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2012年5月 6日 (日)

Kaiserin Elisabethについて

このKaiserin Elisabeth、日本との関係が浅からぬものがある。
その1、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が日本に来たとき、このKaiserin Elisabethに乗ってやってきた。
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その2、その後も日本へ親善航海に来ており、横浜開港50周年記念祝典に参列したりしている。
その3、日本に何度めかの親善航海を終えた直後に第一次世界大戦が勃発、中国にいたKaiserin Elisabethは青島のドイツ総督の指揮下に入り、日本と交戦することになってしまう。
その4、青島軍港で砲弾を打ち尽くしたKaiserin Elisabethは自沈、乗組員は、降伏した青島のドイツ軍将兵とともに日本で捕虜生活を送る。

1888年7月:ポーラ(現クロアチア領プーラ:Pula)軍港造船所にて起工
1890年9月25日:進水
1892年1月24日:竣工
1892年12月:世界一周旅行のためオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公を乗せトリエステを出航、艦長はアーロイス・フォン・ベッカー海軍大佐
1893年(明治26年)8月2日:長崎に来航、フランツ・フェルディナント皇太子は3週間日本に滞在(1回目の日本寄港)
9月16日:横須賀から横浜に帰港
9月18日:“墺國軍艦エリサベス艦長ベッカー氏”が午後3時から6時まで横浜山手公園地にて音楽会を催し、入場料は悉く貧民救助費に充てる
9月末:横浜を発ちオーストリアに帰還、フランツ・フェルディナント大公は客船で太平洋を横断し、10月にウィーンに帰国
1895年:北海バルト海運河(キール運河)の開通でキールに帝国海軍艦艇の友好訪問
1895年:レバンテ海で示威航海
1896年:レバンテ海で航海
1899年6月~8月:東アジアへ歴訪し日本に寄港、艦長はユーリウス・ベック・エトラーフォン・ヴェルシュテット海軍大佐
1900年6月:義和団が北京に入城、紫禁城にあった各国公使館を包囲
6月21日:清は欧米列強に宣戦布告
8月14日:八ヶ国連合軍が北京で総攻撃開始
この時期、ゲオルグ・フォン・トラップ士官候補生はオーストリア・ハンガリー帝国の防護巡洋艦「ツェンタ」(Zenta)に乗船し、上海から北上、装甲巡洋艦「SMS・カイザリン ウント ケーニギン・マリアテレジア」(Seiner Majestät Schiff Panzerkreuzer der Kaiserin und Königin Maria Theresia)と合流
北京に篭城する外国人などの救援に、ゲオルグ・フォン・トラップも参加
8月18日:義和団の乱に対する国際干渉連合に参加、神戸港に来航(2回目の日本寄港)
9~10月:防護巡洋艦「アスペルン」(Aspern)とともにオーストリア・ハンガリー海軍艦隊に合流、中国沿岸部を砲撃、艦長はヨーゼフ・マウラー・フォン・エリゼナウ大佐
1900年末:ポーラ軍港に帰還
1901年1~2月、5月:義和団の乱に対する国際干渉連合に参加、日本に寄港
1904年6~7月、10~12月、1905年6~7月:東アジア歴訪、日本に寄港、艦長はフランツ・ミルトル中佐
1906年:近代化改装
1906年:地中海で試験航海
1907年:地中海で試験航海
1908年:地中海で試験航海
1908年:東アジアへ歴訪(3回目の日本寄港)
1909年6月28日:周布神奈川県知事、過日入港の墺国軍艦カイゼリン、エリザベス艦長海軍大佐オスカハンザ氏の訪問に答ふるため28日午前10時半を以って同艦を訪問せり(この時期の艦長は、マクス・ヘルツベルク中佐)
7月1日:横浜開港50周年記念祝典に参列
8月まで日本に寄港
11月、1910年4~8月:日本に寄港
1911年:地中海で試験航海
1912年:地中海で試験航海
1913年2月17日:装甲巡洋艦「SMS・カイザリン ウント ケーニギン・マリアテレジア」とともにポーラからレバンテに向かって出航
2月21~23日:スマーナ
2月24日~6月15日:コンスタンチノープル
6月20日:ポーラに帰還
8月19日:リヒャルト・マコヴィッツ司令官の指揮下で極東に向けてポーラ軍港を出航
8月25~26日:ポートサイド
8月27日:スエズ
9月1~2日:スエズ
9月11~15日:コロンボ
9月22〜23日:シンガポール
9月30日~10月2日:香港
10月8~9日、烟台
10月10~16日:Chingwangtao
10月18日~11月1日:烟台
11月4日~12月15日:長崎、船の色を変更、艦長はリヒャルト・モコヴィツ中佐(4回目の日本寄港)
1914年12月17日~1月21日:上海
1月23~31日:福州Pagoda Anchorage
2月1~23日:香港
2月24日~3月6日:アモイ
3月9日~12日:長崎に来航
3月13~16日:別府豊後
3月17~20日:三津浜
3月20~22日:厳島
3月23日~4月7日:神戸
4月19日~5月1日:横浜
5月2~3日:四日市
5月4~6日:鳥羽
5月8~10日:鹿児島
5月12日~6月7日:上海
6月10~22日:Chingwangtao
6月23日~7月21日:烟台湾芝罘でアメリカ東アジア艦隊と停泊
6月28日:フランツ・フェルディナント大公がサラエボで暗殺
7月21日:海軍部より青島に向け出航命令
7月22日:青島に入港、シュペー司令官(Maximilian Graf von Spee)のドイツ東アジア艦隊(Ostasiengeschwader)に編入
8月1日:青島総督の指揮下に入る
8月16日:青島から退去せよと日本が最後通牒
8月23日:日本がドイツに宣戦布告し第一次世界大戦に参戦
8月24日:日墺両国とも交戦を望まず、日本の勧告に従って武装解除し、乗組員は下船して北京及び天津に向かう
8月26日:ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の要求によりオーストリア・ハンガリー帝国は日本に宣戦布告、再武装し、下船していた乗組員も帰艦
9月13日:乗員310名、北京及び天津から私服で青島に辿り着き、独軍に加わる
9月27日:日本海軍が膠州湾を封鎖、以後砲撃に参加ただし、船首と船尾の15cm砲と4.7cm砲は取り外され陸上の砲台に据えられていた
11月2日:弾薬が尽き、膠州湾内に自沈
11月7日:ドイツ軍が降伏、乗組員も捕虜となり、青野ケ原と習志野等の捕虜収容所に収容される
1920年:捕虜解放

ちなみに、現代のオーストリアでは、オーストリア軍は「Bundesministerium für Landesverteidigung und Sport」(防衛とスポーツの連邦省)が統括している。
http://www.bmlvs.gv.at/
かつては強大な海軍国でもあったオーストリア・ハンガリー帝国崩壊後は「海」には接していないが、ドナウ川の警備のため「Niederösterreich」「Oberst Brecht」の2隻の巡視艇を保有していたようだ。
http://www.bmlv.gv.at/waffen/waf_pion-patrouillenboot.shtml
所属はDie LandstreitkräfteのPionierbataillon 3、「海軍」ではなく「陸軍」。
2006年に退役してしまったようだが、そのあとはどうなっているのだろう?
2隻は、ウィーンのReichsbrückeに保存されているようだ。
Niedersterreich

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