〔谷川岳と富岡製糸場〕3 富岡製糸場 その2
次に行くのは、繰糸場です。
富岡製糸場の見学は、ほとんど外部からの見学だけですが、繰糸場では内部の見学ができます。
繰糸場の外では発掘調査が行われていました。
建物は、当時の様子を伝えています。
とくにトラス構造の天井が美しく感じられます。
内部に並んでいるのは、当時のものではなく、昭和40年代以降の自動繰糸機。
1987年まで稼働していたそうです。
1台だけでも、動いている様子を見たいものです。
最後の見学は、ブリュナ館。
ポール・ブリュナは明治政府が招聘したフランス人指導者でした。
1873年(明治6年)に竣工し、1870年(明治3年)に来日したブリュナが家族たちと暮らしていましたが、1879年のブリュナ帰仏後は、寄宿舎、夜学校等として使われたそうです。
奥に寄宿舎がありますが、これは民営化以後のものだそうです。
東繭倉庫の内部は、展示施設や売店が設置されていて、一角で糸繰りの実演と体験が行われていました。
天井は2階の床でしょう。
模型があって、当時の様子がわかります。
むき出しの電線や碍子が、なつかしいおもむきを伝えていました。
富岡製糸場
唐突に現れましたが、おエイちゃんは富岡市のイメージキャラクターです。
岡谷や諏訪であったような女工哀史(「あゝ野麦峠」の舞台)は、説明でも展示でもふれることがありませんでした。
確かに官営工場時代は、工場であるとともに技術を習得する場でもあったことから、女工哀史で語られるような搾取はなかったのかもしれません。
しかし、民営化以後はどうだったのでしょうか。
富岡製糸場の創業は1872年(明治5年)、21年後1893年(明治26年)は民間に払い下げられています。
創業当時は8時間労働、日曜休日、年末年始と夏期休暇があったそうですが、民営化以後は労働時間の延長や休日の削減が行われいったようです。
このあたりは、きちんと整理して説明に加えたほうがいいのではないだろうかと思います。
ことに、花子の妹の件もあることですしね。
また、内部見学ができるのは繰糸場だけ(東繭倉庫は内部に入れるが、展示場などとして利用されている)ですが、その他の建物についても、内部見学ができるといいと思いました。
もっとも、老朽化がすすんでいるので、その整備をするとなると、遺産としての価値、費用など、多くの課題もあるかと思います。
2時過ぎ、何か食べたいなと思いましたが、富岡製糸場周辺は、どちらかというとかつての工場の人たち相手など、地元向けの飲食店が多かったようで、観光客向けの飲食店はあまりありませんでした。
祝日なのに閉まっているところもあるし。
イメージとしては、富岡ではこれまでは観光客の姿も少なく、急増した観光客を相手にどうしたらいいのかとまどっているのではないかと思いました。
結局、高速に乗って藤岡ハイウエイオアシスで、遅いお昼にしました。
それとも、さらに軽井沢に行って、万平ホテルで何か食せばよかったかしらん。
富岡ICが午後3時、食事時間も含めておおむね3時間後には、帰宅することができました。
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