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2015年4月 6日 (月)

オーストリアの歴史 第二次世界大戦終結から現代まで

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ギムナジウム高学年歴史教科書「Zeitbilder, Geschichte und Sozialkund, 8(時代像、歴史と社会8)」の邦訳である。
きわめて特徴的なことは、学ぶ者が自ら考えていき、自らの「歴史認識」を持つことに力を注いでいることである。
著者たちは最初に、「現代史研究の問題点」で、現代史は「古代や中世についてと同じようには―距離を置いて、あるいは客観的に述べることはできない。」(P.6)としたうえで、その理由を提示している。
このことから「オーストリアの現代史について、確定的かつ最終的な知識を提示することはできない。」と言い切る。
そのうえで、「できるだけ多様な観点や視点を提示することにつとめ」(略)「私たちは、本書の記述をあなた方が批判的に読み解き、判断し、検討し、歴史を見つめるあなた方自身の視点を獲得し、かつまた、独自の評価と判断を導き出すことを切に願っている。」(P.7)と結んでいる。

具体的な内容では、「第1章 オーストリア―第二共和国」は、「オーストリアの頭上に振り下ろされた鉤十字」、つまりナチズムの記述から始まる。
それも、「第二次世界大戦が終結して何十年も経ち(略)今日なおある種の人々が存在する(略)彼らは、かつてオーストリアの国家社会主義的な独裁政治の肯定的側面について繰り返し語って止まないのである。」と始まるのである。
このことに関する文献からの引用や、アンシュルスによって州から大管区に変更された地図を示したうえで、次のような課題が並んでいる。
課題1:上述の、彼らのような心的態度は、心理学的にはどこまでできると考えますか?
課題2:ナチズムの犠牲者は、彼らのような人々のかたくなな態度に対して、どのような反慧遠を提出できると考えますか?
(P.8~P.9)
また、「オーストリアはナチズムの犠牲者である」といった面だけが、戦後オーストリアのありようを規定し、長らくそこに安住していた(ヴァルトハイム問題がそこに、ある意味での風穴を開けたという見方もあるだろう)という批判もあるので、「オーストリアは犠牲者であっただけではない? 犯行者でもあった……」というパラグラフもあり、「このような暗黒の過去と対話する可能性について考えてみましょう」という課題も投げかけられている。(P.18~P.19)
ただ、「オーストリア連邦政府が、オーストリア史上のナチズムという一生に関してその立場を明確にしたのは、ようやく1991年になってからである。」という文章がある(P.19)が、なぜこれほど時間がかかったのかについては、言及はない。

日本に関する記述もある。
おやと思ったのは、第二次世界大戦の日本にとっての終結に関する記述で、日本では第二次世界大戦というより太平洋戦争といったほうが通りはいいとは思うが、それはともかく、終戦はいつか、という点である。
本書の記述では「日本にとって第二次世界大戦が公式に終結したのは1945年9月であった。」である。
「公式に」つまり、降伏文書調印をもって戦争が終結したのであるからその通りなのだが、8月15日で戦争が終わったという日本では一般的な感覚との違いは何に起因するのだろうか。
このほか、アジアやアメリカその他の国々の記述もあり、本書が「オーストリアの歴史」であっても、各国の歴史にふれているのは、教科として日本のように「世界史」「と「日本史」と分けていないのだろうか。
もっとも原著名には、「Österreichische」という括りはない。

そして「Geschichte und Sozialkund」とあるように、必ずしも歴史の記述だけではない。
第12章以降が「Sozialkund」にかかわる内容で、その前の「Geschichte」と一体的に学習できる構成になっている。
ギムナジウム、日本でいえば高校生に相当するだろうが、日本のある意味無味乾燥な事実の羅列的な教科書に比べると、一定の価値観に基づいていると思えるし、生徒へのさまざまな問いかけのあるこうした教科書の邦訳の価値は大いに感じる。

それだけに、残念に思うこともいくつかあり、まず、訳がちょっとこなれていないように思う。
「政党は、きょうび、どんなふうな選挙キャンペーンを行っているでしょうか?」(P.187)、教科書として考えると、「きょうび」は「今日(こんにち)」だろうし、「どんなふうな」は「どのような」じゃないかしら。
そして、これは何だろう?と思うところもあった。
例えば「第1章 オーストリア―第二共和国」の「飢餓と通貨改革に対する闘い」というパラグラフに、「食糧の1日あたりカロリー数は、極端な場合1人350キロカロリーにしかならなかった。」という文章と「1947年11月からは1700カロリーになった。」という文章がある。
「kcal」と「Cal」との混乱(ジュールまでの話ではないだろう)とは思うのだが、原文を見てみたい。
この「飢餓と通貨改革に対する闘い」というタイトルにしても、内容から「飢餓に対する闘いと通貨改革」ではないのだろうかと思うのだが、これも原文を見たい。
細かいところでは、ベルリン(本書では「ベルリーン」と表記)の壁崩壊で東の市民が西に入っていったときの写真にトラバントが映っていて、キャプションでは「<トラヴィス>(Travis、東独製の小型自動車=訳者注)に乗って」となっている。
トラバント(Trabant)は「Trabi」と称されることはあっても、「Travis」と呼ばれたことがあったのだろうか、原文はどうなっているのだろう。
加えて、図版の扱いであるが、定義づけられた対象が示された地図とかグラフがいくつかある。
もともとはカラーだったのだろうが、本書ではモノクロなので、濃淡による違いが明白ではないものもあり、地図やグラフ上に示されたものがどの定義の部分なのかが不明なものもある。
地図の書き換えは難しいかもしれないが、何か工夫できなかったのだろうか。
また、ところどころ「……」とされているところがあるが、原文でも「……」だったのか、訳出にあたって省略されたものなのか。
P.192の、連邦選挙に関する記述で「本書193頁のグラフを参照。」とあるのは、「本書191頁のグラフを参照。」の誤り。
193頁のグラフは、実質経済成長率のグラフで、政党得票率のグラフが191頁にある。
このほかにも、「14歳以下の子供は<刑法上の成人に達した>とされる。」(P.227)の「以下」は「以上」なのではないか、「国民議会は、憲法裁判所、行政裁判所、会計検査院、国民弁護人(Volksanwaltschft)は立法(権)と行政(権)の重要な監督機関である。」(P.230)の「国民議会は、」の「は」は、「国民議会から国民弁護人までが監督機関」と言う意味ならば、不要ではないかなど、細かいところでもちょこちょこ?的なところがある。
「コソヴォ開放戦線」や「コソヴォ開放軍」(P.317)は「コソヴォ解放戦線」や「コソヴォ解放軍」だろうし、「イタリアのジプシーが造った人口国家」(P.327)は「イタリアのジプシーが造った人工国家」だろう。

もうひとつは、原著の刊行時期である。
いつ刊行されたのかは本書の中では明示されていないが、「英国が所有する重要なそれは香港であるが、香港は長期の賃貸借契約の期限切れにより、1997年に中国に返還されることになっている。」(P.160、「第10章 こんにちの<第三世界>」)という記述があったり、「時事ジャーナル」でとりあげられている内容の最後が9.11であったり、奥付の著作権表示が2002年であることから、おそらく2000年代初期であると思われる。
つまり、十数年前の教科書ということになる。
ちょっと古すぎやしないだろうか。

現代史研究の問題点
第1章 オーストリア―第二共和国
第2章 二つの<ブロック>に組織化された世界政治
第3章 戦争は終わった、しかし、平和はどこにもない
第4章 第二次世界大戦終結以降の危機の根源
第5章 <ソヴィエト連邦>から<独立国家共同体>へ
第6章 <人民民主主義>から<我々が人民だ>まで
第7章 アメリカ―無(有)限の可能性へと開かれた国?
第8章 第二次世界大戦以降の中国と日本
第9章 アジアとアフリカの非植民地化
第10章 こんにちの<第三世界>
第11章 オーストリア―1950年代から現在まで
第12章 オーストリアの政治―議会制度と労使協調路線
第13章 立方、行政、権力の管制
第14章 社会とその<位置価値>
第15章 原題の原理主義
第16章 暴力―軍備―平和と政治
第17章 オーストリア社会の仲の家族
第18章 現代オーストリアの女性
第19章 現代オーストリア社会の中の教会
第20章 マス・メディア
第21章 変わりつつある労働世界
時事ジャーナル」
役者あとがき

アントン・ヴァルト/著
エドゥアルト・シュタゥディンガー/著
アロイス・ショイヒャー/著
ヨーゼフ・シャイプル/著
中尾光延/訳
明石書店

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