Wien und Hallstatt/1 オイローパプラッツ
早めに起きてしまったので、西駅前のオイローパプラッツ(ヨーロッパ広場)に、カール・ルエーガーの碑が建っているはずなので、チェックしにいくことにする。
1897年にウィーン市長となったカール・ルエーガー(Karl Lueger、1844年10月24日~1910年3月10日、1895年に市長となるが、FJが3度にわたり拒否した)の反ユダヤ主義的主張は、ウィーン時代のヒトラーに影響を与えたとされる。
いまでもその名は、Dr.-Karl-Lueger-Ring(リンクの自然史博物館からウィーン大学にかけて)、Dr.-Karl-Lueger-Platz(シュトゥーベントアあたり)にあるほか、中央墓地をつくったのがルエーガー市長なので、Dr.-Karl-Lueger- Gedächtniskircheがある。
まず、北側にある碑の裏側に行ってみる。
背面の銘板には、画像のような銘板がある。
1909年は、すでにウィーン市長となっていたカール・ルエーガーが建てた碑のようだ。
表にまわってみる。
また、前面の銘板は次のとおりである。
1809年といえば、ナポレオンがウィーンをふたたび占領した年である。
その100周年ということか。
広場の南側にも碑がある。
カール・ルエーガーがギュルテルの公園をつくったことについて記念しているようだ。
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