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2014年10月21日 (火)

東ドイツの興亡

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統一直後の1991年の刊行であって、東ドイツの40年の歴史を概観する内容ではなく、「東ドイツの存亡を決定づけた国際関係をある程度明らかにすること」「国際関係と民衆の論理という二つのおのおの独自に展開される動向に注目して、東ドイツの軌跡を追」うことに注目して「東ドイツという国はいったい何だったのか?」を解こうとする試みである(「」はいずれも「まえがき」より)。
その意味では、内容に比べて本書のタイトルが、ちょっとそぐわない印象であるが。

あとがきに紹介されている当時のモロドウ首相の言葉「われわれが絶対に忘れてはならないことは、何と言われようと、われわれがこの数十年位わたって営々と育てあげてきた精神的および文化的価値、ならびに(中略)延々とつくりあげた恥ずかしくないだけの立派な価値を、民主共和国は将来の統一ドイツにもちこまねばならないということである。」は、そして本書で「統一ドイツにどんなかたちで残っているのか」(まえがき)との問題提起は、統一から四半世紀たとうとする現在、どうなっているのだろうか。
まさか「AMPELMANNしか残らなかった」ではないだろうが。

著者は「東ドイツ」を使う理由として、「今でもドイツには旧東ドイツ地域を中央ドイツとして、さらに東の現ポーランド領を東ドイツ地域と呼ぶ傾向が一部にあるので、それを意識してのことである。」(まえがき)と記している。
現代ドイツの東の国境、オーデル・ナイセ線は、「1990年11月14日のドイツ連邦共和国とポーランド共和国との間の両国間に現存する国境の確認に関する条約」によって確定したのだった。
オーデル・ナイセ線は、すでに、背後にはソ連の強い意向があったにせよ、1950年7月6日にドイツ民主共和国とポーランド人民共和国との間のGörlitzer Abkommen(ゲルリッツ協定)により、両国間では国境として確定されていた。
しかし「ドイツ民主共和国」の存在そのものをを認めていなかった西ドイツにとっての「東ドイツ」の認識は、「Ehemalige deutsche Ostgebiete(旧ドイツ領土)」としてポーランド領となった地域を含んでいたのだろう。
しかし統一後の「1990年11月14日のドイツ連邦共和国とポーランド共和国との間の両国間に現存する国境の確認に関する条約」(Vertrag zwischen der Bundesrepublik Deutschland und der Republik Polen über die Bestätigung der zwischen ihnen bestehenden Grenze)で確定されてから四半世紀経った現在、著者も執筆当時意識していた「東の現ポーランド領を東ドイツ地域と呼ぶ傾向」は、当のドイツ人において変化しているのだろうか。

1991年のこうした問題意識が、そして問題意識を啓発させた事象が、その後どのように変容したのか、あるいは変容していないのか、現時点におけるドイツの状況をふまえた著者の考えを知りたいと思う。

第1部 東ドイツの生成
 解放直後の反ファシズム
 大戦直後のドイツ民衆の意識変容
 ドイツ分裂をめぐる国際関係
第2部 東ドイツの安定と国民づくりの模索
 ベルリンの「壁」の構築
 緊張緩和期における民族、国家、国民論
第3部 東ドイツ・レクイエム―1989年「革命」という名の体制崩壊から消滅まで
 1989年秋―東ドイツ民衆の意識の変遷
 ビラにみる東ドイツの黄昏
 「革命」の没落と統一ドイツの将来

星乃治彦/著
青木書店

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