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2014年2月 3日 (月)

ドイツ民主共和国史―「社会主義」ドイツの興亡

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原著「Die DDR 1945 - 1986」は1988年の刊行であるため、1986年以後の東欧革命から再統一に至る過程への考察は本文中にはないが、1991年の日本語版刊行にあたっての著者による日本語版への序文において触れられている。

前半の「第1部 歴史」では、東独の40年の歴史を概観する。
第二次世界大戦のドイツ降伏によりドイツ及びベルリンは米英仏ソの4か国により分割統治されることになり、1949年5月23日のドイツ連邦共和国臨時政府後の10月7日にドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik)の建国が宣言された。
40年後の1989年11月9日にベルリンの壁に穴が開き、1990年3月18日のドイツ民主共和国最初で最後の自由選挙選挙を経て1990年7月1日の通貨統合、そして1990年10月3日にドイツ民主共和国はドイツ連邦共和国に吸収されたのであった。
背景となる事項も当然触れられているが、戦後史のおおよその流れを知っていることが前提かもしれない。

後半の「第2部 研究の基本問題と動向」では、東独をめぐる歴史額研究について、東独のもつさまざまな課題とその課題に対する東独や西独における研究状況を概観する。
ここに掲げられた課題は、崩壊直前の状況のなかで著者により指摘されたものであるとすれば、崩壊後、こうした指摘はどのように評価されるのか。
そして、著者のスタンスが『「民主主義的共産主義」への共感』(P.275)ということだとすれば、著者じしんがこのあと、どのような研究をしていったのか。

訳者は、著者が記述している東独における「歴史学が支配の正当化の学であること、したがって歴史学の道具化、政治化にその特徴があることを強調する」(P.292)理解の仕方を「基本的に容認しうる」としつつも、「その点のみからみることは決して正しくない」、「この国の歴史学の新た強い傾向―それは民主共和国の歴史学の内的なダイナミズムを示すものである―を、こうした観方は過小評価することにつながる側面を有している」(P.293)、「歴史学理解自体が彼の反「スターリニズム」のイデオロギーに縛られていると言えるだろう。」(P.294)と、批判的にとらえている。
それであっても、本書で著者が記述した東独史やさまざまな課題とアプローチは、当時においては貴重なものだっただろう。

「現実に存在する社会主義」の崩壊が、「こうあるべき社会主義」まで否定してしまったのではないと考えるならば、東独の40年の歴史は何だったのか、そしてソ連や東欧の歴史は何だったのか、探り続けていかなければならないのだろう。
再統一と本書刊行から20年以上が過ぎ、東独の記憶がさらに薄れていくのであるが。

なお、この文章では「東独」と表記しているが、「訳者あとがき」の国名をめぐる記述には留意すべきであると思った。

日本語版への序文
第1部 歴史
 第1章 ドイツ民主共和国の前史-一九四五年~四九年-
 第2章 民主共和国における「社会主義の建設」-一九四九年~六一年-
 第3章 民主共和国の確立-一九六一年~七〇年-
 第4章 安定と危機の狭間の民主共和国-一九七一年~八六年-
第2部 研究の基本問題と動向
 1 民主共和国歴史学の「党派性」
 2 史料の状況と時期区分の問題
 3 研究上の論争にみる民主共和国社会の類型と発展
 4 民主共和国の前史、成立、初期の段階
 5 民主共和国の憲法制度と統治制度
 6 政党および大衆組織の発展と社会主義統一党の役割
 7 社会発展の問題と民主共和国史の他の諸領域に関する文献
 8 民主共和国史の中での反対派と迫害
訳者あとがき
H. ヴェーバー著作目録
付録:年表
索引

H. ヴェーバー/著
斎藤晢・星乃治彦/訳

日本経済評論社

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