大分と熊本 1 岡城跡
朝のお散歩に出てみると、看板に「ドイツ観光村」という名称と距離が約1kmと書かれてあったので、ちょっと行ってみることにした。
だらだら坂をあがっていくと、自転車にのった中学生が「おはようございます」と追い越していく。
けれども、歩いても歩いても、それらしき看板はない。
あきらめて宿に戻って、朝ごはんにすることにした。
田圃は田植えが済んだばかり。
きょうは竹田の散策である。
車で他車のまったくいない県道47号線を走って、9時すぎに豊後竹田駅に到着すると、09:12発の真っ赤なキハ185系別府発人吉行九州横断特急 1号(1071D)が発車していった。
観光協会に行き、お願いしておいたボランティア・ガイドさんと落ち合う。
リタイアしたおじさんであった。
車で岡城跡に向かい、駐車場に車を置くと、あとは歩きである。
岡城跡入り口、ここから石段を上がることになるが、途中から木の階段がつけられて登りやすくなっている。
岡城跡の石垣は、岩盤も利用している。
岡城跡、中央に立つのは箱根ユリである。
箱根ユリの謂れでは、岡藩第四代藩主中川久恒公が参勤交代の際に、鑑賞用、非常時の食料とするために持ち帰ったものだそうで、市の花だったときもあるようだ。
現在の市の花は、ミヤマキリシマ。
西中仕切から見た石垣の高さは70mあるとかで、どうやってきおの山の上まで持ち上げたのか、気になるところだ。
石積みは、ぴったり合っている
二の丸跡に瀧廉太郎像が立ち、像のそばでガイドさんは「箱根八里」を唄う。
二の丸跡から西中仕切の石垣を見る。
石垣の上には柵などはない
石垣の高さは、下からのびる木の頂点まである。
荒城の月の碑のそばで、ガイドさんは「荒城の月」を唄う。
列石は、昔のガードレールがわりだったそうな。
晴れていれば阿蘇が見えるはずだが、今日はだめだった。
近戸門跡を通って七曲がりを降りていく。
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