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2014年7月 3日 (木)

日本型排外主義

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サブタイトルは「在特会・外国人参政権・東アジア地政学」。
排外主義について著者は、「国家は国民だけのものである、外国に出自を持つ(とされる)集団は国民国家の脅威であるとするイデオロギー」であるとする。
出版されてそう日がたたない時期に入手してあったが、そうそう気軽に読める本ではなく、ようやく手にした次第である。
というのも、まさに2014年7月1日、「集団的自衛権」をめぐって日本はあらたなステージに立つことになったのだが、巷にはそのような動き(あるいはその他の「戦後レジームからの脱却」に類する動き)を懸念する声や運動があるにはあるのだが、意図的かどうかはさておき、目立つのは、対外的に勇ましい言辞を使い、相互理解を求めるのではなく敵対意識により相手を突き放そうとする声であり、また、こうした動きへの懸念に対する攻撃のように映るからだ。
しかも、「集団的自衛権」を憲法上認められるとした日本国政府じしんが、排外主義を陰に陽に継続して政策の背後に持ち続けてきたと思われるからだ。

本書は決して「一般書」ではない。
それは著者も「あとがき」で述べている。
そのため、使われる言葉は一般的には馴染みがないものも多いのだが、それぞれの意味や定義の説明がないことが多いので、必要があればその用語が何のことかを調べつつ読んでいかなければならない。
著者がつくった(?)用語もあるのかもしれない。
例えば本書において「極右」の定義は特になされていないので第1章は唐突感があるのだが、大阪経済法科大学の「アジア太平洋レビュー 第9号 2012」の「排外主義運動のミクロ動員過程―なぜ在特会は動員に成功したのか―」において、著者は「極右」を「保守主流派よりナショナリズムと排外主義に関して右=強硬派で、既成政治勢力から独立した者」としており、本書においても同様としていいのだろう。

本書でめざしているのは、排外主義と聞くと思い浮かべがちな、『一九九〇年代以降の日本は、高度経済成長期の安定的な社会構造を喪失し、グローバル化と経済の長期低落にともなう社会の流動化が『不安』を生み出している。その不安が再秋の形で露出したのが、弱者を攻撃する排外主義である。寄る辺なき不安を抱えた若者たちは、それを他者に対する憎悪へと変換させ、外国人排斥を訴えて街を練り歩くようになるのだ』(P.1)と捉えるような「単純な物語」の批判であり、問題提起は、序章においてなされている。
検討は、ヨーロッパにおける「極右」の検証、在特会の検証、そして「歴史修正主義」や「在日特権」との関係などの論考を積み重ねていく(目次参照)。
そして、論考過程が大事だと思うのだが、それは本書を読んでいただくとして、『日本型排外主義とは、近隣諸国との関係に規定される外国人排斥の動きを指し、植民地清算と冷戦に立脚するもの』(P.204)であって、『排外主義運動は、単なるレイシズムとしての在日コリアン排斥ではない。「主流の歴史にたいして不協和音を奏でるような物語」(中略)を体現する存在たる在日コリアンを、汚辱の歴史と共に抹殺したいという欲望が根底にある』(P.205~P.206)と結ばれている。
「日本型排外主義」の定義にとどまらず、私たちが「日本型排外主義」にどのように向き合っていくのか、その方向を示され、私たちが「日本型排外主義」の検証と批判を通じて向き合わなければならないのは、日本の国の中の課題だけにとどまらず、「戦後日本が積み残してきた近隣諸国との間の課題」(P.211)であることが明らかにされる。
第二次世界大戦において最大の物量をもって日本と戦い日本をねじ伏せたアメリカ合衆国が日本型排外主義の対象にはなっておらず本書でも触れなていないけれども、上述のような論考過程でその理由は明らかであろう。

そして本書で明らかになったのは、日本型排外主義の、想像以上の根の深さだ。
ただ、「嫌韓」「反中」といった思いが排外主義運動へと収斂していく以前に、なぜ、「嫌韓」「反中」感情が生まれたのか、そうした感情を持つようになったのか、そこは本書では言及していない。
その意味でも、本書では在特会に焦点を当てているが、じつは在特会は日本型排外主義におけるシンボルであって、さらに突っ込んだ調査分析が必要だろうと考える。
つまり、在特会の人たち、本書で調査対象となった「活動家」とされている人たちはある意味意識的に運動に参画している人たちであるとすれば、むしろ、在特会のような活動にコミットして表に出ることまではしないけれども、日ごろから匿名的に排外主義「的」発言をしている層(と言えるかも不明だが)や、発言はしなくともそうした発言に内心で共感を覚える層(ラベリングはリスクがあるとは思うが、双方を仮に「ネット右翼」とくくってみる。)について、そしてその再生産過程についてもあらためて考えなければならないのだろう。
こうした「ネット右翼」が、しだいに日本を覆っているかに見える、とりわけネットのなかで広がりつつあるように見えることについて、排外主義が蔓延しつつあるとするのは考え過ぎだと言い切れるだろうか。
本書では「ネット右翼」には詳細には触れていないのだが、ネット右翼=排外主義者と言えるのか言えないのか、このあたりを検証するには、「ネット右翼」から発せられた声の内容だけではなく、その背後にあるものを探っていかなければならないだろう。
そうでなければ「日本型排外主義」の問題について深めていくことにはならないし、戦後日本が積み残してきた近隣諸国との間の課題に向き合うこともできないだろうと考える。
しかし「ネット右翼」について実証的な検証をしていくためには、匿名性による発言であることや、ある事象に対する反応として現在進行形であることもあって、なかなかまとめることが難しいのかもしれない。

もう少し細かい切り口では、多分に思いつき的ではあるが、
・「排外主義」批判者・反対者に対する「反日」「売国」「サヨク」「自虐」といったレッテル貼り
・マスコミの、特に外国人参政権をめぐっての「排外主義」思潮への同調
・「排外主義」の動きと現政権との関係
・「排外主義」と保守-右翼-民族主義の系譜
・「ヴァイマール体制とNSDAP」と「戦後レジュームと日本型排外主義」との相違
・昭和40年代の全共闘「運動」と排外主義「運動」の共通項の有無
・「攘夷」思想との関係
・「民族と階級」(高島善哉)と「排外主義」
・ソ連にとっての「大祖国戦争」と「排外主義」
・排外主義の対象と対アメリカ意識
といったあたりも、考えなければならないことだろう。

今後の著者たちの研究を期待したい。

図書新聞
読売新聞

目次
プロローグ
序章 日本型排外主義をめぐる問い
 1 排外主義運動の勃興
 2 誰が排外主義運動に馳せ参じるのか
 3 なぜ排外主義運動に馳せ参じるのか
 4 在日コリアンと「在日特権」をめぐる問い
 5 「正常な病理」から「病理的な正常」へ-事態の解明に向けて
第1章 誰がなぜ極右を支持するのか-支持者像と支持の論理
 1 西欧における極右研究の蓄積
 2 なぜ極右は発生するのか-先行研究の整理
 3 誰がなぜ極右を支持するのか-経験的研究による検証
 4 極右政党研究の「ノーマル化」とその先へ
第2章 不満・不安で排外主義運動を説明できるのか
 1 社会運動研究における不満・不安の位置づけ
 2 大衆社会論と排外主義運動
 3 競合論と排外主義運動
 4 代替的な説明図式
 5 排外主義運動のリアルな把握に向けて
第3章 活動家の政治的社会化とイデオロギー形成
 1 活動家の多様性とミクロ動員過程
 2 イデオロギーと政治的社会化-緩やかな説明変数と被説明変数
 3 政治的社会化の過程
 4 排外主義を受容する土壌
第4章 排外主義運動への誘引-なぜ「在日特権」フレームに共鳴するのか
 1 構築される不満-問題の所在
 2 運動と個人のフレーム調整
 3 活動家の語りにみるフレーム調整過程
 4 「在日特権」フレームの共鳴板
 5 排外主義運動との運命の出会い
第5章 インターネットと資源動員-なぜ在特会は動員に成功したのか
 1 インターネットと排外主義運動
 2 インターネットと動員構造の変容
 3 排外主義運動へのミクロ動員過程
 4 資源動員をめぐる後発効果
第6章 排外主義運動と政治-右派論壇の変容と排外主義運動との連続性をめぐって
 1 ミクロ動員から政治的機会構造へ
 2 言説の機会構造-分析視点
 3 言説の機会構造と排外主義運動の関連
 4 ネットカルチャーと排外主義運動
 5 右派論壇の鬼子としての排外主義運動
第7章 国を滅ぼす参政権?-外国人参政権問題の安全保障化
 1 外国人参政権問題をめぐる日本的特殊性-問題の所在
 2 デニズンの権利と安全保障化をめぐる日本的特質
 3 外国人参政権問題の日本的展開
 4 外国人参政権をめぐる脱安全保障化
第8章 東アジア地政学と日本型排外主義-なぜ在日コリアンが標的となるのか
 1 東アジア地政学と在日コリアン-問題の所在
 2 分析枠組み-民族化国家としての戦後日本
 3 二者関係によって何が進むのか-在日コリアンの変遷と地方市民権
 4 本質主義と外国人排斥の正当化
 5 日本型排外主義を生み出すもの
エピローグ
補遺 調査とデータについて

樋口直人/著
名古屋大学出版会

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コメント

たいへんおもしろく読ませていただきました。
何となく中島岳志の「中村屋のボース」、「ナショナリズムと宗教」を思い出しました。
この本、機会があったら手にしてみます。

投稿: こはる | 2014年7月 4日 (金) 15時07分

こはるさん

コメントをありがとうございました。

投稿: 楠の末裔 | 2014年7月 4日 (金) 19時20分

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