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2015年1月31日 (土)

若者よ、マルクスを読もう II

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芝田進午氏の「実践的唯物論への道」の中に、芝田氏がマルクスの書を原語で精読したことがかかれてあった。
原語でマルクスを読むなど、とても無理な話であるが、第一部でもふれられているのだが、「日本のようにマルクスの全著作どころか草稿までも翻訳されており、それについての膨大な研究書があり、かつマルクスの理想の実現を掲げる政党が国会に議席をもっている」国は、日本とフランスぐらいだというくらい世界でも珍しいのだとしたら、その環境を最大限利用しない手はないだろう。

第一部の内田樹氏×石川康宏氏による「もしマルクスが現代の日本に蘇ったら!?」が、刺激的であり、見事である。
どう刺激的で見事なのかは、ぜひ本書を手にして確認してほしい。
なぜ21世紀のいま日本で、19世紀のヨーロッパのマルクスを持ち出すのか、にも関連する。
東欧とソ連の崩壊で、社会主義は敗北したといわれたが、「マルクスの思想の再検討を伴うものではなかった」(P.33)し、「マルクスにかわって人間社会の未来を語るまとまった社会思想として(中略)何も出て」(P.33)こなかった。
ということは、「いまの日本はどうなっているのだろう?」「どうすればいいのだろうか」ということを、どのように考えればいいのだろうか、そのために、もう一度、マルクスを読んでみる、ということだ。
今、日本を覆っている「自己責任」論や「勝ち組・負け組」、「連帯」などについて、ほんとうは同胞みんなが支えあうシステムが必要なのにそうなっていない、正規と非正規の格差や世代間格差(こうした格差は、雇う側・支配する側が雇われる側・支配される側の分断を目論んで煽っている感)など、今の世の中のありようから捉えなおすことができる。
本書には直接かかわるものではないが、「サヨク」反日」「売国奴」連呼を自らも使ってしまっている人たち、嫌韓反中的心情を吐露する人たちの大多数も、「おこぼれ経済」のおこぼれすらもまわってこない、巧妙に分断され踊らされてしまっている、本来は雇われる側・支配される側の人たちなのだろう。
その人とたちも含めて、「いつでも解雇できるような不安定な雇用条件で(略)一日一五時間とかいう非人間的な労働時間を強いられ、数年で心身を病むようになった」(P.43)こなかったこの日本の「資本の横暴を、段階的に、次第に制御」(P.83)し「より民主的な資本主義をつくる」(P.83)、さらに「資本主義を超える社会」(P.83)を展望するとき、「マルクスに学び、現代を読解する」(P.233)ことが大きな力になるはずだ。

本書の前巻(若者よ、マルクスを読もう)で扱われた「共産党宣言」においては、もともとは古代ローマ時代に「自分の子ども以外資産をもたなかった最下層の民(Prples)」(P.200)の人々のことであった「プロレタリアは、共産主義的革命において、自分の鎖のほかに失うものはなにもない。」(服部文男訳・「共産党宣言・共産主義の諸原理」・原文1)とされ、革命によって「階級および階級対立をもつ古いブルジョア的社会の代わりに、各人の自由な発展が、万人の自由な発展のための条件である連合体(アソツィアツィオーン)が現れる。」(服部文男訳・原文2)としている。
とはいえ、いまの労働者の置かれている状態、とりわけ、非正規、ブラックなどの劣悪な労働条件でカツカツの収入しか得られな層は、共産党宣言でいわれた「プロレタリア」ではないのか。
「共産党宣言」そのものは、背景にある1848年のヨーロッパとの関連でとらえられなければならないだろうが、いまのこの世の中でこの世の中のありようをとらえ、何とかしていこうとしていくうえで、マルクスの「掬すべき知見」「蘇らせるべき多くの叡知」(P.29)は、「きわめて有効な手だて」(P.29)になるはずだ。
そして、共産党宣言の最後は、「Proletarier aller Länder, vereinigt euch!」なのである。
「ブルジョアジーを、敵を倒せ!」でも「ブルジョアジーの、敵の富を奪還せよ!」でもなく、「持たらざる者たちよ、団結せよ!」なのである。
原文1:Die Proletarier haben nichts in ihr zu verlieren als ihre Ketten.
原文2:An die Stelle der alten bürgerlichen Gesellschaft mit ihren Klassen und Klassengegensätzen tritt eine Assoziation, worin die freie Entwicklung eines jeden die freie Entwicklung aller ist.

第3巻は「フランスの内乱」「空想から科学へ」「フォイエルバッハ論」「資本論」をとりあげるそうな。
楽しみであるが、1冊に入りきるのか?

メモ
芝田進午氏の「実践的唯物論」に至るさまざまなプロセス(スターリン批判と史的唯物論・弁証法的唯物論など)との関連も整理したい気がする。
「集団のなかで子どもは育ってきた」のセクション(P.73)は、乾孝氏の「私の中の私たち」とか「伝えあい心理学入門」を思い出してしまった。

そうだ、「新ライン新聞」が発刊された1848年6月1日に関する記述のところで、なんとマルクスが「三歳」となっている。(P.97)
出版社にお知らせしたところ、次刷で訂正するとのことでした。(2015/2/1 追記)

第一部 〈対談〉 もしマルクスが現代の日本に蘇ったら!?
 1、思想史のなかでのマルクスの位置づけ
 2、現代日本の政治社会状況とマルクス 
第二部 〈往復書簡〉『フランスにおける階級闘争』『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』
 石川康宏から内田樹へ(2010年12月5日)
 内田樹から石川康宏へ(2011年8月8日) 
第三部 〈往復書簡〉『賃金・価格および利潤』
 石川康宏から内田樹へ(2012年9月5日)
 内田樹から石川康宏へ(2014年4月12日) 
第四部 『若者よ、マルクスを読もう』第一巻をめぐって
 1、第一巻をめぐる往復書簡
 2、韓国語版への序文(内田樹)
 3、マルクスに学び、現代を読解する(石川康宏) 

内田樹×石川康宏/著
かもがわ出版

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