板東俘虜収容所―日独戦争と在日ドイツ俘虜
「バルトの楽園」の舞台ということで、帯にも『1918年6月1日、ベートーヴェン「第九」日本初演の地。』とある。
第一次世界大戦で日本は連合国側の一員として参戦し、青島でドイツと戦うことになる。
宣戦布告が1914年8月23日、青島総攻撃開始が10月30日、青島降伏が11月7日。
4600名あまりの「俘虜」は、その後終戦まで日本国内の収容所で暮らすことになる。
板東俘虜収容所は、3年後の1917年4月9日に開設され、3年間設置されていた。
「降伏」や「俘虜」の考え方については本書の目的ではないけれども、欧米の考え方、日本の考え方の差異、日本が何ゆえに戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」の考え方になっていったのかについて触れられているのが興味深かった。
たとえば、青島におけるドイツ軍とドイツ皇帝のやりとり。
青島「最後の一兵となるまで戦わん」
皇帝「がんばれよ」
一週間後
青島「闘いわれに利あらず。われ降伏す」
皇帝「よくやった」
板東俘虜収容所は、現在はドイツ村公演として整備されている。
周辺に、鳴門市ドイツ館をはじめ、鳴門市賀川豊彦記念館、ドイツ兵が残したドイツ橋、メガネ橋などがある。
「バルトの楽園」のロケ地は、「BANDOロケ村」として公開されていたが、2009年2月に閉館となった。
2010年4月、「阿波大正浪漫 バルトの庭」として再オープンした。
目次
一 第一次大戦と板東俘虜収容所
二 日独戦争と在日ドイツ俘虜
三 『デイ・バラッケ』-板東俘虜収容所新聞
四 『陣営の火』-松山俘虜収容所新聞
五 青島のドイツ軍と海兵大隊
六 俘虜の逃走と懲罰
「板東俘虜収容所案内書」が付されているが、これは、あらたに別の収容所から板東俘虜収容所に来ることになった俘虜向けの、板東収容所にいた俘虜が作成した案内書である。
富田弘/著
法政大学出版局
ISBN-10: 4588321242
ISBN-13: 978-4588321245
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