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2011年5月 2日 (月)

レーゲンスブルクの歴史(1)

AD100/レーゲン川とナーブ川河口に移住したケルト人の町「ラダスホーナ」ができる。アルプスを越えてローマ人が来て、ケルト人とローマ人との間でたびたび権力争いが行われる。
AD15/アルプス以北からドナウ川までローマ人が征服。
90/ローマ皇帝ドミティアンがドナウ河南方に「コホーテン城塞」建築。
170/ドナウ河の北方に移住するマコマーナン(ゲルマン人)と戦い、要塞陥落。
皇帝マルクス・アウレリウスが6千の兵でレーゲンスブルクに来る。
179/レーゲン川河口の対岸に城塞カストラ・レギナ(レーゲン川沿いの城塞)を建設。城塞内は兵士の宿泊所、武器の倉庫、貯蔵庫、家畜小屋、上演用の宮殿、神殿、入浴場があり、場外は一般市民,退役兵、職人、商人たちが住み、町は大きく発展する。古代ローマ軍団の植民地はこの後、数百年続き、この時代にキリスト教の町となる。
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5c/古代ローマ帝国が滅亡。
470/ローマ軍がレーゲンスブルクから退去。
550/バイエルンの祖先であるケルト人と古代ローマ人とゲルマン人の混血種族バユワーレンが住み、レガーネスブルクとして栄える。
バイエルンの公爵アギロルフィンガー家が主権を握り、バイエルン最初の公爵の宮廷ヘァーツォークスホーフが古代ローマ建造物に沿って建てられる。
700/聖ルーペルト、聖エアハルト、聖エメラムなどの聖人がキリスト教伝道に来る。
739/聖ボニファチィウスがレーゲンスブルクに司教の座を置く。聖エメラムの墓上に修道院(クロスター・ザンクト・エメラム)を建て布教活動で全地方に伝わる。付属教会が現在の聖エメラム教会。
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788/アギロスフィンガー家、カール大帝により権力を奪われ最後の公爵タシロ三世は生涯修道院に拘禁され主権はカール大帝継承者のカロリンガー家に移る。レーゲンスブルクは支配者争いに関係なく栄え、王国の都となる。
791/カール大帝、2度目のレーゲンスブルク滞在。
798/レーゲンスブルク司教区がザルツブルク大司教区の管轄下となる。
800/カール大帝、西ローマ帝国皇帝に戴冠される。
803/カール大帝、3度目のレーゲンスブルク滞在。
826/カール大帝の孫ルードヴィヒ・デア・ドイチェはバイエルンを東帝国の中心とし、レーゲンスブルクを首都としてアルター・コルンマルクトに築城。国王ルードヴィヒは、バイエルンの伯爵ウェルフェンの娘ヘマァと結婚、キリスト教徒のへマァ王妃はカロリンガー家の後継者としてオーバーミュンスター修道院(現在オーバーミュンスター司教区センター)を建てる。死後ザンクト・エメラムに葬られ、聖エメラム教会に「聖女ヘマァ」の彫刻の墓碑が建てられた。
890/アルヌルフ・フォン・ケルンテン皇帝が聖エメラム修道院近くに王宮を築く。
911/カロリンガー王家断絶したが、レーゲンスブルクの重要性は変わらず、この都を獲得するために、バイエルンの公爵たちとドイツ国王たちの間で争いが起こる。
917/公爵アンノルフと国王コンラート一世が争う。

<続く>

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