光則寺から御霊神社へ
由比ケ浜の通りの六地蔵交差点に、「THE BANK」という名前が掲げられた、古い建物があります。
説明には、
昭和3年(1928年)鎌倉銀行由比ヶ浜出張所として開店、昭和16年(1941年)六行合同により横浜興信銀行由比ヶ浜出張所となり、昭和20年(1945年)閉店した。その後も建物は残り、現在は、バー「THE BANK」が営業している。由比ヶ浜出張所」の看板の上には、当初「鎌倉銀行」の4文字であったものを「横浜興信銀行」の6文字に変更した跡が残る。
とあります。
1945年(昭和20年)に横浜興信銀行由比ヶ浜出張所が閉店後、この建物が何に使われたのかはわかりませんが、横浜興信銀行が1957年(昭和32年)に横浜銀行に名称変更した時にはこの建物は佐古小児科医院となっていたのだと思います。
なぜなら、1950年代中頃、佐古先生は我が家の主治医だったので、ここにはよく通ったからです。
当時、建物の横、画像だと建物の左側に三輪の自動車が停まっていましたが、ドアが横についているのではなく、正面についているタイプだったと記憶しているので、ハインケルのKabineではなかろうかと思いますが、もしかしたらIsettaだったかもしれません。
THE BANKは2000年(平成12年)4月に開業したようですが、その前にどんな使い方がされていたのか、現時点では記憶にありません。
鎌倉銀行
1897年(明治30年)、鎌倉銀行設立
1928年(昭和3年)、町田銀行を合併
1930年(昭和5年)、相模実業銀行と合併、鎌倉銀行新立
1935年(昭和10年)、瀬谷銀行を買収
1941年(昭和16年)、大正9年設立の横浜興信銀行に買収
行時山光則寺に行ってみました。
蝋梅はおしまい、ミツマタはまだこれからといったところでした。
4月になると、かながわの名木100選に選定されている海棠を見に来る人たちでいっぱいになりそう。
裏庭には、土牢があります。
龍ノ口法難で日蓮とともに捕らえられた日朗が幽閉された土牢です。
御霊神社に移動します。
御霊神社から長谷駅にかけて歩くと、江ノ電がすぐそばを走ります。
御霊神社前を行く305F305、御霊神社前から長谷に向かう22F62。
長谷駅の502Fと1201F、走る1201F
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