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2014年6月10日 (火)

私の歩んだ道―東ドイツ(DDR)とともに

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今となっては、「奇書」の部類に属すると言えるだろう。
サイマル出版会の常で、当該書籍に関する「解説」がなく、「この本のなりたちについて」という簡単なメモしかないので経過はよくわからないが、もともとは、メディア王と言われるロバート・マクスウェルの求めによりパーガモンプレスのために書かれた自叙伝「AUS MEINEM LEBEN」(1980)で、本書はディーツ社から刊行されたドイツ語版が底本のようだ。
1981年の日本語訳刊行当時、ホーネッカーは西独のシュミット首相を自国に招待し、また本人が日本を訪問し天皇に謁見するなどしていたが、本書の記述とは裏腹に、東独経済はかなり悪化の道を歩んでいたことが、今となっては明らかである。

本書に描かれたホネカーは、一言で言えば、「正しく清廉な革命家」的なホネカー像である。
自伝とはいえ、よくここまで臆面もなく書けるのかと、感心してしまう。
後に敵対することになってしまう人物に対しても尊敬しているような書き方もあり、いかにも度量の広い印象を与えようとしているようだが、80年代最後の姿を知っていると、逆になぜ変容してしまったのかを問いたくなる。

とはいえ、本書を壁崩壊や統一の直前までの東独指導者による歴史書、つまりは「公式」の歴史、「戦中以後の東独史」や「東独からみた西独史」として読むと、とくにFDJ(Freie Deutsche Jugend、自由ドイツ青年同盟)の設立経過や初期の活動の記録は、貴重な記録であろう。
1953年6月7日のベルリンの暴動の記述(P.232)や1956年のハンガリーの記述(P.239)などはひどくあっさりしたものである反面、1961年8月13日は1章をあてて13ページにわたって「反ファシズム防壁」を建設するに至った経緯の記述となっているが、これも「公式正史」の典型的な書き方であろう。
東独からみたソ連象も、最終年には関係が悪化するのであるが、この時期においては保護者としてのソ連は描かれているものの、悪化するような予想など微塵も無い。
その意味では、ホネカーがSED中央委員会第一書記に選出されて以降の本書の内容は、成果のオンパレードとなり、俄然つまらなくなるが、「その作品が平和とヒューマニズム、連帯と現存の社会主義の立場に結びついている作家ならだれでも生活し、捜索する立場を与えられている。」(P.404)のような気になる記述がさらりあるので読み飛ばすわけにもいかない。
「反ファシズム防壁」を乗り越えようとした人たちのことや、そうした人達に対する処置については、何も書かれていない。
あらかじめ議席数が割り当てられた統一名簿への賛否を問う選挙制度のことにも、何も触れられていないし、ノーメンクラトゥーラにも筆が及ぶことはない。

ロバート・マクスウェルがホネカーにインタビューしている様子の写真が掲載されているが、これは最終部分のインタビュー記録の時のものであって、その他の部分は「自伝」と銘打って入るものの、もしかしたらゴーストライター作なのかもしれない。

目次
労働者の家に生まれて
スパルタクス少年団
テールマンの党に入って
レーニンの国
統一戦線をめざして
ルール地方の非合法活動
ザールとベルリンの抵抗運動
獄中の歳月
解放の日々
朝日のシンボル
労働者階級の統一と若者の基本権
平和を求めて東へ
私たちの国が生まれる
若者たちと謝意会主義と平和のために
学習期間
一九六一年八月一三日
人民の力
スポーツとの結びつき
若者たちの新しい展望
党の先頭に立つ
先進工業国のひとつとなって
社会主義工業の近代的管理
農業政策の成果
発明回路油運動の展開
百万戸の住宅
出産率ふたたび上昇
共産主義をめざして若者たちと
社会主義の文化政策
私たちの民主主義
クリミア会談
ヘルシンキ会議
二つのドイツ国家
マニラからハバナまで
現在の政治問題ーインタビューに答えて

エーリヒ・ホネカー(Erich Honecker)/著
安井栄一/訳
サイマル出版会

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