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2012年1月 7日 (土)

日本オーストリア関係史

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四半世紀以上前の出版で、内容としては、第一次世界大戦においてオーストリア・ハンガリー帝国がはからずも日本と戦争所状態に陥ったところまでの日墺関係を扱っている。
現在の日墺関係より濃い関係が、当時の日墺関係から感じ取ることができる。
それは、オーストリア・ハンガリー帝国の東亜進出の意図と関係するのだろうか。

最近の日墺関係の文献は別の方法でチェックするとして、日墺関係の公的なスタートは、日墺修好通商航海条約である。

1868年10月10日:特命全権公使海軍少将アントーン・フォン・ベッツ男爵を乗せたオーストリア・ハンガリー帝国海軍フリゲート艦ドーナウ号、オーストリア・ハンガリー帝国海軍コルヴェット艦フリードリヒ号がトリエステ港出港、喜望峰経由(スエズ運河の開通は1869年11月)で日本に向かう
1869年4月:シンガポール入港、その後3カ月清に滞在
1869年9月5日(明治2年7月19日):フリードリヒ号が長崎入港
1869年9月16日(明治2年8月11日):ドーナウ号が長崎入港
1869年10月2日(明治2年8月27日):ドーナウ号、フリードリヒ号が横浜入港
1869年10月6日(明治2年9月2日):ドーナウ号、フリードリヒ号が東京停泊
1869年10月16日(明治2年9月12日):ベッツ男爵が天皇と謁見
1869年10月18日(明治2年9月14日):日本國澳地利洪噶利國修好通商航海條約締結
1869年11月4日(明治2年10月1日):ベッツ男爵とドーナウ号が横浜を出港
1871年3月1日:ドーナウ号がトリエステに帰還
1871年5月8日:フランツ・ヨーゼフ皇帝が条約に署名
1872年1月10日(明治4年12月1日):明治天皇が条約に署名
1872年1月12日(明治4年12月3日):批准書交換

日墺修好通商航海条約では、その時までに日本が欧米諸国と締結した条約よりも不平等性が強化され、片務的最恵国待遇によりその他の欧米の国々にも適用されることになり、1854年の日米和親条約に始まる不平等条約の集大成と言われることになった。
この条約締結に力を貸したのが、イギリス駐日公使ハリー・パークスである。
最恵国待遇があれば、オーストリアが条約締結で得たものと同様のことが、イギリスに対してもそのまま適用され、イギリスの利益につながることになるからであろう。
批准書交換は、条約改正を目的として米欧に派遣される岩倉使節団がアメリカに向けて出発した後だったことは、興味深い。
しかも、帝国政府は日本から書簡を受け取って、岩倉使節団による条約改正交渉が行われることを知っていたようだ。
岩倉使節団の交渉は実を結ばず(というより、この段階における日本の状況では不平等性は解消できず、さらなる近代化をすすめてからの条約改正にしたいとの先延ばしが目的)、最終的に不平等条約が解消されるのは1911年まで待たなければならなかった。

なお、日本澳地利條約書は、外務省外交史料館で、平成22年11月4日から平成23年2月25日まで展示されていた。

条約全文は本書に現代文で収録されているが、東京大学東洋文化研究所の「データベース『世界と日本』/田中研究室」からも閲覧できる。
↑の「検索ページ」の検索窓に「日墺」とでも入力すると、「日本澳地利條約書(日本國澳地利洪噶利國修好通商航海條約,日墺修好通商航海条約)」がヒットする。

どこが不平等か、文語文なのでなかなか難しいのだが、
第5条「日本に在留する澳地利及洪噶利人の間に身上或は其所持の品物に付て爭論起る事あらば澳地利兼洪噶利官吏の裁斷に任すべし」「若し日本人より澳地利及洪噶利人に對し訴訟する事あらば澳地利兼洪噶利長官之を裁斷すべし」
第6条「日本人民或は他國の人民に對し惡事をなせる澳地利及洪噶利人民は澳地利兼洪噶利コンシュラル官吏に訟へ澳地利及洪噶利の法度を以て罰すべし」
第7条「此條約或は之に附屬する貿易の規律又は稅則を犯せるにつき取立べき罰金或は其物を取揚る事は澳地利兼洪噶利コンシュラル官吏の裁斷に因るべし其取立たる罰金或は取揚品は都て日本政府に屬すべし」
あたりが、特に改正の対象となったのだろう。

内容には直接関係ないのだが、著者署名の、1988年5月22日にウィーンで記した○○教授(草書的筆記体なので読めない)への献辞が本書の中表紙に残っている。

目次
序文
一章 アジアへの道-オーストリア・ハンガリー帝国最初の日本遠征前史
二章 日本における最初のオーストリア・ハンガリー帝国遠征隊
三章 オーストリア・ハンガリー帝国と日本との最初の外交条約
四章 海の両側の外交官たち
五章 不平等条約改正の際のオーストリア・ハンガリー帝国の役割
六章 観光客と世界漫遊者
七章 在日オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公
八章 学術及び文化的関係
九章 日本との貿易
十章 日本におけるオーストリア・ハンガリー帝国の海軍
十一章 陸軍武官の交換、日露戦争の観戦者
十二章 日本のオーストリア式スキーのパイオニア
十三章 東亜におけるオーストリアの勢力範囲の設立-二十世紀の試み
十四章 日本とオーストリア・ハンガリー帝国の開戦
十五章 回顧

本文の内容も深いが、附録におさめられている文献類も、なかなか興味深い。

附録
一 日本に派遣させられた初代オーストリア・ハンガリー公使アントーン・フォン・ペッツ男爵のための信任状
二 オーストリア・ハンガリー使節フォン・ペッツ男爵の日本天皇に拝謁のみぎり言上したご挨拶
三 一八六九年十月十六日明治天皇のペッツ使節のご挨拶に対して賜りたる勅答書
四 日本国オーストリア・ハンガリー国修好通商航海条約
五 学術上の賜物を贈呈する際に日本外務卿あてのオーストリア使節ペッツの書翰
六 日本外務省のオーストリア使節に対する返翰
七 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの明治天皇あての個人的感謝状
八 一八七三年六月五日オーストリア外務大臣アンドラーシ伯爵の日本特派大使岩倉具視歓待の際の挨拶
九 オーストリア・ハンガリーにおける日本外交代表
十 日本駐在オーストリア・ハンガリー外交代表
十一 日本駐在オーストリア・ハンガリー領事
十二 オーストリア・ハンガリーにおける日本大公使館付陸軍武官
十三 日本駐在オーストリア・ハンガリー大公使館付陸軍武官
十四 オーストリア・ハンガリーにおける日本大公使館付海軍武官
十五 日本駐在のオーストリア・ハンガリー大公使館付武官
十六 日本におけるオーストリア・ハンガリー帝国軍艦
十七 オーストリア人のヴァイオリンの名手レメーニに対する風刺詩

ペーター・パンツァー/著
竹内精一・芹沢ユリア/訳
創造社
ISBN-10:488156062X
ISBN-13:978-4881560624

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