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2014年4月10日 (木)

Benelux2014 (2) フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)~ルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン(Ludwigshafen am Rhein)

間もなく飲み物とごはんの時間となり、シャンペンをいただく。
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アミューズブーシュは「空豆と竹の子の葛寄せ」と「たこのジェノベーゼ」、前菜は「ホロホロ鳥のスモークのサラダ 柑橘果汁のムース添え」。
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メインは「和牛サーロインのグリーンペッパーソース」。
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飲み物は白ワインをいただき、デザートは「マスカルポーネのムース」であった。
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和食を選ぶと「九つの小鉢膳」、そして「菜彩鶏蕗のとう味噌焼、烏鰈の桜海老餡掛け、炊きたてのご飯、味噌汁、香の物」。
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JL407便はロシアの大地上空に入ったがそのまま一眠り。
何本かの映画があったが、「永遠のゼロ」を見た。
単純な「散華」ではない、周囲とは異なった位置に身を置きながら特攻を選び命を失ったという、ある意味では特異なありようを描いているが、こうした描き方をすることによって、何を言わんとするのか。
特攻作戦に対してはある程度の批判も描かれているが、ふたりの特攻隊員による二重三重の悲劇性に収斂させるような描き方は、また、テロ、テロリストの定義もなしの特攻隊員はテロリストではないというような台詞は、原作の著者が言うような内容を描いたものとは思えなかった。
そして、親族があの戦争で命を失ったのはなぜなのかという疑問は、何も特攻に限ったことではないのである。
なぜあの戦争があり、なぜ多くの人たちが命を失い家族を失ったのかということは、と言われ続けなければならないと思う。
もっとも、このような映画が感動をもって受け入れられ、これが戦争批判であるとされるいまの世のありようを示しているという点では、意味があると言えなくもないのかもしれない。

気付いたら、白海上空を飛び、まもなく下界は、カレリア。
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そしてアーキペラゴを過ぎてバルト海を越え、フランクフルトに近づくと雲が多くなってきた。
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まもなく到着になるので最後に鯛茶漬けをいただく。
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FRAには、25Rからランディング。
入国もスムーズで、荷物をピックアップ後の悪名高き(?)税関では、何も言われずに通してくれた。
フロアの売店で、夕食用のヴァイスとピルス、サンドウィッチ、野菜スティックを調達する。
同行の方たちから、どのビールがおいしいのか尋ねられたりしたので、ヴァイスとピルスの違いを伝えておいた。

泊まるところは、マンハイムの近くの、FRAからは1時間のルードヴィヒスハーフェンというところにあるベスト・ウエスタン・ルートヴィヒスハーフェン・ホテルである。
そばに駅があって、簡単な食事ができたり買い物ができたりするらしいが、ホテルのまわりには何もない。
何もないのはまわりだけではなく、部屋にはセイフティボックスも冷蔵庫も、ポットもカップもない。
1泊だけだからいいけど、自分じゃこのホテルは選択しないだろうな。

レセプションでネット接続のためのパスワードもらったのだが、1台につき一つのようで、フロントに行って「つばいて、びって」してきた。
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