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2015年2月16日 (月)

ベトナム戦場再訪

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ジャーナリストが、なぜ、リスクの高いエリアに行くのか。
さいきんの事件ではあれこれ考えてみたいことはあるのだけれど、「ジャーナリストのリスク」というところを考えてみたい。
むろん、答があるわけではない。
しかし、既に亡くなった親族に新聞記者がいて、戦前戦時中に上海租界や香港にいたことを思うと、ジャーナリストという人のことにしても、そうしたジャーナリストによる報告に接する者としても、とても他人事とは思えないのである。

ジャーナリストが戦地に赴くことについて、賛否がけっこう渦巻いている。
そのなかで、自己責任や自業自得、さらには、自己宣伝や報酬のために危険地帯に行くのは無責任だとか、拘束などされたら国民の税金を使って国が救出することになり、政府や税を負担した国民に迷惑をかけるので救出を求めずに行くべき、などといった論もある。
自己責任については、何に対する責任かも不明確であることは留意しつつ、自分で決めてリスクの高い地に行く以上そのとおりだろうが、自業自得論や迷惑論は、どうも異なるベースをもつ概念を同じ土俵で対置させて、どちらかを選べと言っているように思われ、為にする論議のような違和感を感じる。

ただし、旅券返納命令にような、報道の自由や外国移住の自由と国家による自国民保護を目的とした規制との関係については、その考えの元となる憲法や法律があるので、法律論としての議論は積み重ねるべきだと思う。

なぜ、ジャーナリストが戦地に行くのか。
「現地に行かなければわからないことがある」、これに尽きるだろう。
しかし、これだけインターネット網が世界を覆っているなかでは、ジャーナリスト「だけ」が情報発信しているわけではないという考え方もあるかもしれない。
たしかに、戦地のシリアなどからも、ネットを通じて情報を得ることができるし、情報を発信しているのは政府や「テロリスト」だけではなく、一般市民からのものも多い。
であるからこそ、あらためてジャーナリストの役割、使命が問われているということになるのだろうと考える。
つまり、どのような問題意識を持って現地に赴き、得たものを持って帰ってくるのか、ということだ。
そしてまたこのことは、ジャーナリストの拠って立つ世界観をくぐりぬけた報告であるとき、中立や偏向とは何なのかということも、問われることになる。
さらに、私たちがジャーナリストに何を求めているのかということも、同時に問われることになる。

ベトナム戦争当時も、多くのジャーナリストが現地入りした。
西側のジャーナリストの多くは、サイゴンを拠点としていた。
しかしたとえばサイゴンで、米軍発表、南ベトナム政府発表をもらうだけでなく、米軍や南ベトナム政府軍に従軍しながら前線に行ってもいた。
けれどもこれでは、当事者一方の情報を得ているだけであって、解放戦線や北ベトナムの様子がわかるわけではない。
「ベトナムを石器時代に戻してやる」と言ったのは、米空軍参謀長のカーチス・ルメイだったが、激しい爆撃にさらされた解放区や北ベトナムがどのような状況にあったのか、人びとがどうしていたのか、ジャーナリストたちは解放区に入り、あるいは北ベトナムに入って、その地の様子を報道したのだった。
北ベトナムの実情を報じたことが、とりわけ軍事施設しか狙っていないとされていた爆撃で、実際には病院や寺院が破壊されていたことが報じられ、アメリカの言っていることが必ずしも正しいとは限らない、という、今考えれば至極あたりまえのことが世の中に広められたのだった。

この時代にも、多くのジャーナリストが亡くなっている。
「外国人ジャーナリストの犠牲者は、ベトナム戦争では全部で33人(ベトナム人を含めると63人)とされているが、カンボジアの内戦ではそれを上回る36人を数える。そのうち、11人が日本人だった。」
(日本記者クラブのサイトより)

こうした役割を持つ、あるいは持つように期待するジャーナリストについて、単に自業自得だとか迷惑をかけているといった論理で批判することは、世の中のさまざまなできごとをどのようにして知り、そして、そのできごとにどう向き合うかといった、自分じしんの問題としてできごとをとらえようとしているようには、見えない。

もっとも、ジャーナリズムの側にも、自己の安全を図りつつリスクはフリーのジャーナリストに負わせているといった様相もあるので、単純な話ではないのだが。

政府から「行くな」といわれたとき、ジャーナリストは「これでいいのか」、問い続けるのだろう。

前置き(ごく一部修正したが、他の機会に書いたものの再掲)が長くなったが、本書は、そうしたジャーナリストのありようについて考えてみるために手にしたものだ。
本書でも、MACV(ベトナム駐留米軍援助司令部)の夕方のブリーフィングのことが書かれているが、次のようなくだりがある。
「報道官がマジメな顔つきで「今日の敵のボディカウントは水牛五頭」と報告し、記者団の爆笑を誘うこともあった」(以下略)
「米軍やサイゴン政府軍が戦闘の際にむやみやたらに水牛を狙って殺すので、農民たちは農作業ができなくなって困った」(略)
「水牛の「戦死」は人々の生活を脅かす一大事だったのである。
(以上18ページの記述)
このとき、記者たちは、生活を脅かされた人々のほうまで思いを持つのかどうか。

むかし、「戦場の村」「再訪・戦場の村」を読んだ。
その著者の本多勝一氏も解放戦線側の取材を行っているが、これは自らの意思で解放区に入ったもので、本書の著者のように、解放戦線側に捕らえられたものとは異なる。

本多氏の書籍が参考文献に出てこないのは、以前はライバル社の人だったから当然かもしれないが、古田元夫氏の書籍が1冊出て来るものの、吉沢南氏の「ベトナム戦争―民衆にとっての戦場」や「同時代史としてのベトナム戦争」(これは、本書のあとだから、ちと無理だな)は、参考文献に出てこないのだが、なぜだろうか。
とはいえ、ベトナムやアメリカの資料を使っているので、内容的には説得力を持っている。

はじめに
第一章 解放戦線に捕まって
 第一節 サイゴン、一九六〇年代半ば
 第二節 一九六七年六月、ドゥクホア
 第三節 サイゴン脱出
第二章 捜しあてた解放戦線の兵士
 第一節 戦争は終わった
 第二節 有力な手がかり
 第三節 再会
 第四節 ちょうど四十年前のこの日
第三章 抗仏・抗日の時代
 第一節 抗仏時代のドゥクホア
 第二節 第二次世界大戦直後のベトナム
 第三節 ベトナム戦争の伏線
 第四節 ジュネーブ協定後の混乱
第四章 アメリカとベトナム
 第一節 ゲリラの戦い
 第二節 三本の赤い矢
 第三節 抵抗の土壌
 第四節 ジエム没落とCIA
第五章 すれ違いの悲劇
 第一節 ホー・チ・ミンとアメリカ
 第二節 大きな断層
終章 戦争を超えて

北畠霞/著
川島良夫/著
連合出版

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