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2015年3月25日 (水)

邪宗門(上)

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70年代、この「邪宗門」を含め、この人の作品はどれだけ読んだであろうか。
「わが解体」や「生涯にわたる阿修羅として」は、ある意味バイブルであった。

この「邪宗門」は、当時も今も、民あっての国なのか国あっての民なのか、国あるいは国家のありようの側面のひとつを考えさせる。
「国家のための国民」的な憲法に改正したい政党が政権党であり、そしてその流れこそが主流であるといった方向性が強まりつつある今、高橋和巳が問いかけていたことを、もう一度想起することが必要なのではないだろうか。
同時に、今読むと、オウムやISも思い浮かべざるをえない。

それにしても、昨今、この人のようなも真摯なもの書きがいないのは、さびしい限りである。

高橋和巳/著
河出文庫

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