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2014年10月27日 (月)

ラデツキー行進曲(下)

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下巻では、フランツ・トロッタ・フォン・ジボリーエとカール・トロッタ・フォン・ジボリーエとの、父子の関係を軸に、どちらかといえば父に軸足を置いて物語がすすんでいく。
皇位継承者(Thronfolger)たるフランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(Franz Ferdinand von Habsburg-Lothringen)の暗殺は、その報が伝えられた帝国軍隊内部でも民族主義的な反応を生んだことが描かれる。
そして、将校たちの民族主義的な言辞とそうした言辞への対応からいったんは帝国軍隊から去ったものの、第一次世界大戦の勃発によりふたたび帝国軍隊に戻った「英雄」の孫が死に、フランツ・ヨーゼフ1世が死に、その直後に皇帝を追って文民たる「英雄」の息子が死ぬ。
自らの毅然とした意志で帝国軍隊を去ったヨーゼフ・トロッタ、父の命で帝国軍隊には入らず郡長として生き皇帝の恩寵にすらざるを得ない事態に見舞われたたフランツ・トロッタ、そして帝国軍隊で不祥事を起こし父が皇帝の恩寵を求める原因をつくったカール・トロッタ、この3人のフランツ・ヨーゼフ1世への仕え方は三者三様であるが、いずれも帝国の解体にあわせてこの世を去り「英雄」の家系は絶えてしまう。

タイトルとなっている「ラデツキー行進曲」は、ヨハン・シュトラウス1世が、1848年に独立運動を鎮圧するためにイタリアに向かうラデツキー将軍をたたえるために作曲した行進曲である。
1848年においては民族の独立運動を抑圧して帝国の安泰を図るラデツキー将軍であるが、しかし本書の主人公が生きる時代にはすでにラデツキー将軍の姿はない。
1858年のラデツキー将軍の死後、20世紀初頭から第一次世界大戦勃発の時代においては、民族主義あるいは民主主義の台頭、そして社会主義の浸透はもはや抑えることはできず、帝国のあちこちにほころびが見られ、今さらかつての多民族国家の再建など望むべくもない。

しかし現実のオーストリア=ハンガリー帝国は、決して諸民族融合の国家ではなかったはずだ。
それでもなぜ、「ラデツキー行進曲」なのか。
そこには、ユダヤ人のロートにとっての1930年代のドイツを見なければならないだろう。
著者自身、その成長期に、第一次世界大戦と、さまざまな民族と文化の坩堝とも言われることがある、他民族が共存していたオーストリア=ハンガリー帝国が解体する姿を見ている。
その後、アーリア人至上主義とユダヤ人撲滅を主張するナチスの台頭を目の当たりにし亡命を余儀なくされた著者にとって、他民族国家であるオーストリア=ハンガリー帝国はナチスへの抵抗のシンボルとなり、「ロートは、ラデツキー将軍の勝利とは台頭してきた民族主義に対する他民族精神の勝利だと見なし、将軍を讃えたこの行進曲の中に諸民族融合を願うオーストリアの理念をくみ取ろうとした」(作品解説・p.380〜p.381)のであった。
そうしたロートの想いは、そして諸民族融合は、第一次世界大戦後の国際連盟、第二次世界大戦後の国際連合、そして現在のヨーロッパ連合へとつながっているのだろうか。

原書タイトルは「RADETZKYMARSCH」。
原文は、ここから読むことができる。

1994年にORTでテレビ映画として放映されていて、DVDにもなったようだ。
現在でも入手可能である。
YouTubeにも画像がある。

ヨーゼフ・ロート/著
平田達治/訳
岩波文庫

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