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2013年10月11日 (金)

我々はなぜ戦争をしたのか―米国・ベトナム 敵との対話

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2000年に岩波書店から刊行された同名書の復刊である。
同名の番組が1998年8月2日放送にNHKスペシャルで放送されており、その番組制作に携わったのが著者であり、本書はその経過を振り返るとともに、著者による当事者へのインタビューも含めて番組内容を再構成したものである。

1997年6月20日から4日間、ベトナム・ハノイのメトロポール・ホテルにおいて、ベトナム戦争当時のベトナムとアメリカの指導者たちによる「ハノイ対話」が開催された
そのきっかけは、1995年4月に刊行された「マクナマラ回顧録」であった。
「マクナマラ回顧録」の著者ロバート・マクナマラ(Robert Strange McNamara)は、ベトナム戦争当時のアメリカの国防長官で、ケネディ政権にでのベトナムへの軍事介入の開始からジョンソン政権での本格介入にかかわっていた人物である。
回顧録においてマクナマラはベトナム戦争は間違っていたと表明し、ベトナムとの対話を希望した。
その希望はベトナムによっても受け入れられ、マクナマラは1995年11月にハノイを訪問し、ボー・グエン・ザップ将軍との会見が行われ、そのとき「ハノイ対話」の開催が約束されたのであった。
ベトナムにしても、アメリカとの経済的関係の強化を求めていたという背景があったのだろう。

当時放送を見て衝撃的だったのは、プレイク事件をめぐる双方のやりとりであった。
プレイク事件とは、1965年2月7日のベトナム中部のブレイク空軍基地に対する解放戦線による攻撃のことで、この攻撃に対する報復として米軍機による北ベトナム爆撃が開始され、同年3月にはアメリカ海兵隊がダナンに上陸し、以後地上軍の派兵が拡大、同年末には19万人、最大54万人がベトナムに展開したのであった。
アメリカ側は、ブレイク攻撃を北ベトナムによる挑発であり、ハノイからの指令に基づく攻撃であるととらえたのだが、「ハノイ対話」においてはベトナム側から現地司令官が計画し実行された作戦であると言明された。
当時の解放戦線側においては米軍が持っていたよう指揮命令系統・手段は整備されておらず、「自分たちと同じような指揮命令系統を解放戦線も持っていたはずで、すべてハノイからの指令によって作戦が行われた」とするアメリカの判断はとんでもない誤解であるというやりとりであった。
現地軍指揮官の独断による作戦遂行はアメリカ軍にすれば軍法会議で処罰されるような行為であるが、ベトナムにとってはゲリラ活動のひとつひとつをハノイが指令することなど常識はずれであること、また、情報の伝達手段が整備されていない農業国の指揮命令系統は、工業国アメリカの指揮命令系統とは異なることなど、ベトナムとアメリカの価値基準が見事にすれ違っていたことが、「ハノイ対話」で明らかになっていった。
1966年から1974年まで前線の軍医として従軍したレ・カオ・ダイの「ホーチミン・ルート従軍記」(2009年4月岩波書店刊)が、「着いたらどこでも家、寝たらどこでも寝床」と言われたベトナム側の最前線の様子を詳細につづっているので、価値基準の違いを理解することができる。

その違いが顕著に現れるのは、マクナマラ氏が「一体なぜあなた方は、このような膨大な人名の損失に心を動かされなかったのですか。目の前で国民が死んで行く中、犠牲者を少しでも少なくするための交渉を始めようという気にはならなかったのですか。」と問う場面である。
これに対するベトナム側の返事は本書を読んでほしいが、アメリカの認識は、その後のさまざまの紛争の場面でも同じ繰り返しを重ねているようにしか思えない。

「ハノイ対話」の議題はマクナマラ在任時代が中心であるため、ベトナム戦争全体にわたる両国の検証とはなっていない。
また、「ハノイ対話」には、ボー・グエン・ザップ将軍は参加していない。
しかし本書では、後日、著者がボー・グエン・ザップ将軍と面会し、本書にはその内容が掲載されている。

マクナマラ側からの記録は「Argument Without End」」(邦訳は「果てしなき論争―ベトナム戦争の悲劇を繰り返さないために」共同通信社刊)である。
相手に対する無知、無理解、誤解が緊張を高め、戦争を生み、戦争を長引かせることは、「ハノイ対話」から15年以上経過したいまも変わっていないし、他人事でもない。
これは、本書に収録されている、番組放送時のキャスターのことばにも現れている。
「ハノイ対話を振り返ると、戦争の指導者が、いかに相手の意思と能力について無知で、五人を繰り返していたかが明らかです。
にもかかわらず、ひるがえって太平洋戦争に置ける日本の敗因や昨今の国内の政治情勢の状況を見れば、日本が未だに続けている過ち、即ち、「失敗を隠蔽し、原因を究明せず、責任を明らかにしない」というこの日本の抜きがたい宿弊に比べれば、ハノイ対話は、やはり経緯を評すべき者と思います。」

2013年10月4日、ベトナムの英雄ボー・グエン・ザップ将軍死去、享年102歳。

目次
第1章 敵との対話はこうして始まった
第2章 戦争目的は何だったのか
第3章 戦争回避の道はなぜ消えたのか
第4章 プレイク事件と全面戦争突入
第5章 かくて秘密和平交渉は失敗した
第6章 両者は何を学んだのか

東大作/著
平凡社ライブラリー

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