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2013年9月27日 (金)

第一次世界大戦 忘れられた戦争

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「忘れられた戦争」とサブタイトルにある。
このサブタイトルは著者の「第二次世界大戦 忘れ得ぬ戦争」と対になるものだろうが、誰が何を「忘れた」のか、そして、「忘れた」ことがどのような結果をもたらしたのか、もたらしているのかということが、読む者にとっての課題となろう。
あわせて、本書は1985年に現代教養文庫から刊行されていたが、25年後に講談社学術文庫から再刊行されたもので、現代教養文庫版から講談社学術文庫販までの間に、冷戦の終結、東欧民主化、ソ連邦の崩壊といったできごとがあっただけに、あらためて現代史の起点として「忘れられた戦争」をどうとらえていたか見直すことに意義があるはずだ。

ウィルソンの「勝利なき平和」の演説は1917年1月に上院で行われ、「勝利とは講和を敗者に強制することであり、それは復讐心をそそるのみである。したがってそこに成立する講和条約は永続しない。勝者が敗者に押しつけるのではなく、対等に結ばれた講和のみが永続し得る」(86ページ)と説いたのであるが、実際にアメリカがとった行動、講和に際して連合国が行ったことは、この考えとはかけ離れたものとならざるを得なかった。
ウィルソンのこの考えは現実の前に崩れ去ったのか、あるいは、現実は現実として現代でも活かすことができるのか。

日本にとって第一次世界大戦における「戦場」は、青島、太平洋諸島、そしてインド洋や地中海となるが、ロシア革命に乗じたシベリア出兵も含めなければならない。
そして日本の参戦は、もっぱら中国進出の足がかりとして利用したとも言うことができよう。
こうした日本と第一次世界大戦の歴史を、私たちは思い出すことができるのだろうか、それとも忘れたままでいたいのか。
「いつかきた道」に対する危惧を示すと、当時と現在とは諸条件が異なるがゆえに当を得た危惧ではなく有り得ないと批判されるが、諸条件が異なるからこそ、「いつかきた道」への危惧を持ち続けなければいけないのである。

「一八九八年九月、皇妃エリザベートをイタリアで暗殺に失う」との記述(17ページ)は、「一八九八年九月、皇妃エリザベートをスイスで暗殺に失う」とか「一八九八年九月、皇妃エリザベートをスイスでイタリア人による暗殺に失う」の誤りである
1985年の初版刊行以後、誰も気付かなかったのかしら。
著者はご存命のようだから、ご指摘申し上げたほうがいいのだろうか。

I 国益といい、自衛という論理
 その夏の暗い思い出
 ナショナリズムの復讐
 落葉の頃も、クリスマスの頃も
 いち早き美酒の味わい
II 「勝利なき平和」における現実
 ひそかなる外交の果て
 合衆国、参戦に近づく
 「双頭の鷲」のための挽歌)
III 古き良きヨーロッパのゆくえ
 一〇月への一筋の道
 春浅きブレスト=リトフスクにて
 皇帝、オランダに去る)
IV 可能なことと、不可能なことと
 パリやモスクワに集う人びと
 またも妥協に閉じる終幕
 大いなる挫折によせて
 さらに記憶すべき後日談
あとがき
参考文献
解説
略年表

山上正太郎/著
講談社学術文庫

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