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2012年4月16日 (月)

歴史のなかのウィーン―都市とユダヤと女たち

Books183
「サウンド・オブ・ミュージック」の、舞台作品や映画作品としての評価はさておき、その内容のいかがわしさについては、すでにあちこちで論じられているところです
本書は、そのいかがわしさを、歴史的に明らかにしていまする。
オーストリア・ファシズムの歴史は、たぶん、日本ではほとんど知られていません。
したがって、ナチズムとオーストリア・ファシズムの差異なども、理解することが困難であると考えられます。

1943年のモスクワにおける英米ソ外相会談で、オーストリアに関して次のような宣言をしています。
DECLARATION ON AUSTRIA
The governments of the United Kingdom, the Soviet Union and the United States of America are agreed that Austria, the first free country to fall a victim to Hitlerite aggression, shall be liberated from German domination.

They regard the annexation imposed on Austria by Germany on March 15, 1938, as null and void. They consider themselves as in no way bound by any charges effected in Austria since that date. They declare that they wish to see re-established a free and independent Austria and thereby to open the way for the Austrian people themselves, as well as those neighboring States which will be face with similar problems, to find that political and economic security which is the only basis for lasting peace.

Austria is reminded, however that she has a responsibility, which she cannot evade, for participation in the war at the side of Hitlerite Germany, and that in the final settlement account will inevitably be taken of her own contribution to her liberation.

意図的にか、あるいは無意識的にか、いつのまにか第3項が忘れ去られ、犠牲者たるオーストリアが戦後の出発点となったのでした。
ヴァルトハイムが大統領に就任したのは、1986年のこと。
本書の刊行は1993年、今から20年前ではありますが、ヴァルトハイムの過去をめぐる論議が冷めない時期でした。
その後、オーストリアは、自身の歴史とどう向かい合ってきたのでしょうか。

1993年5月
フラニツキ(Franz Vranitzky)首相がイスラエルに訪問したとき、オーストリア人が第二次大戦中に犯した罪について謝罪
1994年11月
クレスティール(Thomas Klestil)大統領は、イスラエル国会で、ナチ犯罪の手先に多くのオーストリア人のいたことを認め、その過ちを謝罪

2005年にウィーンに行ったとき、ベルヴェデーレ宮殿の上宮で「DAS NEUE ÖSTERREICH 1955~2005」展が開催されていました。

この展覧会は、1955年の5月15日に、ベルヴェデーレ宮殿のMarmorsaalで国家条約が調印されてオーストリアが独立し、その50周年を記念して、2005年5月16日~11月まで開催されたものです。
写真や映像などを使って、オーストリアが第二次世界大戦による占領を脱してから今日までの歴史がわかりやすく展示されていました。
この展覧会が「NEUE ÖSTERREICH」と「ALT ÖSTERREICH」をどうとらえていたのかまでは、わかりません。

第二次世界大戦後のオーストリアと戦前のオーストリア、自身の歴史への向き合い方、その連続性と非連続性は、日本にとっても考えさせる課題だと思います。
それはまた、オーストリアにおける「ユダヤ人」についても同様でしょう。
オーストリアにとって、「ユダヤ人」とは何者なのか、日本では見えてきません。
1848年革命期における「反セム主義」について、本書では、当時ウィーンにおいて出回っていたビラの記述から明らかにしようとしています。

マルクスが「ユダヤ人問題によせて(Zur Judenfrage)を執筆したのは、1848年革命の5年前でした。

I 偽りの過去
・「サウンド・オブ・ミュージック」の時代
・「ヴァルトハイム問題」と過去の克服
II 都市の深層
・世紀転換期のウィーン―都市の政治・文化とエスニシティ
III 革命と反ユダヤ主義
・ウィーン・一八四八年―革命と反セム主義
IV 女たちのウィーン
・女たちの革命
・世紀末の洗濯女たち
・ナチスの支配下で
・現代ウィーンの外国人女性労働者

増谷英樹/著
日本エディタースクール出版部

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