーン防衛の表明、1982年11月に初の日米共同統合実働演習
多賀谷眞稔議員の「リムパックという環太平洋の合同演習は(中略)、まさに憲法が禁止している集団的安全保障の一翼を担うことになる集団的自衛権の発動である」発言に対して「この共同演習参加を通じて、戦術技術の訓練、向上を図ることにすぎないのであって、それ以上のものとは考えていない」(第91回国会衆議院予算委員会大平正芳首相発言)
「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9 条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」(第94回国会衆議院稲葉誠一議員提出の質問主意書に対する答弁書)
「個別的自衛権についても、海外派兵はできないとか必要最小限度の行使というように、一般にほかの国が認めているような個別的自衛権の行使の態様よりもずっと狭い範囲に限られている。そういう意味では、個別的自衛権は持っているが実際に行使するに当たっては、非常に幅が狭い。ところが、集団的自衛権については、全然行使できないのでゼロである。」(第94回国会衆議院法務委員会、角田禮次郎内閣法制局長官発言)
「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思う」(第98回国会衆議院予算委員会、角田禮次郎内閣法制局長官発言)
「日本が武力攻撃を受けた場合に、日本が救援、来援するアメリカの艦船等に対して、その日本に対する救援活動が阻害される場合に、日本側がこれを救い出すということは、領海においても公海においても、憲法に違反しない個別的自衛権の範囲内である」(第98回国会衆議院予算委員会、中曽根康弘首相発言)
「我が国に対する武力攻撃が発生し、我が国が自衛権を行使している場合において、我が国を攻撃している相手国が、我が国向けの物資を輸送する第三国船舶に対し、その輸送を阻止するために無差別に攻撃を加える可能性を否定できない。そのような場合に、その物資が我が国に対する武力攻撃を排除するため、あるいは我が国民の生存を確保するために必要不可欠な物資であるとすれば、自衛隊が、我が国を防衛するための行動の一環として、その攻撃を排除することは、個別的自衛権の行使の範囲に含まれるものと考える」(第98回国会参議院予算委員会、谷川和穂防衛庁長官発言)
二見伸明議員の「例えば、P3C が発見した情報を米軍に流す、その情報によっては直ちに米軍が実力行動に出るという情報もある。(中略)情報は武力行使ではないから集団的自衛権に当たらないという考え方はおかしいのではないか」に対し「私たちが得た情報というものをどう処理するかについては、そのときどきの情勢において私たちの国益、それからそのときの状況等によって判断するが、一般的に情報交換というものはいわゆる集団的自衛権の行使を禁ずる原則に背馳するものだとは思わない」(第104回国会衆議院予算委員会、加藤紘一防衛庁長官発言)
斉藤邦彦外務省条約局長が「憲法上認められていない集団的自衛権の行使は、我が国による実力の行使を伴うのであるので、実力の行使に当たらない便宜供与はそのような集団的自衛権の行使に当たらないと考えている。我が国が米軍に対して極東有事の際にいわゆる便宜供与を行うことは、一般には実力の行使に当たらないので、集団的自衛権の行使には当たらないというのが政府の見解である」(第112回国会参議院予算委員会会、斉藤邦彦外務省条約局長発言)

1990年代
岸戦争を背景としてのPKO 等の自衛隊海外派遣が主たる議論の対象となる。武力行使と一体化せずに自衛隊がアメリカ軍等に協力する場合には、集団的自衛権の行使には当たらないとの答弁がなされた。また、武力行使との一体化はどのようにして判断すべきかについての四つの判断基準が提示された。
「①国連軍に対する関与の在り方としては、「参加」と「協力」がある、②参加とは、国連軍の司令官の指揮下に入り行動することを意味し、当該国連軍が武力行使を伴うものであれば、自衛隊が国連軍に参加することは、自衛のための最小限度の範囲を超えるものであり、憲法上許されない、③協力とは、国連軍の組織の外にあって行う、参加に至らない各種支援を含むことを意味する、④参加に至らない協力については、国連軍の目的・任務が武力行使を伴うものであっても、その武力行使と一体にならないようなものは、憲法上許されると解される」(第119回国会衆議院国際連合平和協力に関する特別委員会、中山太郎外相発言)
「(PKF への参加について)仮に全体として平和維持隊などの組織が武力行使に当たるようなことがあっても、我が国としてはみずから武力行使はしない、また当該平和維持隊などの組織とそれが行う武力行使と一体化することはないということであって、我が国が武力行使をするという評価を受けることはない。したがって、憲法前文や9条の平和主義や武力行使の禁止に反するようなことはない。」(第121回国会衆議院国際平和協力等に関する特別委員会、工藤敦夫内閣法制局長官発言)
湾岸戦争及びその後に議論されたPKO(国連平和維持活動)等への自衛隊の海外派遣問題が発生、「多国籍軍の武力行使と一体とならないような協力であれば憲法上許される。しかし、具体的に、湾岸戦争の際のような多国籍軍への協力を念頭に入れた法律は今はない」(第125回国会参議院内閣委員会、加藤紘一内閣官房長官発言)
「アメリカ軍に対する補給などについては、その武力行使と一体になるような行動かどうかということによって、憲法上の問題は決せられるべきものである。(中略)各国軍隊による武力の行使と一体となるような行動に該当するか否かは、①戦闘行動の地点と当該行動の場所との地理的関係、②当該行為の具体的内容、③各国軍隊の武力行使の任にある者との関係の密接性、④協力しようとする相手方の活動の現況等、の諸般の事情を総合的に勘案して個々具体的に判断されるべきである」(第136回国会参議院内閣委員会、大森政輔内閣法制局長官発言)
「自衛隊が常日頃行っている情報収集活動あるいは警戒監視活動を通じて収集した情報を、一般的な情報交換の一環として米軍に提供することは、実力の行使には当たらない」(第140回国会衆議院外務委員会、秋山收内閣法制局第1部長発言)
「武器弾薬の輸送それ自体は武力の行使に該当せず、また戦闘地域と一線を画する場所において行うという前提にかんがみれば、アメリカ軍との武力の行使の一体化の問題は生じない」(第140回国会参議院、橋本龍太郎首相発言)
「後方地域というのは国際法上今まで使われてきた概念ではない。そして(中略)、憲法9条との関係で武力行使との一体化を定型的に避けるためにそうした概念を作った」(第140国会参議院予算委員会、高村正彦外相発言)
周辺事態安全確保法の審議で「(同法で実施することを想定している)後方地域支援は、米軍に対するもののみであるが、それ自体は武力の行使との一体化の問題が生じることは想定されず、(中略)集団的自衛権の行使につながるものではない」と答弁している(第145回国会参議院、小渕恵三首相発言)

2000年~2009年(政権交代以前)
政府が集団的自衛権の問題につき、さまざまな角度から分析をした時期である。特に、弾道ミサイル防衛(BMD)が可能かどうかが主たる議論の対象となった。政府は、BMD の一部について警察権の行使に位置付け、集団的自衛権の行使には当たらないと答弁している。このように、個別的自衛権で説明する領域が徐々に広くなってきている。
「PKOは、国連が世界各地における地域紛争の平和的解決を助けるための手段として、実際の慣行を通じて確立してきた一連の活動であり、基本的に中立、非強制の立場で行われるものであるから、このようなPKOへの参加は集団的自衛権の行使には当たらない」(第151回国会参議院外交防衛委員会、谷内正太郎外務省総合外交政策局長発言)
「政府は、従来から、我が国が国際法上集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然であるが、憲法第9 条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えてきている。憲法は我が国の法秩序の根幹であり、特に憲法第9 条については過去50 年余にわたる国会での議論の積み重ねがあるので、その解釈の変更については十分に慎重でならなければならないと考える。他方、憲法に関する問題について、世の中の変化も踏まえつつ、幅広い議論が行われることは重要であり、集団的自衛権の問題について、様々な角度から研究してもいいのではないかと考えている。」(第151回国会衆議院土井たか子議員提出の質問主意書に対する答弁書)
「対応措置の実施は、いわゆる非戦闘地域において実施することとされている。これは、我が国が憲法の禁ずる武力の行使をしたとの評価を受けないよう、他国による武力行使との一体化の問題を生じないことを制度的に担保する仕組みの一環として設けたものである」(第156 回国会衆議院、石破茂防衛庁長官発言)
「ミサイルは、必ずしも、その発射があった、飛来があったという事実だけで直ちに急迫不正の侵害があった、武力攻撃があった、かつ他に手段がないんだというふうに断ずるに至らない場合にも、これは事柄の性格上対応せざるをえない」(第162回国会衆議院武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会、阪田雅祐内閣法制局長官発言)
「相手方からミサイルを撃ってくる、そのミサイルが急迫であることは事実である。急迫であることは事実だが、それが不正であるのかどうか疑問があり、(中略)自衛権の発動の三要件の第一項目の急迫不正の、不正に当たらない場合があるのではないか」という例外的なケースも想定している答弁が見られる(第162回国会衆議院武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会、大野功統防衛庁長官発言)
BMDを集団的自衛権の行使とは解釈されないことにつき、自衛隊法第82条の3に基づく同措置は「自衛隊法上の任務として公共の秩序の維持に該当し、あえて整理すれば、警察権の行使に相当するものと言ってよい」(第162回国会衆議院、大野功統防衛庁長官発言)
大量破壊兵器やミサイルの拡散、テロとの闘いといった国際情勢の変化や、武器技術の進歩、我が国の国際貢献に対する期待の高まりなどを踏まえ、日米同盟がより効果的に機能し、平和が維持されるようにするため、いかなる場合が憲法で禁止されている集団的自衛権の行使に該当するのか、個別具体的な例に即し、よく研究してまいる」(第165回国会衆議院、安倍晋三首相発言)

2009年以降(政権交代以後)
これまでの政府答弁を基本的に踏襲している。
「アメリカ軍に沖縄を中心として基地を貸しているということ自体が集団で自衛をしている、防衛をしている発想に、当然広く考えればなるわけであろうかと思う。しかし、一般に議論されている集団的自衛権というものは必ずしもそうでないことも理解している。(中略)同盟関係を結んでいる一方のアメリカの本土が、例えば、何らかどこかの国によって攻撃を受けたときに、果たして日本がそれに対して武力行使というものを行ってよいかどうかという発想がある。そういった発想が、(中略)憲法第9 条の中で日本がとるべきではないと言っている集団的自衛権の発想だと思っており、その意味では、私は、現在の憲法9 条の解釈をこの内閣において現在のところ変えるつもりはない」(第173回国会衆議院予算委員会、鳩山由紀夫首相発言)

「集団的自衛権の政府解釈の変遷」を編集。

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