【江ノ電】併用軌道について 2 江ノ電はどのように考えているのか
平成14年9月1日に江ノ島電鉄株式会社から「江ノ電の100年」が発行されました(非売品)。
江ノ電サイトの「当方見聞録」に、「『江ノ電の100年』は、開業100周年記念事業の一環として平成14年9月に発刊された江ノ島電鉄のオフィシャル史料です。」とされていることから、江ノ電の公式資料といって差し支えないものでしょう。
2012/1/28・腰越から江ノ島方向を見る
この「江ノ電の100年」には、「併用軌道」の表記があちこちでてくるので、これまでに書いたように、江ノ電では「併用軌道」と考えていると理解することができますが、主だったところは次のとおりです。
(1) 軌道法から地方鉄道法への転換に関して
(前略)
当社の路線はその生い立ちからして、法規上の分類では「軌道」に属しており、そのために併用軌道が存在していたのであるが、運輸通信省と内務省は昭和19年7月に、当社をはじめ全国の多数の路線に対して「軌道」から「鉄道(地方鉄道)」へ変更するよう要請した。
(中略)
そこで、当社は19年8月15日に地方鉄道への変更に関する許可申請書を運輸通信・内務両大臣に提出、同年11月18日に許可を得た。なお、この変更に伴って、軌道法に基づく車両・線路・建築物など、鉄道施設の規格を地方鉄道法に合わせる必要があったが、時世がそれを許さず、運航の確保に精一杯であった当社は、車両および線路などの特別設計・建築限界支障箇所の承認を願い出た。
この申請をやむを得ないものと判断した運輸省(20年に通信院を分離)はこれを許可し、こうして当社は20年11月27日より地方鉄道となった。
(後略)(P.129)
2012/1/28・腰越を出て神戸橋交差点を通過する藤沢行2000形
(2) 鎌倉駅西口乗入れに関して
(前略)
地方鉄道法に合致しない併用軌道の改善を課せられていた当社は、専用軌道による横須賀線鎌倉駅乗入れを図るべく、戦後の復興もままらなぬ21年2月に設立以来の大工事に着手した。
(中略)(P.141)
その事業概要は、大町−鎌倉間の併用軌道(一部専用軌道を含む436m)を廃止し、藤沢起点9.85km(現金倉変電所付近)より戦時中の家屋強制撤去跡地に新規専用軌道(267m)を敷設、横須賀線鎌倉駅西口への乗入れを図ろうとするものであった。
(後略)(P.142)
(3) 鉄道事業改善3カ年計画に関して
(前略)
当社鉄道は、併用軌道をはじめ地方鉄道法に適合しない箇所を残していたために「特別設計許可」を受けていたが、この措置は地方鉄道へ変更時の時代背景と当社の事情に対する配慮によるもので、抵触箇所の解消は克服すべき課題であった。
(後略)(P.170)
「鉄道事業改善3カ年計画」においては、腰越−七里ヶ浜間の併用軌道の専用軌道化、併用軌道上にあった日坂駅の改良(現鎌倉高校前と列車交換設備の峰が原信号所への移設)、ホームの高床化を実施しています。
2012/1/28・龍口寺前の併用区間を行く2000形
(4) 踏切に関して
踏切については、江ノ電には昭和53年度末時点で14か所の第4種踏切があったこと、以後「踏切安全対策を強化し、平成6年3月には第4種踏切道は淘汰(第1種 47カ所・第3種 3カ所)された。」(P.232)との記述があります。
第3種踏切道の場所を特定したいところですが、「江ノ電の100年」でもそこまではわかりません。
国土交通省省に資料がありますが、平成23年3月末現在、江ノ電には第1種踏切道が50あるのみとなっていますので、第3種踏切3か所が第1種に昇格することができたものと考えられます。
ただし、私設踏切についてはカウントされていませんから、第4種に分類される形状の踏切は、現実的にはまだ残っています。
2012/1/28・この横断歩道にはさまれたところは「踏切」なのか?
都電荒川線では「都電荒川線等の「路面電車等」において、道路と道路が交差する際の信号機と同様に、交通信号機の表示に従い進行と停止を行う踏切があり、第4種踏切に分類されます。」(平成18年度 「踏切道における交通安全対策」)とありますが、江ノ電には第4種踏切は存在しないことから、神戸橋信号の取り扱いがどうなっているのかも、知りたくなってくるところです。
2012/1/28・この横断歩道にはさまれたところは「踏切」なのか?
(5) その他
(前略)
積極的に取り組んできた鉄道事業の近代化は、昭和35年6月の305号車就役をもってひとまず完了した。そしてこれによって、江ノ島−腰越間の併用軌道解消などいくつかの課題を残しながらも、当社鉄道はようやく”路面電車”のイメージを払拭した。
(後略)(P.181)
写真につけられたキャプションですが、「10形を従え江ノ島−腰越間の併用軌道を行く20形」という記述もあります。(P.261)
2012/1/28・併用区間を走る1000形
これらの記述から、少なくとも昭和35年ころまでは、当該区間は、会社にとって解決すべき課題としての「併用軌道」区間であったと認識していたと読みとることができます。
もっとも江ノ電としては「”路面電車”のイメージを払拭」することに肯定的評価をしていたようですが、後年、会社の考えとは裏腹に観光客が持つ「路面電車のイメージ」が江ノ電人気に役立ったことのひとつであるを思うと、結果的には併用軌道解消が解決できなかったことが幸いしていると思います。
「併用軌道について」は、2012年1月にあるサイトに書いたものを加筆訂正したものです。
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併用軌道と路面電車とは、それぞれ異なる概念ですが、わりと混同されて使われているのかもしれません。
江ノ電サイトではトップページで「山あり河あり、海あり、トンネルと路面あり。…」というキャプションを入れていますが、さすがに「路面電車」と言っていません。
20形の登場が平成14年4月、この本の発行が平成14年9月、この時点で江ノ電は江ノ島−腰越間について「併用軌道」区間であるという認識を持っていたということは、否定しようがありません。
「併用軌道について」は、2012年1月にあるサイトに書いたものを加筆訂正したものです。
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