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2014年2月24日 (月)

エーリヒ・ケストナー 謎を秘めた啓蒙家の生涯

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原題:Keiner blickt dir hinter das Gesicht. Das Leben Erich Kästners. München Wien, 1999
本文だけで500ページ以上、あとがきや索引まで含めると600ページ近くと大部である。
2年ほど前に教文館に行ったときにお持ち帰りにしたのだが、なんせ分厚い本なので、棚の中で眠っていたのだが、没後40年でもあり、いつまでも眠らせておくわけにはいかないと、手に取った。

ケストナーの伝記といえば、ドイツ児童文学賞を受賞したクラウス・コードンの「ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家」(偕成社)があり、すでに読了。
また、自伝としては「ケストナーの終戦日記」も読んでいる。

本書は、これらのほか、ケストナーの著作物や、高橋健二の「ケストナーの生涯―ドレースデンの抵抗作家」(福武書店)などから得られるケストナーのイメージを打ち壊し、別の新たな姿を見せてくれる。
最も大きなテーマとしてのナチスとの関係では、ケストナーのナチスへの見込み違いは「そんなに長くは続かないだろう」「そんなにひどくはなるまい」と考えていたことだと指摘する。(255ページ)
そのうえで、1958年の講演「焚書について」で、第三帝国は「遅くとも1928年にはつぶしておかなければなりませんでした。それ以後はもはや遅すぎました。自由のための戦いが国家への反逆と呼ばれるまで待っていてはならないのです。」と述べたことが紹介されている。(260ページ)
ところが、本書によって著者が明らかにしたことは、「ナチ独裁下のドイツでは、少しでも抵抗すれば<白バラ>のメンバーのようにたちまち極刑に処せられたのであり、彼ら以外のすべての国民と同様にケストナーも、おこなっていたのは抵抗でなく妥協だったのだ」と、訳者は記述する。(521ページ)
ナチスに抵抗あるいは反対していることを公にすることが何をもたらすかを考えれば、具体的な抵抗は形にすることができなかったことをもって「おこなっていたのは抵抗でなく妥協だったのだ」と言い切ることが、果たして妥当なのかどうかは判断が難しい。
「ミュンヒハウゼン」をめぐるケストナーの位置、「四五年を銘記せよ」をめぐる事実の記述と後になってからの評価的記述などから、ケストナーがドイツに残ったことを、後日、ケストナー自身が己の姿を脚色しているかもしれない。
しかし、1933年にケストナーの著作物が「焚書」されてから1945年まで12年、圧力を受けている者にとって、この歳月は、長い。
そして、「抵抗」とは何なのか、どのような行為を「抵抗」と言うのか。
このことは、これまでのケストナー伝「ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家」「ケストナーの生涯―ドレースデンの抵抗作家」(高橋健二著・福武書店)にも使われている、「抵抗」という言葉についても言えることである。
このことは、後の迫害のない時代から評価しようとするとき、Friedrich Gustav Emil Martin Niemöllerの詩「Als die Nazis die Kommunisten holten」を重ね合わせて考えざるをえないだろう。

他のテーマでも、例えばエーディット・ヤーコプゾン、「世界舞台」発行人にしてケストナーに「エーミールと探偵たち」の執筆を勧めたということになっている人物だが、その後のケストナーとヤーコプゾンとのやりとりを見ると、背後にはさまざまなことがありそうだ。

それにしても、ケストナーと母イーダとの関係は、かなり濃密である。
その一方で父エミールの影が薄い。
そして、なかなかの女性関係。
いまであれば、家族関係にある種の課題がある人と言われるかもしれない。

むろん、ケストナーが、そしてパートナーのルイーゼロッテ・エンダーレが取捨選択した「人生」がケストナーの唯一ということではない。
この取捨選択がある種のケストナー像をつくりあげたことは間違いがないだろうが、だとしても、「自由のための戦いが国家への反逆と呼ばれるまで待っていてはならない」(260ページ)とのケストナーの言は、世界のその後の歴史において、繰り返されているし、今、この日本の状況でも、再来の危険性があるように思えてならない。

目次
エーリヒ・ケストナー 謎を秘めた啓蒙家
トランプの札として使われた子ども―一番の優等生でとびきりの孝行息子
EかZか?―本当の父親は誰も知らず
食べ物はいつも同じ―教員養成学校と軍隊の時代
ケストナー、ケストナーになる―ライプツィヒの大学生と新進気鋭のジャーナリストの時代
感情教育―イルゼ
「あの小さなエーリヒがどんどんと有名に」―ベルリン時代の最初の数年間
エーミール、映画に行く―ケストナーの天才時代
『ファビアン』
「平和だったころのよう」?―“第三帝国”時代のささやかな妥協
『雪の中の三人の男』―一つの素材の変転
「ハズレの人でいてね!」―戦争中の日々
『ミュンヒハウゼン』
『四五年を銘記せよ』―移行期
二度目の出発
「火薬樽の上で生きるって、とにかくたいへんなのです」
最晩年の日々―国民的作家というキッチュの地獄で
謝辞
訳者あとがき
原注ケストナーの作品索引
人名索引

スヴェン・ハヌシェク(Sven Hanuschek)/著
藤川芳朗/訳
白水社

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