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2014年1月28日 (火)

戦争と科学 武谷三男著作集3

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本書は、1950年代の著者による諸論文集であり、1960年代に全集に収録された。
このため、これらの文章が世に出てから60年後の現在にあっては、内容が現状にそぐわないところも多々あることは確かである。

ひとつは、原子力の平和利用についてである。
本書に著者は次のように記述している。
このように大きなエネルギーを,人類の破滅のためにではなく,人類の幸福のために使えないのだろうか.そうだ! 原子力はほんとは人類の幸福のために追求され,また人類の将来の幸福を約束している それを現実化するためには,戦争をほっする人々に権力を与えないだけで十分なのだ.(129ページ、初出は「婦人画報」1952年8月号)
この文章以外にも、原子力の平和利用が積極的に言われている。
これは、科学や技術を戦争のために使わせてはならないという、敗戦をくぐったあとの著者の信念があることを物語っている。
科学や技術が戦争のために使われたこと、著者は治安維持法違反によって特高警察に逮捕され、戦争への加担を強いられた経験が、ベースにあるのだろう。
後に「自主、民主、公開」のいわゆる原子力三原則として結実していく考え方が、本書に収録されている1952年11月雑誌「改造」に掲載された論文「日本の原子力研究の方向」において示されていることでも明らかだろう。
この三原則は、1954年4月23日の日本学術会議総会決議をふまえ、1955年制定の「原子力基本法」第2条において「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。」とされたのであった。
しかし、許容量や原子力を利用することによって生まれる廃棄物の課題、「トイレなきマンション」の問題に関しては、本書ではまだ触れられていない。
許容量については、1950年代後半に原子力は非常な危険を有しているから、非常に慎重に扱わなくてはならないとの考え方を示し、「トイレなきマンション」が表現されたのは、1975年の「原子力発電」においてであった。
著者は、原子力の利用について警鐘を鳴らすことになっていくのだが、その変化の過程を探っていくことも、きわめて興味深い。

もうひとつは、本書の主題である「戦争と科学」についてである。
この時期以後のロケットや航空機、電子機器など兵器として使われる技術の発達は、本書に書かれた戦争の様子をはるかに越えていると言えるだろう。
戦争の有り様についても、国家対国家の戦争という形ではなく宗教や民族などの違いによる局地的な紛争が多岐にわたっている状況、しかも、兵士と市民との区別がなくなっている状況、あるいは国際的な「United Nations Peacekeeping Operations」と言われるような活動等、戦争そのものの概念が変化している。
だからといって、戦争と科学の考え方が古びたわけではない。
戦争概念を変化せしめたもののひとつもまた、科学であり技術なのだから。
そうした状況にあって、戦争をなくす方向ではなく、その状況を前提として対応しなければならぬという発言や、敗戦を経て日本がすすんできた歩みを否定するような考え方、さらには、敗戦に至る過程を美化するかのような論調がある。
そうした人たちは、人が被る戦争被害について思いを馳せたことがあるのだろうか。
一度、我が身を狙う銃弾爆弾火焔放射線等々について、地面にはいつくばり、実相を想像してみるべきではないのだろうか。
本書では、繰り返し、原子爆弾その他の兵器が使われることによってどのような状況が生まれるのか、広島や長崎での経験をふまえて描き出しており、戦争によって我が身がどのような状況に置かれるのかの想像を手助けしてくれるはずだ。

もうひとつ気になった文章がある。
われわれはあくまで平和を念願するものである.日本人として平和を念願するものは,先ずわが国の過去に批判に主眼をおくべきであって,一方に便乗するために他方をけなすべきではない.平和を念願するものは,いかなる国にてあれ他国の良い点を学ぶべきであって,悪意をもっていかなる国にてあれ他国を誹謗すべきではない.われわれがにがにがしく思うのは,自分たちが侵略戦争を始めた国の国民であることもわすれたかの如く,またあたかも戦勝国の人であるかの如くふるまい,他国を誹謗してはじない人のいることである。
日本人はヒクツになってはいけない.日本人はほこりを失ってはならない.しかし,最もヒクツであり最もほこりを失うことは,それは自分の立場を忘れて便乗的に,一方にとり入るために他方を誹謗することである.(177〜178ページ、初出は「教育評論」1949年12月号)
昨今、さまざまな立場の人たちによる排外的排他的な論調が多く見られるようになってきた思うが、排外的排他的論調は最近になって生まれたものではないことがこの文章によって明らかである。
むしろ、敗戦やその後の日本の再建プロセス、戦後民主主義、日本国憲法などは、それまでの排外的排他的な論調を揚棄せしむるには至らず、再生産すらしているということだ。
60年前の著者の危惧がいまも継続していること、これは私たちが日本の誇り、日本人の誇りを排外的排他的な形ではなく、協調的連帯的な形でつくりあげる課題を持っているということに他ならない。

時代に合わないからといって切り捨てるのではなく、60年前に書かれたことが現代にとってどのような意味を持つのか、ある意味では、著者によって投げかけられた課題を60年後の私たちがどのように答えていくのか問われていると読むことができるし、読むべきなのだろう。

戦争と科学
 まえがき
 序章 原子力時代
 前編 現代戦と原子力
  I 現代戦の様相
  II 現代戦の兵器
  III 原爆下の日本
 後編 平和のための科学
  I 戦争と平和のわかれ道
  II 原子力の平和的利用
  III 政治と科学

みな殺し戦争としての現代戦
 まえがき
 I 第三次大戦はいかに戦われるか
 II ロケット、無線誘導弾
 III 原子爆弾
 IV 水素爆弾
 V 火焔攻撃
 VI 毒ガス戦争
 VII 細菌戦

「原子戦争」より
 はじめに
 I 原子戦争はどんな形をとるか
 II 冷たい原子戦争は始まっている
 III 原子戦争は避けられる

解説 長崎正幸
 1.現代における戦争の性格
 2.「防衛」の分析
 3.核兵器の二面性と核実験禁止問題
 4.限定核戦争批判とトンキン湾事件
 5.大国主義と小国主義
 6.科学の戦争協力を防ぐために
 7.「専門家」と科学者
 8.平和と科学の創造のために

武谷三男/著
勁草書房

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