« 「ユートピアを求めて:ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」展@神奈川県立近代美術館 葉山 | トップページ | たいまつ十六年 »

2013年12月10日 (火)

東欧革命1989-ソ連帝国の崩壊

130714_005
原題:Revolution 1989 The Fall of the Soviet Empire (2009)
本書は、1989年と1989年に至る多くのエピソードから「東欧革命」を俯瞰する労作である。
しかしながら、タイトルに「ソ連帝国」とあることで、著者の一定のスタンスが明確に示されている。
本文においても、使用されているさまざまな用語、一例として東欧諸国を「植民地」「領地」と表現していることを見れば、著者は一定の価値基準をもってソ連を、そして東欧各国を、そして共産党をとらえていることがよくわかる。
人物描写にしても、たとえばアンドロポフについて「既に死にかかった身であり、苦痛を浮かべ、何者かにおびえ、深い悲観にとらわれていた」(124ページ)と描くが、前ふたつについてはともかく、後ろふたつについては、著者の主観はそうかもしれないが、なぜそう描いたのか、何の根拠も示していない。
レーガンについても理想主義者と描くが、理想主義者に「ある種の」という形容をつければ、そのとおりだと言えるかもしれない。
こうした点が随所に見られるが、ある出来事を描きそれについて評価するという手法ではなく、ある評価軸をもって出来事を描く手法であり、このことは本書を読むうえで押さえておく必要があるだろう。
その点から本書は、一定の立場からの評価による東欧革命論としての意味があると考えられるし、読む側にとっても、本書をプラス評価するにせよマイナス評価するにせよ、自分自身が東欧革命をどのように評価するのかということにおいて、ひとつの評価基軸となりうる。

エピソードスのひとつとして、ドナルド・レーガンの「悪の帝国」発言を、ソ連指導部は文字どおり受け止め、アメリカはソ連とその体制をつぶしにかかっていると認識し、戦争の瀬戸際までさしかかっていたとしている。
その事実は検証できないが、仮にそうだとしたとき、昨今の日本と周囲の国々とのやりとりについては、単に言葉でのやりとりを越えて、現実を表現する言葉であるはずなのに、表現が現実であると思い込んでしまう危うさのリスクが感じられてならない。
相手も自分と同じように受け止め認識するであろうといった前提も、疑ってかかるべきではないのだろうか。

ギュンター・シャボウスキーの記者会見で「この新規則はいつ発効するのか」と質問した人物について、本書では「一般的に承認されているのは、そのジャーナリストは米NBC放送のトム・ブロコウであった」とされている(509ページ)。
ただし、質問をしたのはイタリア人記者リカルド・エルマン(Riccardo Ehrmann)氏であるとの別の資料もある。
さらに、エルマン氏にDDR高官からエルマン氏に対して必ず質問するようにとの電話があり、エルマン氏は「その措置はいつ発効するのか」との質問をしたとする報道があったとする資料もある。
また、その質問をしたのはPeter Brinkmannであるというような記者会見のやりとりもある。

著者はハンガリー出身であり「ハンガリー革命 1956」を著しているにもかかわらず、ハンガリーの「民主化」過程については、それほど深い分析は行っていないように思われる点が、物足りなさを感じた。
そして、間違いであろうと考えられる記述がある。
257ページに『そのために「堅牢なヘリコプター、ミグ8の編隊が選抜された。』との記述があるが、ミグ8(Mig-8)ではなくミル8(Mi-8)であろう。
原文はどう記述されていたのだろうかとGoogle Booksで調べてみると、"A squadron of MiG-8 'workhorse' helicopters were selected for the task."となっており、原文そのものが「MiG-8」と記述されていたのであった。

序文
プロローグ 1989年12月25日、トゥルゴビシュテ
第一部 冷戦
 第一章 労働者国家
 第二章 希望のメッセージ 1978年10月16日、クレムリン
 第三章 連帯 1980年8月9日、グダニスク
 第四章 電気工 1980年8月14日、グダニスク
 第五章 内戦 1981年12月12日、ワルシャワ
 第六章 出血する傷口 1981年12月13日、カブール
 第七章 権力なき者たちの力 1982年6月、プラハ
 第八章 軍事演習「エイブル・アーチャー」 1983年11月2日、ワシントンDC
 第九章 米国先導するハト派 1983年11月、ワシントンDC
 第十章 ピュロスの勝利 1983年12月3日、ワルシャワ
第二部 雪解け
 第十一章 新生ツァーリ 1985年3月10日、モスクワ
 第十二章 剣と盾 1985年4月、東ベルリン
 第十三章 レーニンの使徒 1985年4月4日、モスクワ
 第十四章 封印された記憶 1986年1月18日、ブダペスト
 第十五章 「われらは勝てない」 1986年1月、モスクワ
 第十六章 「憎ませておけ」 1986年1月26日、ブカレスト
 第十七章 チェルノブイリ原発事故 1986年4月26日、プリピャチ市
 第十八章 民族浄化 1987年6月、ソフィア
 第十九章 赤の広場の屈辱 1987年5月28日、モスクワ
 第二十章 四人組 1987年6月、モスクワ
 第二十一章 ゴルバチョフのベトナム 1988年4月19日、ワシントンDC
 第二十二章 老人たちの物語 1987年9月7日、ボン
 第二十三章 ポーランドの終焉 1988年8月31日、ワルシャワ
 第二十四章 ブッシュが大統領に 1988年11月8日、ワシントンDC
 第二十五章 マンハッタンの勝利 1988年12月7日、ニューヨーク
第三部 革命
 第二十六章 非難合戦 1989年1月1日、ブダペスト
 第二十七章 獄中のハベル 1989年1月16日、プラハ
 第二十八章 円卓会議 1989年1月16日、ワルシャワ
 第二十九章 射殺命令 1989年2月5日、東ベルリン
 第三十章 友好の橋 1989年2月15日、テルメズ
 第三十一章 鉄のカーテン崩落 1989年3月3日、クレムリン
 第三十二章 慎重居士ブッシュ 1989年4月1日、ワシントンDC
 第三十三章 忠実な反対派 1989年4月4日、ワルシャワ
 第三十四章 負債を払う独裁者 1989年4月12日、ブカレスト
 第三十五章 不正選挙 1989年5月7日、東ベルリン
 第三十六章 トルコ人追放 1989年5月20日、ソフィア
 第三十七章 地滑り勝利 1989年6月4日、ワルシャワ
 第三十八章 ブダペストの葬送 1989年6月16日、ブダペスト
 第三十九章 大統領の歴訪 1989年7月10日、ワルシャワ
 第四十章 トラバントの旅 1989年8月19日、ショプロン
 第四十一章 反体制政権 1989年8月24日、ワルシャワ
 第四十二章 難民の波 1989年8月25日、ギムニッヒ城、ボン
 第四十三章 建国記念パーティ 1989年10月7日、東ベルリン
 第四十四章 ピープルパワー 1989年10月31日、東ベルリン
 第四十五章 ベルリンの壁崩壊 1989年11月9日、東ベルリン
 第四十六章 宮廷クーデター 1989年11月10日、ソフィア
 第四十七章 ビロード革命 1989年11月17日、プラハ
 第四十八章 露呈した弱さ 1989年12月17日、ティミショアラ
フィナーレ 1989年12月1日、バチカン帝国
謝辞
訳者あとがき
写真クレジット
出典
参考文献
人名索引

ヴィクター・セベスチェン(Victor Sebestyen)/著
三浦元博/訳
山崎博康/訳
白水社

|

« 「ユートピアを求めて:ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」展@神奈川県立近代美術館 葉山 | トップページ | たいまつ十六年 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東欧革命1989-ソ連帝国の崩壊:

« 「ユートピアを求めて:ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」展@神奈川県立近代美術館 葉山 | トップページ | たいまつ十六年 »