イギリス海岸から高村山荘へ
次に向かうのは、イギリス海岸。
花巻農学校教諭時代の宮沢賢治が「イギリスあたりの白堊の海岸を歩いてゐるやうな気がする」として、イギリス海岸と名付けた、北上川である。
渇水期には凝灰岩質泥岩が露出し、白亜紀層のように見えたことから、こう名付けたらしい。
現在はダムによって水流が調節されてしまい、川底が姿を現すことはないそうだ。
案内図では、北上川と北上川にそそぐ瀬川との合流地点に展望台があるようだが、立入禁止になっていた。
昭和20年、高村光太郎は、花巻の宮沢賢治の弟の清六の家に疎開してきた。
しかし花巻も空襲を受けてしまい、落ち着いたのが高村山荘である。
いまは、山荘を覆う套屋の中にある。
そして、高村光太郎記念館。
十和田湖に立つ「裸婦像」の原型がある。
http://www.hanamaki-takamura-kotaro.jp/
光太郎は、花巻の人にとっては、賢治と並ぶ、郷土の人なのかもしれない。
高村光太郎記念館で話をしてくれた方に、「花巻市街から来る道には花巻電鉄が走っていたのですよね」と聞いてみたら、「そうなのですよ、道の片方に線路があって、電信柱が何本もたっていました。乗り遅れても、走ってい追いかけると、止まって待っていてくれました」とのこと。
「今、どこかに跡が残ってないのですか」と尋ねると、花巻駅近くの公演に保存されていることを、地図を開いて教えてくださる。
よし、あした、行ってみよう。
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