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2014年10月23日 (木)

ラデツキー行進曲(上)

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「フランツ・ヨーゼフとハプスブルク帝国」(S.ベラー/著・刀水書房)において、『フランツ・ヨーゼフの姿が変容して年古びた叡知と寛容の光の中の人物像となり、それが戦間期オーストリア文学の「ハプスブルク神話」ーその最も有名で最も感動的な作品』(同書P.262)と評されている作品である。

物語は、ジポーリエの農村出身で、主計下士官となり負傷してラクセンブルク宮庭園管理官となった父をもつスロヴェニア人にトロッタ少尉が、1859年のソルフェリーノの戦い(Schlacht von Solferino、イタリア統一戦争中の戦いで、ナポレオン3世率いるフランス帝国軍とヴィットーリオ・エマヌエーレ2世率いるサルデーニャ王国軍の連合軍と、フランツ・ヨーゼフ1世率いるオーストリア帝国軍が戦い、仏伊軍が勝利、この戦いを目撃したアンリ・デュナンが「ソルフェリーノの思い出」を執筆、国際赤十字につながることになる。)でフランツ・ヨーゼフ皇帝の命を救い、その功績により大尉に昇進し貴族に列せられるところから始まる。
ヨーゼフ・トロッタ・フォン・ジボリーエ、その息子フランツ・トロッタ・フォン・ジボリーエのエピソードはあっという間に終わって、フランツの息子でありヨーゼフの孫であるカール・トロッタ・フォン・ジボリーエの物語となる。
オーストリア=ハンガリー二重帝国の第一次世界大戦期における軍隊のありさまは、すでに兵士シュベイクが風刺的かつ雄弁に物語っているが、本書はシュベイクのような従卒がいる立場にある若い少尉の支線で描かれる。
上巻ではさほど目立たない民主主義や民族主義であるが、これから民主主義及び民族主義の高まりとオーストリア=ハンガリー二重帝国の解体を、カールはフランツ・ヨーゼフ皇帝との間でどのように受け止めるのか。

著者のロートは、ユダヤ系オーストリア人で、オーストリア・ハンガリー帝国が凋落して行く時期にウィーン大学で学び、第一次世界大戦を迎えた。
オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊後は、本来は出身地の属するポーランド国籍を取得すべきであったが、ロートはユダヤ人であることを秘匿してオーストリア国籍を取得でき、ベルリンにおいてジャーナリストとして活動するとともに、小説を執筆する。
しかし、ナチズムを批判してきたロートは、1932年、ナチス政権誕生の直前にフランスへ亡命しなければならなかった。
ロートの著作は、1933年に焚書となり発禁となった。
ロートは、オーストリアがナチス・ドイツに併合された翌年、44歳で亡くなり、パリ郊外の墓地に葬られた。
ロートの妻は精神病を患っていたためロートとともに亡命することなくオーストリアにとどまり、ナチスの優生額思想に基づく「Aktion T4」により「安楽死」となったとのことである。

ヨーゼフ・ロート/著
平田達治/訳
岩波文庫

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