レーゲンスブルクの歴史(4)
1810/バイエルンは文化財産を失ったレーゲンスブルクを地方都市として扱い、このため、大都市化せず、多くの歴史的記念建築物が不変のまま存続し、中世の大都市の姿がそのまま保存された。
1812/16世紀ヨーロッパ全国への郵便物や旅客の運輸を手がけ、財産をなしたトゥルン・ウント・タクシス公爵家がフランクフルトからレーゲンスブルクに移住、1908年まで聖エメラム修道院を所有し、現在のトゥルン・ウント・タクシス城を改築・拡張。
1830/エメラムの広場に城を築く、ヴァルハラ神殿建設開始。
1838/オーバープファルツの首都となる。
1842/ヴァルハラ神殿完成。
1845/ルードヴィヒ=ライン・マイン・ドナウ運河完成。
1854/バイエルン王国の王マクシミリアン二世のために、財政困難であったがケーニクリヒェ・ヴィラを建てる(1856まで)。
1856/レーゲンスブルク~アンベルク間に鉄道敷設。
1858/ドナウ川沿いの市壁を撤去。
1859/ミュンヘン、ニュルンベルク方面への鉄道開通、大聖堂の尖塔増築。
1869/レーゲンスブルク大聖堂の尖塔完成。
1870/鉄道網の発展にともない、新しい工業地区設立の計画を立てる。
1886/駅を建築。ドナウ河港の発展にともない町は倉庫を河岸に準備する。
1887/レナーテとヘルマン・ヴィルクリフ、「オルフェウスの窓」で出会う(オル窓ネタ)。
1890/パルクホテル・マクシミリアンが建てられる。
1894/郵便局建築。
1901/アレクセイ・ミハイロヴィチ・ミハイロフ、聖ゼバスチャン音楽学校にクラウス・フリードリヒ・ゾンマーシュミット名でヴァイオリン科に編入(オル窓ネタ)。
1903/市内電車開通。
ユリウス・レオンハルト・フォン・アーレンスマイヤ、レナーテ・フォン・アーレンスマイヤと共にフランクフルトからレーゲンスブルグに来る。ユリウス、イザーク・ゴッドヒルフ・ヴァイスハイト、聖ゼバスチャン音楽学校に編入、アレクセイ、ユリウス、イザーク、オルフェウスの窓で出会う(オル窓ネタ)。
1904/ユリウスとアレクセイ、ファシストギャングに追われヴァルハラへ逃げる。アルフレート・フォン・アーレンスマイヤ死去、ユリウスがアーレンスマイヤ家第14代当主となる。イザーク、復活祭に公園で「皇帝」を演奏。アレクセイ、聖ゼバスチャン音楽学校退学(オル窓ネタ)。
1905/レナーテとヘルマン・ヴィルクリヒ、オルフェウスの窓から落ちて死亡。モーリッツ・カスパール・フォン・キッペンベルグ、聖ゼバスチャン音楽学校を退学。フレンスドルフ校長先生自殺。ユリウス、聖ゼバスチャン音楽学校を退学、ドイツを出てロシアに向かう。イザーク、ウィーンへ向かう(オル窓ネタ)。
1908/ピアニストとしでデビューしたイザーク、レーゲンスブルグでも演奏(オル窓ネタ)。
1917/ユリウス、レーゲンスブルグへ到着(オル窓ネタ)。
<続く>
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コメント
始めまして
オルフェスの窓。 懐かしいですね。
ユリウスは生きて幸せ掴めなかった…
オルフェスの窓第1部のラスボスは、一番の悪人は勿論アネロッテ
ですが。諸悪の根源は、アルフレートアーレンスマイヤー氏ですね。
投稿: ミント | 2015年6月24日 (水) 20時32分
ミントさん
コメントをありがとうございました。
投稿: 楠の末裔 | 2015年6月24日 (水) 22時18分